人のストーリーを紡ぐこと

昼はバスケットボールをして
夜はテレビを見て
今、ほどよい疲労感でパソコンの前に向かっています。

久しぶりの感覚。
日曜の夜という感じ。
少年野球をやってたころ、中学校、高校の部活をやってたころの日曜日に
「疲れた〜」と言って夜ご飯を食べて、また明日から頑張るぞーってそんな感覚。

伝わってるのかなこの感覚。笑
ちょっと懐かしいんです。
今は僕は大学の関係で1人暮らしをしていて、
大学1年になった2人の弟のうち1人も大学の関係で、京都の祖母のもとで暮らしている。
もう1人は実家から大学に通っている。
ちょくちょく会うし、会えば仲いい家族です。
でもなんだか崩壊したわけじゃないんだけど、あの頃の日曜に父も母も、家族5人がいた
日曜の夕方がないのは寂しいです。

1人暮らしを初めて、はや3年。
大学で研究をしたり、サークルで遅くまで作業したりして帰りが2時や3時になっても
文句は言われないし、迷惑もかけない。
友だちも近くに住んでいて、好きな時に集まれる。

けれども、ただいまと言う相手がいないことや一緒に家でご飯食べる相手がいないのは
本当に寂しいことだなって。
あの日曜の夜はもうないのかなって思うと本当に残念です。

ああ、夕方からゆっくり過ごしてよかった。
寂しい気持ちや残念な気持ちを思い出したけれど、それはいいこと。
父や母、弟たちを改めて大切にしないと思えるのだから。

最近は専ら、人の話を聞きそれを文字に起こすことを行っている。
やってて率直な感想が本当に面白い。
一つの写真からその人の中にあるストーリーを紡ぎ出すことは、
なんで?なんで?と聞きたくなる僕にとっては、他の人から見ればずるいと思われるくらいに楽しいことなのかもしれない。
心理学の面から、写真投影法を使った実験で(書くと長くなるので省略)
その人のアイデンティティと夢の関係、過去と未来をつなぐ現在についてを深めている。
(詳細はapplumeria.me/blog/20130414に)

自分の中にあるそれと、人の中にあるそれは全然違う。
それは前回の記事でも書いた言葉の抽象とそこから感じられる個人の具体の違いだ。
僕だったらこう思ってる、もしくはなんとも思わないことに、魅力を感じそれを大切とする理由はなんなのか。
1人1人が違いすぎて面白い。

この僕の活動はこのHPのspecialで公開されている。まだ2人なんだけど。これから増やすよ。
なんで公開されているか。自分が好きでとどめておけばよいのでは、というところがあるかもしれない。
僕がしたいことはその1人1人のストーリーを紡ぎだし共有したいのだ。
なぜか。
それはさっきリンクを飛ばした記事にも書いてあるが、夢や目標に素直になってほしいからだ。
今まで生きた中でも、みんなが行くから〜へ行く、みんなが進学するから大学へ行くという、いわばその中で選ぶことはあったけれどエスカレーターのように生きてきたし、そういう人も多いだろう。
そういった中で、なんか自分を無理矢理納得させたような目標だったり、もしくはそれに気づけない人、気づこうとしない人が多いと思う。
だからこの僕が紡ぎだした内容を見て、なにか感化されればと思い、共有をしている。

テレビを見ていたら、日本代表の本田選手が取り上げられていた。
その中で、「子どもには夢を大きく持ってほしい。周りはそれを真面目に対応してあげるべきなんだ」と。
まさに僕が言いたいのはこれなんだと。ただ子どもだけじゃなく、大人にも、どの年代にもそれが必要だと思い、この活動をしているのだと気づかされた。

言葉を紡ぐのは難しい。言葉は抽象的だから。
できるだけその人と話したことを変えずにWebには載せている。
もしかしたら多くの人には読みにくい文章かもしれない。
ただそれは、テキストになってしまうことで、僕とその人が共にした体験の情報が失われることをできるだけ少なくするためである。
その空気感だったり、できるだけを伝えたい。
なので話し言葉なのももわかっていただけると。

このブログ実はタイトルを押すと、個別のページに飛んでコメントが残せます。
たまには残していってもいいんだよ。
意外な人から見られてることもたまにあってどきっとするけど
それも嬉しかったりするので。

specialも更新予定だし、photoも最近更新していないので更新したいと思います。

とりあえず今日はお風呂に入って寝ます。
あしたからまた1週間頑張ります。

あと宣言しないとやらなそうだから宣言します。
これ展示会します。
12月頃に。
絶対。
楽しみにしててください。

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