西出裕貴(29)

ーじゃあまずは、この写真をなぜ選んだか、自分の大切なものとして。
そうっすねえ。
えっと、これはどちらかと言うと、この写真はタイのフェスの写真なんすけど。なんか音楽フェスが結構僕の中では、多分人生中で一番結構今キーポイントになっているやつで。多分それが、音楽フェスに行くようなってから、すごい人生観が変わったって言うか、多分今の自分ができてるのはそこが大きいかなっていうのがあって。
んでまあ、直近行ったったフェスが、このタイの音楽フェスだったんで、まあその写真あげてると。


ーじゃあ直近だけど、これがっていうよりは、音楽フェスが、みたいな感じ。
そうそうそうそうそう。
音楽フェスとか、あとはまあイベントごととかになるのかな。フェスが多分1つ大きい軸になってくるかなと思います。


ーそれはなんで、そういうふうに思うようになったのか。いつから思うようになったとか。
あー、でもきっかけは、多分大学3年の時で。大学3年の時にも、まあ3年よりも前の時にも、まあ音楽フェスとか行ってたりとかしてたんだけど。
大学3年の時に行った朝霧JAMっていう、フジロックの会社が主催してるフェスがあるんだけど。それが結構人生揺るがすぐらいの大きいキーポイントになっていて。なんか、そのフェスは少し変わってるのが、オールインキャンプって言って、要はキャンプしながら、1泊2日でフェスするみたいな、感じのイベントになってて。音楽フェスって普通なんかこう、ライブでガンガンに乗ってるイメージがすごいあるんですけど。
その音楽フェスはどちらかって言うと、もう音楽は別にゆるく聴きながら、音楽がサブみたいなポジションになってるような感じで。キャンプするのが結構メインの人もいれば、普通になんか雑貨とか、なんかそういったフード周りを見るとか、っていうのが好きな人もいたりとか、結構過ごし方が全然音楽とは限らない、いろんな選択肢をそのフェスは見せていて。


それがすごい、自分にとっては衝撃的っていうか。あの、めっちゃ世界的に有名なアーティストが横で音楽のライブやってるのに、横でフットサルしてたりとか。全然なんか昼寝してる人もいたし、寝転がってライブ見てる人もいたし。なんならステージに行かずにキャンプやってる人もいたし。あの感じは、その当時のそのライブ=音楽、いやフェス=音楽のイメージとは全然違うかったから。
あれが結構衝撃的で、あんなん世の中あるんだみたいな。そこで考え方が変わってすごいいろんなフェス行くようになったし、なんなら自分でフェスするようになったのもそのフェスがきっかけだったしみたいな。
で、結局それが、もうかれこれ7,8年ぐらい前の話なんだけど。7,8年間、ずっと結局、なんやかんや行く回数は減ってるけど。フェスは行ってるから。
多分結構自分にとって、人生のターニングポイントかなって。


ーそれ楽しいものとしてってこと。自分にとってどういうものとして。
最初は自分にとって楽しいもので、まあ要は娯楽の1つだから、普通に遊びに行くっていう感覚に近かったけど。でも自分でフェスするようになったら、えっと、まあフェスでいろんな人の、その、感動とか、そういうのを届けることができるとか、なんか価値観とか人生を変えるきっかけも、実は提供できてるんだなっていうのがあって。
っていうのがやっぱり、自分が立ち上げたそのフェスに来てくれたボランティアスタッフが、今度違う自分でイベント起こしたりとか。そこの繋がりがきっかけで、また新しいことが生まれたりとか。お客さんが違うフェスに行くようになったりとか。
そういうのやっぱりを見ていると、あ、なんか自分のその形にして、で、それをこういろんな世の中の人に影響を与えることができるんだっていうところを、知れた時に、単純にただ楽しいっていう要素だけじゃないんだなっていうのが、気づけたっていうのはあるかもしんない。


