大野好輝(24)

ーでは、なぜこの写真を宝物、大切なものとして選んだか。

うーん、えーっとね、まあ僕、まあ正直この写真他の人がぱっと見てもまあ、なんのことはない、なんかふざけてる写真かなあと思うんですけども。
まあこれけっこう、僕にとって大事な経験で。


僕けっこう高校時代、あんまりこうなんでしょう、オープンな性格じゃないというか、けっこうまあ閉じこもっていて、割と自分の中で。友だちはいたけど、まあ少なくていいしって思ってたし、まあ結果、自分がよければまあいいかなっていう生活をずっと送ってて。
で、まあこの写真は大学1年生のときの写真なんだけど。
まあこの一緒に写ってるまあじょーじさんっていう人がいて、この人がまあ、これサークルの写真で実行委員の代表なんだけど。まあこの人がけっこう僕のそういう視点をちょっと変えてくれたというか。いい意味で変えてくれたのかなって僕は思う。

で、そのサークルに入るきっかけっていうのは全然大したことないていうか、僕の同期、あの高校の同級生がもともといてちょっと入ってみなよみたいな経緯があって入ったんだけど。最初はほんと辞める気まんまんで。

まあていうのも僕のその高校時代から続いてる性格で言えば、まあこんな学園祭の実行委員ってのはそもそも向いてなくてやらないだろうと思っていたわけ。
まあただこの人がすごくまあおもしろい人というか、まあおもしろいって一言で片付けていいのかちょっとわからないんだけど。すごくいい人で、まあその辞めそうだなって雰囲気を感じ取ったのかわからないけどすごく、ちゃんと僕にコミュニケーション取ろうとしてくれて。
で、こういう学園祭の実行委員の関係でやる外のお祭りの、イベントのお手伝いみたいな時もけっこう誘ってくれて。けっこうこういうおもしろおかしいことをけっこうしてて、お前もやってみればいいじゃんみたいな、そういう一つのきっかけみたいのがこの写真の場面。

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今まで自分主体で考えてて、自分がよければいいと思ってたんだけど、まあこの時くらいから、まあなんか人が喜ぶようなことしても自分楽しんだなていうことに気づいて。
その場面を切り取ったような写真がたまたまそういえば残ってたなあって思って。
まあだから、この写真の何が宝物っていうかまあ、経験、この経験自体、この写真の経験自体が僕としてはけっこう重要な宝物に近いものがあるかな。


ーその考え方を変えられた。

自分でも、なんか、なんだろ。そのときは高校のときはその別に、自分だけがよければまあいいやっていうので、それでいいって思ってて。
ただ今となって考えてみると、今、その状態よりも絶対今のその、みんなを幸せにして自分も楽しいっていう環境の方が思えるようにはなって。それは自分にとってはいい変化だと思っているよ。


ーそれってどう変えられた。どういう時にどう気づいたんですか。

気づいたのは、一番わかりやすかったのは、その最初秋祭入ってもうやめてえやめてえと思いながら最初やってたのに、まあ気づいたらその秋祭の幹部をやっていたことかな。
そこで、ああやっぱり変わってたんだなっていうのは実感できた。
まあそれこそ、お祭りの実行委員自体がけっこう縁の下の力持ちというか。陰から支えて、人が要は楽しく、楽しんでもらうためにやるっていうのが代表みたいな感じかなと僕は思っていて。だからそういう意味でも、学園祭の実行委員を幹部として続けるっていうのは、一個自分の中で変わったなっていうきっかけを感じた。


ー経験としては積み重なってるうちにいつの間にか変わってたみたいな。

うーんそうだねえ。突然変わったっていう感じではなくて。
やっぱり、まあこれもうちょっと写真見るとわかるけど、僕はちょっと笑っちゃってて。ちょっと小っ恥ずかしい中やってるみたいなことがあって。
まあただ、これ以降もいろいろこういうことやってるけど、やっぱり徐々になんか表情が変わっていってるように写真を見返した時にちょっと思って。やっぱり、徐々に変わっていってるのかなあっていうのを僕は感じたかな。


ーそれが、自分主体っていうのから、他の人と関わる中で変わってきた。

本当にこの人、この先輩のカリスマ性がほんとにすごくて。まあなんだろうな。一緒にいるだけで自分も楽しくなってきちゃうような人で。まあ多分最終的にはこういう人になれたらいいなってちょっと思ってる部分もあったのかな。憧れに近いものがあったかな。


ー先輩といるから、価値観変えられたというところは実行委員になったからじゃなくて、先輩といるからってのが多分大きいと思うんですけど、そこってどういうやりとりというか、そこにはあったんですか。

うーん、この人とっていうこと。うーん。
まあ一つは、まあ僕が住んでたのが大学の最寄り駅で、この先輩が住んでんのも同じというかまあ車持ってて付近には住んでいて。やっぱり行動を共にしやすかったっていうのも一つあって、けっこうことあるごとにどっか行く時に誘ってくれたりとか。
まあなんというか、うーんなんだろう、一緒にいるとどんどんその人のすごさがわかってくるというか。なんかそういう付け焼刃的なものではない、なんかこう今まで生きてきた人生をこう、なんだろうねえ。
なんて言っていいかちょっとわかんねえなあ。本当にすごい人だったの間違いなくて。

まあつまり人の人生に影響を与えることができるってのは正直言って普通じゃないなと。正直周りの人も多分最初入ったときよりも、なんだろう、あんまり内向的な人じゃなくなったというか、けっこう人付き合いがみんな上手くなったかなと僕は周りの人見てて思うし、まあ自分でもそうだし。まあだからそれが一個あるのかな。
だからまあ学園祭実行委員っていうのは、一つの出会いの場、この人との出会いの場だったのかもしれないし。


ー先輩はそういう人だったっていうことですか。他人を喜ばせてるのに喜んでる。それはなんか言葉として教わったのか、教わったていうと変ですけど。

うん、そうだね。
どちらかというと体験として教わったことが多くて。まあつまり、実際こういうお手伝いっていうのは、学園祭の実行員として、まあ学園祭を成功させるためにちょっとお金が必要なわけで。それを稼ぐために、渉外金としていただくためにこういうイベントに参加してて。で、まあ実際言えば自分たちはほぼ無償で働いたようなもんなわけ。
で、それって嫌な人は嫌なんだよやっぱり。で、やっぱりちょっとうーんだりーなとかって漏らしてる人も実際いたし。ただそういう辛いとかちょっと大変だなって思うような作業を楽しく変えてしまうのがこの人のすごいところだなってのは思って。
そこは本当に見習うべきだし。やっぱこのなんとかのためにやってるじゃなくて、自分が楽しくてやってるっていうところをすごい体現してるなと。


ーなるほど、ではもう1枚の写真にいきましょう。

えーっと。まあこれは、なんでしょうねえ。なんて説明しようかな。一応まあ木で作ったもの、まあ木材を加工して作ったものたちなのですが。
けっこう、3つ写ってて、それぞれ違うんだけど、一応加工したものとしては同じくくりとして写真には載せたんですけど。
まあ一番思い出があるのは、一番手前のやつ。手前のこのもので。これは大学の授業で作ったもので。
まあこれ、今の研究会の先生の授業だったんですけど、まあその授業、その先生の授業の課題で、まあ河原の小石をまあ木材を加工して作ってみてくれっていう課題を出されて。まあ正直、最初何言ってんだって思ったんですけど。どういうことかなって真剣に考えて、まあなんていうか、ものづくりにちゃんと真剣に向き合った最初のきっかけみたいなものがこれだった。

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で、まあ、けっこう自分なりの解釈で、まあ、河原の小石っていうのは、まあおそらく上流で砕かれた石の尖った石のかけらみたいなのが川を転がるうちに摩擦して、角が取れてったものかなみたいな感じで、まあ考えながら。実物をあえて見ないで作ったりとかして、まあ自分なりにけっこうこれはもう素晴らしくできたんじゃないかと思って、まあ実際その授業に提出したら二番だったの。
で、一番は当時その研究室の人で、先生の補佐をしてる人がこっそりこう机とかに並べてたやつが一番。でも正直ちょっとこれは負けねえって思ってたからすげえ悔しくて。でも逆に言えばその研究室に入れば、まあこういうすごい素晴らしい、その1位をとった先輩みたいな素晴らしい技術を得られるのかなって思って。
まあ今の研究会にちょっと入ろうかなって思ったきっかけの一つっていうのもあって。これはなんだろう、自分のものつくりの最初というか、原点に近いものがあって、だからこれはものとしての宝物に近いかな。