ー朝霧の時に全然違うものだって思って、そこから自分でもやりたいまでは、ちょっと時差がある。
あるある。2年ぐらい、1,2年あるのかな。


ーそれはなんで、こう自分でもやりたいっていう風に。
なったのか。
えーっとね、そう、大学3年4年の時は、別にまあ日本、こんな面白いものあるんだったら、もっと日本に他にいっぱいあるんじゃないかって思って、日本中のやつ回って。で、大学4年卒業して就職しようと思っていて。で、もう就活も、もう普通に内定もらってたし、行こうと思ってたんだけど。
その会社はちょっと変わってた会社で。まあ卒業してから1年以内であれば好きなタイミングで入社していいっていう。あのー、制度があったので。


なんでなんだろうね、なんか音楽フェスはいつかやりたいなと思ってた。頭の片隅で。でも40ぐらいかなと思ってて。そう、全然人脈ねえし、音楽知識、まあ一応軽音楽部だったから、楽器とかそういうの分かるけど、アーティストとか。だけど別に、PAって言って、後ろでその、音響調整をやってるとかそんなん知らないから。全然、音楽フェス、んで、学祭の実行委員やってたわけでもないし、全然イベントなんかやったことないタイミングだったんだけど。
まあ逆に言うと40なった時にやるのかなと思った時に、いや子どもいてやらねぇだろなと思って。で、そう考えたら1年だったら別に行っていいんじゃないと思って。で、その時に一緒にずっとフェスも回ってた、まあ相方みたいなやつがもう大学院生になって。まあ時間はあるしみたいになってたから、じゃあやるかみたいな。
だからたまたま偶然、その就職っていう1年間が使えたっていうところと、まあ仲間が周りにいたっていうのと。まああとは、失敗しても別にね、社会人でまたお金稼げばいけるか。そう、それでやるってなったってのは大きかったかな。


ーそれは続けてるんすか。開催する方は。
えーっとね、フェスは、いやフェスはもう1回きりで終わってて。
まあそもそも会場自体が、あの、俺らがフェスやったその次の年から改修工事が入ってて。全然もうあの、フェスができる感じでも全然ないし。で、みんなやっぱ東京で、仕事とかで東京行くようになったから、もう全然できなかったけど。
ただ、こっち来て上野公園でフェスするっていう子がいた時に、それのサポートとか、できるようにしてるし、こっちでしたし。で、こっちも自分でいくつかイベントも立ち上げているし。まああとは最近はやっぱり去年から、そういった個人で仕事もらって、こう自治体の案件とかやるようになったから。
何かしら結構イベントとか、そういったコミュニティ作りには携わってる感じはする。


ーじゃあなんかそういう自分が仕事としても打ち込めるものにも気づけたものだった、普通に楽しいみたいな話も、自分がやるって意味でもっていう、その二面があるのかな。
うん、二面がある。でも、最終的には仕事にしたいなってすごい思ってたし。で、やっぱり、最初の社会人3年目4年目ぐらいまでは、やっぱり仕事は結構全然違う仕事の種類だから。
あの、どうやったらその好きにつながるのかっていうのか、まじでわかんなくて。いやこっちも面白いじゃんとかって思っちゃうから。だけどじゃあこれを生業にしたいかって言われたら、やっぱりその1年間フェス立ち上げたのもあったから、どれだけお金稼ぐのが大変なのかも、もう分かるんですよ。
もう目に見えてて。


ートントンはいけてもね、みたいな。
トントンはいけてるけど、これ人件費払ったら赤だよねみたいな。だったし。そんなんを経験してると、やっぱりしんどさもわかってるから。じゃあ本当に音楽フェスやりたいんだっけって思ったら、別に音楽フェスやりたいわけじゃないんだって気づいたし。
なんかそれ考えた時に、あの、今のその趣味の延長線上で、何かそのゆとりを持った段階でものを作らないと、多分ものづくりできないなってすごい思ってるから。
だから今の関わり方がちょうどいいのかなとは思ってる。