ー他二つは。

他二つは、まあその後作っていったもので、ただ、これもその先輩にはちょっと勝てなかったみたいなのはあるんですが。まあ自分としてはけっこう納得いく、納得がいくものはでもできてて。この竹とんぼも自分としては、すごい思ってたよりはすごく飛ぶし。こうやって作ったらうまく飛ぶんだなとか、そういうのも作っていく上でわかったし。
もう一方のこの丸っこいのは、確か水滴を木材で加工で表すみたいなもので。まあ、これちょっと机がちょっと悪いんですけど、これ木目に沿って置くと本当に水滴っぽく見えるっていうのが、けっこう自分としては納得いくところかなって思って。
で、そうだなあ、なんて言うんだろうな、うーん。


そうだなあ。あとは。なんだろう。
まあこれらのものたちが、けっこう、自分がそのまあものつくりとか行き詰まった時に、なんか自分で作ってるもの自信ないなって思った時に、こう、これを見て触ったりとかしてると、すごいなんか昔を思い出すというか。あ、こういう時もあったんだなあ頑張んなきゃなって思えるていう意味では、すごく生活に密着してるというか、自分の経験に密着してるから、すごく元気をくれるものになってる。
やっぱり、なんか時間をかけて作ってるものだから、すごくなんだろう、それにつまってる内容というか、自分としての内容はすごく多くて、やっぱ寝る間も忘れて作ってしまったものとかも、これあって。つまりそれくらい没頭できるものがあったんだなこれには。自分の中にはすごく魅力があるものなんだなっていうのは今でも思うし。

まあ結局のところ、木材加工がすごく好きなんだろうなって自分でやってて。
すごく、僕手の皮膚が薄くて、人より。そういう触覚というか、触りごこちみたいなのにすごく敏感で。こういう木の加工してる時も、すごいすべすべにするのにすごく時間をかけてしまって。自分の納得がいくような触り心地になるようにしたくてしたくて。
それに時間をかけてしまったりの人だから。そういう意味でもこういうつるっとした表面のはすごい、手に収まるつるっとしたものはすごい好きで。本当いつまでも持ってたいくらい、僕はこれは好きなものかな。


ー二つの話だと、内向的な、自分のことだけ考えてた自分が変わったっていうその経験と、ものづくりの原点みたいな。

うん。このものづくりのこれに関しては、なんだろう。
同じことをけっこうずっとできてるっていうところを、同じことってのは、ずっとその作業をずーっと集中して、寝る間も忘れてまでもやるっていうようなことができてるってのは、ちょっと昔の状態に近いものはあるかもしれない。
自分の内側にあるもの。つまり、なんかこう、なんだろう、明るく振る舞えるようになったっていうのはあるけど、それもあるけど、これは昔の自分に近い。
高校の時もこういう絵を描いたりとか、クロッキーていうかその手の模写とかしたりはしてて。そういう時の気持ちにはちょっと近いのかもしれないって思っていて。
だから今は、なんだろう、両方の面で理解できてるのかもしれない。ていうのは、この二つの写真でまあ自分ではわかってきたかなと。


ー難しいですね。自分の本質となんか。

その最初の1枚目の写真の時は、なんていうか、その今のこれがいいと思った。
でも、これ、この、木で作った加工したものの、時系列的にはその、1枚目の写真のあとなんだけど、これを作ることで、昔の自分を否定するわけではなくて、どちらにも良さはあるんじゃないかなていうところに気づけた。


ーうーん、なるほど。次は自分のその夢。やりたいこととか成し遂げたいこと。それを目標に生きてるとか、そういうものなんですけど。

夢かあ。そうだなあ。これ関係なくてもいいんだっけ。


ー全然。

そうだなあ。なんか。でもまあそうねえ、結局ものつくりをするのが、やっぱり好きではあるんで。やっぱりそれで、なんか人が笑っていられるようなものを作りたいなっていうのはちょっとあって。
まあそもそも、就職もおそらくそこに行くであろうっていうのは、まあものつくりする場所ではあるし。
そういう自分の作った物で人が幸せになってほしいなあっていうのは、なんだろう、だからそういう生活に密着したものみたいなもので人を幸せにしたいなとは思う。
だから自分の幸せもそうかもしんないけど、まあ自分もそれは人の一部ではあるわけじゃん。人っていうくくりの一部じゃん。そういう意味でも自分も入れた、自分を含んだ人を幸せにするものを作りたい。