ーそうすると7,8年あったら、自分がやったものもある中で最近の写真だったのはあるんですか。
えっとね、これはマジで、タイの、タイのフェスなんですけど。タイのワンダーフルーツっていうフェスなんだけど。まあ国内も一通り行きましたと。行ったし、まあ面白そうなやつもまだ何個か行けてないやつもあるんですけど。まあ、まだフジロックも行けてないっていうね。実はね。あるんだけど、なんだろな、もう国内はもう大体わかったと。
海外知りたいって、海外も何個か行きたいやつまだあって。で、初めての海外フェスが実はこのワンダーフルーツ。これは結構衝撃的だった。これがさっきの朝霧ぐらいに、匹敵するぐらいにインパクトがあったフェスで。まあまず、アーティストまず誰も知らない状態で行って。


いやでも、けっこう海外的に有名なDJとかむっちゃ来てたんだけど、そんなの全然知らなくて。
でも、あの、何が一番良かったかっていうとスケール感がやっぱり全然違くて。
セット、これこのワンダーフルーツっていうのは、結構環境問題に、あのメッセージ性を出してるフェスなんで。そのフェスの会場自体もすごい広いんやけど、そこでできているあのセットとかは基本再利用っていうか、再生可能なもので全部作られていて。やっぱりそこの徹底さと、やっぱりスケール感が全然違うかったっていうところと。あと手は一個も抜いてなかった。本当になんかご飯一つでも、ものすごいクオリティ凝ってるものしかなかったし。













で、一方で最新の仕組みをすぐ入れてる。例えば、バーコード、あの要はカード決済とかが全部対応しているやつで。で、日本じゃ全然そんなないから、やっぱりそこを徹底してて。どうやってお金をこうしっかり入ってくる仕組みを作りつつ、かつ持続可能な形でイベントできるのかっていうところと、やっぱり一貫したメッセージ性がすごいあったっていうのは、ものすごい衝撃的で。
で、しかもそれがなんか、このやっぱ海外ならではなんですけど、来てる国の人たちが韓国の人もいればヨーロッパの人もいて、みんなバラバラの国なんすよ。で、何語も喋ってるか全く分かんないですけど。
何語喋ってるかわかんないのに、打ち解ける空間をちゃんと作ってるんですよ。
それはなんか例えば、巨大ジェンガ置いてて、あの、みんなでやれるっていう空間を作ってるとか。あとはステージがもう、アスレチックみたいになってるんで、なんか巨大ジャングルジムみたいになってて、3階ぐらいまで登って行けるみたいな。国内だったら、多分で建築基準法とかで全部アウトなんだけど。
やっぱりタイだから。やっぱり3階くらいの高さから、見下ろしてステージ見るとか。あとこんなパスの上に乗るとか普通出来ないから。なんかこういうのは、やっぱ海外ならではだなっていうのは、すごい、楽しむっていうことにすごい、ものすごい振り切ってるのもあって。
だからやっぱ作るんだったら、こういうぐらいのやつやりたいよねっていうのはすごい思った。


ーいや色とかもとても綺麗。
そう。なんかもう、なんかね、あのパリピみたいな感じになってるけど。仲間ちゃんと入れたし。


ーでもまた、自分で企画してみたいなそういう気持ちがある。
うーんあるし、あの主催をしたいと思ってるわけではないけど、まあなんか携われる機会があるなら携わりたいし。
後はなんかやっぱ引き出しの多さがすごい重要だと思ってて、イベント作る時に。
やっぱりいろんな経験値っていうか、いろんなもん知ってるかどうかで、提案力ってだいぶ変わってくるので、海外もっとこんなんいっぱいあるから、やっぱちょっと行かないといけないなってか行きたいなっていうのはすごい思った。


ー主催っていうか、イベントのディレクター的な意味で。
そうそう。
だからこういう風な見せ方もできるんだとか、こういう風な楽しみ方ができるんなとか、ってのがわかると、どんどんね、それを国内にどうやったら形にしようとしてるのかとか、っていうのはありかもしれないです。