ーそれは、もしかしたさっきの、学園祭での経験がなかったら、ものつくりだけしたかったかもしれない。

そうそうそう。だから自分がよければいいものを作ろうとしてたかもしれない。
だから自分の都合に合ったものばかりを作ろうとしてたかもしれないなあと今思って。


ー逆にこの授業取んなかったら、ものつくりやってなかったかもしれない。

かもしれない。そう。昔の自分がだめだったなって思っちゃうかも、思ってたかもしれない、これがなければ。


ーかもっていうところだと自分ではなんでそういう風に、そういう夢を持ったと思いますか。

そうだなあ。一番大きかったのは、その、まあこれは多分どちらにも経験が反映されてるけど、まあまずはそういうまあ学園祭の実行委員に入ったことで、けっこう、イベント事に参加して、お手伝いをして。まあ要は運営サイドとしていろいろ見てて、そういう人のためにいろいろ頑張った結果、本当に、そういうなんでしょう。
お祭りを見てた人たちが僕たちに対して「お疲れさま」とか声かけてくれたりとか、まあ実際そうやって頑張って作ったお祭りだったりイベントをみんなが楽しそうにして遊んでたりとか、楽しんでもらってる姿を見るのはおそらく僕はすごく好きなんだと思って。
まあそれが一個その人に楽しんでもらうのが好きだなって思ったきっかけ。
で、その夢の一歩の、その人が幸せになって、なるような、まあ笑顔になるようなものをつくるていうのの一つかな。

でまあそれと、もう一個、こっちのものつくりで言えば、なんだろう。最初はそのイベントだけで言えば、喜んでもらうならものつくりじゃなくても、いろいろな方法あるし、自分が企画したものを純粋に、なんだ、人に楽しんでもらうってのもあるし。
その中でも、まあものを作ってていうところに至ったのは、すごくこれが、なんだろう、もともと、一番最初の発端みたいところではあるのかなって思ってて。
その、まあ両方があったから今の夢があるんじゃないかなと僕は思ってて。ものつくりっていうものがすごく楽しくて、いや自分にとっても楽しい、これは本当に自分にとっても楽しくて。で、かつ人を、まあデザインていうものをすることで人を幸せにできるんじゃないかなっていうのにを、先生たちから教わったり、先輩たちから教わったりして、できるかなって思った。ていう二つの経験から、考えるようになって。


ー人を幸せに、喜ばせるのが楽しいて思うのと、そういうことができる仕事、そういうことができる活動っていうのと、自分が本当に楽しいと思えるものってのを合わせた時にものつくりってのが。

そうだねえ。だから本当に出会わなかったらと思うと、本当に違う人生があったんだろうなあって今はすごく思うし。そうじゃない道も絶対にあったかはと僕は思う。
だから、いや本当に、なんか、だから人生て巡り会わせなんだなあていうのは感じて。まあよくある話かもしれないけどね。
そうだから何事もきっかけなんだろうなとは思って。そういうきっかけをなんか写真で残しておくと、すごいあとでも振り返れていいなって最近はちょっと思う。


ーていう感じですか。なにか言い残したことないですか。言っときたいこと。

言い残したこと。そうだなあ。


ー別に無理して言わなくてもいいですよ。

そう。いやでもなんかあったよう気もするけど。そうだねえ。
まあ、だから、なんだろう。これ人に言うメッセージとかでもいいのかな。
なんかまあ僕が思うのは、本当にそういうきっかけってけっこう色んなところに転がってるから、それは、見逃しちゃダメなんじゃないかなって思ってて。
まあなんつうか、それって別に人生においてずっと役に立つことではあるから、そのきっかけを見つけるっていうこと。それを機会を大事にするっていうのは、僕も今後はちゃんとやっていきたいと思ってるし。今後も、ちゃんとやっていきたいと思ってるし。
それが僕は多分人生が楽しくなるきっかけになるかもって思ったから。だからこれはみんなに、できればやってもらった方が楽しくなるんじゃないかなって思う、自分は思ってることの一つかな。


そう、探すっていうこと。きっかけをちゃんと自分で見逃さないことは、大事だよってこと。


これ、今、君がやっているようなことってのは、そういうのを改めて再認識させて、ああこういうことって大事だったなって。やっぱ言葉にしないと忘れちゃうことってけっこうあるから。それすごい、いいきっかけを与えてくれたと僕は思うこれは。これも一つのきっかけかなって。


ーありがとうございます。

以上です。



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