ー多分音楽フェスじゃなくても、フェスみたいなイベントくらいの大きさで、大切なものになってると思うんですけど、西出さんにとってはどういう存在なんですか。
どういう存在か。うーん。
なんかすごい重要なのが、フェスっていうのは、結局、いろんな一面、いろんな人が関わってますと。まあ主催者もそうであれば、演者もそうだし、やっぱり来てくれるお客さんもそうだし。あるいはえっと、そこの開催している所に住んでる自治体の人とか、市民の人とかもみんな関わってくるものになっていて。やっぱり基本みんながウィンウィンになるような物っていうところを、やっぱ意識しないといけないなってのは、やっぱすごいを思っていて。
どちらか一人しか、こう満たされないものって言うか、一面しか満たされないもんのってある意味、自己満でしかないから。そこがやっぱり、うーん、意識するようになったっていうか。
かなあ。
だからなんか意外に、まあ全部が全部フェスやったらいいよと思わないんだけど。あの、世の中のいろんな課題を解決する一つの方法としてフェスってもしかしたらあるかもしれないね。ってのは思うかな。


ー何か他にこの写真だったりとか、今までの話で言いたいこととか、心に残ってることがあれば。
あれば。あれば。なくても大丈夫。
まあでも、あの、なんだろうな。思ってるのは別にフェスが正解とは思ってないので。
まあ最近だったら野外上映会やったり、映画やったりとか古本市場やったりとか。いろんな切り口のいろんなイベントを、まあやっている中で、僕自身はあんまりイベントを、そうは言っても、イベントが好きなわけではないんですよ。多分嫌いな方だと思ってて。結構、賑やか、賑やかでわーわーやってるのあんま好きじゃなくて。そう、だから逆に言うと、なんだろうな。
そんな嫌いな人が作ってるイベントだから、あの、アンチの人はある程度、まかなえるイベントは作れるかなとは思うんで。そうそう、だからあんまイベントっていうのも好きじゃないし、フェスっていうのもあんま好きじゃなくて。
なんか面白いことは、みんなでやろうよっていうぐらいの感覚なんで。本当にもう別にこだわってはないっていう感じかな、フェスとかイベントに。
こんな感じですかね。


ーそしたらちょっと話を変えて、西出さんが今持ってる夢とかやりたい事、達成したいことみたいな。夢みたいなところをちょっと聞きたいなと。
はいはいはい。そうっすねえ。

今年が30になる年で、まあ20代最後を今迎えてますと。で、えっと、僕にとってこの20代で一番収穫あったの何かでいくと、えっと30代これをやっていきたいなっていう、1つの軸が見えたのが20代で1番大きい収穫だったなと思ってますと。
で、それが1つ何かって言うと、えっと、キーワードはやっぱコミュニティで。えっと、別に大なり小なり、みんないろんなコミュニティ入ってるはずで。小さい単位でいくと家族なのかもしれないし、職場なのかもしれないし。
でも、そのコミュニティっていう存在は、何だろうな。えっと、結構誤解されがちなのが、何もしなくても勝手に生まれるものかと言うと、実はそうではなくて。
やっぱり何かしらの仕組み仕掛けが必要で、それをすることによって上手く回り始めて。で、かつ、それがずっと継続される、というところがあるとは思うので。
僕はそのコミュニティっていうところの軸が、えっと、自分の中ではこの10年間、このフェスを通して、こう大きいグループのコミュニティも作れば、本当に小さい単位でのイベントの小規模のコミュニティも作るようになったし。オンラインオフラインでも色々作るようになったから。

まあそれを軸に、自分が今その10年間培ってきた、ノウハウとか知識っていうのを今度30代で生かしていきたいなというのがあるので。今のほんとこの5,6年とか先っていう話でいくんだったら、それこそコミュニティを軸に世の中の課題、社会に関して貢献できるかどうかっていうのが、僕がこれから目指していきたい方向性。
今は、えっと、自治体の案件に落として、実際にそのコミュニティのノウハウを使って、えっと、課題解決だったりとかをするようになってきてるから。次はじゃあそれを、どうやって企業の中とか、人事組織、組織とか組織活性とか。あの、人材をどう、こう機能させるかっていうところで、なにかコミュニティとかで、お手伝いできたらいいかなって思ってるし。
直近1年とか、2年でいくと、やっぱり、えっと自治体の案件もそうなんですけど、いかにこう、個人でそれをちゃんとこう発信をして、ちゃんと個人で仕事が取れるようなってくるかどうか、ってところも、えーと、目指していきたいところかなって感じですね。
そう、焦りはすごいあるけどね。


ーそれは最近になって、思うようになったんですか。この20代のこの10年間。
あーえっとね、コミュニティでいった方がいいなと思ったのは、本当に、一昨年、2年ぐらい前ですかね。あのそれがやっぱり自分の今の、あの、やっぱいくつかコミュニティを持つようになってから、あの、立ち上げたコミュニティを持つようになってから。その時は全然仕事でやってるわけではなくて、本当にプライベートの趣味の一環ぐらいでやってるぐらいのやつだったんですけど。
やっぱりそこにコミュニティの可能性をすごい感じたっていうか、1人でできないことをみんなでやったらできるようになるし。で、みんなが一緒に同じ方向性を向かって、こう何か書く取り組むことによって、お互いのことを知ろうとするんで。そこでやっぱりあの、居心地が生まれて、居心地の良さが今度新しい、その自分の進むきっかけになったりとかするので。
やっぱりそこにすごい可能性を感じた。

だから、なんかもっとコミュニティやってみたいなって思ったし、もっと色々勉強したいなって思ったのが、本当2年前くらいですかね。で、去年からさっき言った自治会とか、ヤドカリの方で仕事を取るようになったりしたから、それを本当にビジネスとして使おうと思ってできるんだっていうところがあったりとか。会社も本業の会社員の方も、最初はどちらかと言うと、お客さん対応の方で、えっと採用してもらってたんだけど。やっぱり去年1年間いろんなコミュニティの話をしたりとか、やっぱり副業とかでの動きとかをいろいろ言ってると、今年になってやっぱり会社の中でも、コミュニティマネージャーというポジションで、あの400人のフリーランスをつなげる仕事をするようになったりとか。
まあ、なんか少しずつ自分の方に風向きが来てるのかなっていう感じは。


ーじゃあ結構この2,3年が、考えてるように動いてる。
そう、動いてる。


ーでもなんかそれは、意図してやりたいことに、やってきたところもあるんですか。
あー、いや、えっとね意図してはやってないかなとは思ってて。一応ゴールはもうその向かってる方向は一緒なんだけど。
なんだろうな、フェス作る時の感覚とすごい似てて。
あの、まずは発信するっていうか、自分がこれやりたいんですとか、これ好きなんですって言うと、なんかね、巡り巡ってきっかけってくる。あ、じゃあそんなこと言ってるんだったら、これやってみたらどうとか、あ、なんかその考え方すごい面白いから、じゃあこれやってみたらみたいなのとか。
あとは、周りの友達とか周りのその知り合う人達も、同じような考え方の人たちがやっぱ集まってくるので。そうなってくるとね、誰々さんのこのやってる取り組みすごい面白いなってなったら、なんかそこですごい自分も刺激もらって、自分の今のアクションの中に入れ込んだりもできるだろうし。なんかその動きが凄いできるようになってきたっていうのがあるかもしれない。
フェスも本当に一緒で、フェスやりたいですって言って、いや、なんか無理やろみたいな言われるんやけど。無理やろって言われるんやけど、中にはやっぱ聞いてくれる人もいて。聞いてくれる人が今度、じゃあそれだったら、これこの人と会ってみたらとか、この人繋いでみたらとかっていうのが、言っていてどんどん大きくなっていくみたいな話が、本当に一緒だなと思って。


ー30代は、コミュニティっていうのを軸にして、今まだちっちゃいところ、もうちょい広げていくみたいなところを目標に。
目標に。ただまあコミュニティ自体が、僕もそうなんすけど、まあんま好きじゃなくて。
怪しいじゃないですか。気持ち悪とかって思う時すごいあるんですけど。なんか内輪ノリだし、なんか内輪ノリはコミュニティとは思ってないんですけど。まあでもそういう印象あるし。やっぱりまだ世の中からすると、凄いなんか得体の知れない存在、に思うもので。
でも、それをなんだろ、正したいと思ってるわけでもないし、むしろそれが事実だと思ってて、そういうものなんだなって思うんだけど。どうやってそれをね、もっと身近な存在に感じてもらったりとか。
なんか、あの、知らん間にこのもうちょっとそのコミュニティの、なんか考え方っていうのが、技術っていうところがもっと身近に感じたりとか、広まるようなところができると、まあ嬉しいなとは思うんだけど。
だけどその、気持ち悪いっていうのは、本当に受け入れるべきだなとは思う。


ー今まで夢について喋ってもらったんですけど、それに関して何か思うところとか。
思うところ。そうねえ。
って言っても多分ね、あの、トレンドってあるんだろうなと思ってて、自分の中でも。やっぱり、1年2年3年すると、いろんな経験するとまた考え方全然変わってくるのは全然当たり前だけど。
でもやっぱりなんか、そのイベントとコミュニティに関しては、イベントとフェスに関してはここ10年くらい変わってないし。コミュニティに関しては、まあここ2,3年だけど、まあそんなに変わってないから。多分これは自分の中でトレンドになってくるだろうなとは思うので。
だからもうちょっと、なんかあの長いスパンで見てもいいのかなって思うところ、ありますね。


ー自分の大切なものと夢って、結構関係があるのかなって思いながら聞いてたんですけど。自分としたらどんな関係性があると思います。
ああ。僕は、なんだろうなあ。
基本多分、夢も、その、まあやりたいこととか、っていうのも、変わってなくて。変わってないっていうかスタンスは多分一緒で。あの、誰かのターニングポイントになりたいっていうのは、すごい自分の中の軸にあるんですよ。もうこれ多分、もう、そのフェスやってた時から全然変わってなくて。コミュニティも、なんだろうな、居場所だし。
で、僕はなんか、その居場所って別に1個に絞られる必要はないと思ってるから。あの、ある時はこのAっていうコミュニティですごい、いいなって思ってて。次はBに行くとか、Cに行くとか、Aはちょっとお休みするとか全然いいとは思ってて。なんかその複数の選択肢をいくつか提供するってことがすごい大事だなって思っていて。

それが、その出会いがきっかけとか、その、何かその中で知った新しい価値を知るとか。なんかそういうことがきっかけで自分の生き方が変わったりとか、別に変わらなくてもいいんだけど。自分の生き方を見つめなおすことができんだったら、それですごく貢献できてるなと思うから。
基本はそのやりたいことも夢も、相手目線になった時に、その人のターニングポイントになってるかどうか。で、あとは、えっとその、コミュニティ自体もそうだし、フェス自体もそうなんだけど、それが何かそのターニングポイントがきっかけで、何か一歩踏み出すきっかけになってくれたら、基本はいいかなと思うのと。あと、選択肢をいっぱい作ってあげるっていうことができれば、たぶん僕はもう、基本満足なんだなってのは、最近思う。
だからそこはたぶん、夢も多分、やりたいことも軸はそこになってくるんだろうなとは思う。


ー自分がやりたいことの、大切な軸みたいなことを気づかしてくれた物、そんな存在なんですかね。
そうそうそう。
もちろんなんか、面白そうだからやってみたいっていうのは全然あるんだけど、続かないなってのは。
面白いことはやってしまったら、もう終わりだから。まあそこはやっぱり、さっき言った軸があるかどうかで、それが継続するかどうか、結構変わってくるかなっては思いますね。


ーじゃあちょっと僕が聞きたい事は、だいたい聞けたかなって感じですけどどうでしたか。
いやそうっすねえ。
なんか改めて聞かれるとすごい、なんか、考え直しますよね。自分の中では本当にそれなのかなみたいな。あるけど。だからすごいいい機会になりました。



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