住吉昂太(20)

ー始めましょう。まずはその写真を、その、大切なものとか宝物っていうので選んだ理由を。

はい。まず、まずこれがなにかっていうのを説明しますと、これ高校3年生の時の学校祭の時に作ったやつなんですけど。学校祭でクラスの出しものがあって、それを1ヶ月くらいかけてクラスのみんなで頑張って、準備とか練習するんですよね。
で、ちょうどその時にビデオカメラがあったので、それで練習の様子とか準備の様子を撮って、あと当日のなんかわちゃわちゃしてる様子も撮って、で、それをなんか、初めてそのとき映像を作ったんですけど、まあ頑張って編集して、DVDに焼いて、で、このケースも作って、まあこの絵は、当時の彼女が作ってくれたんですけど。


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で、DVDにしてクラスのみんなにあげたらすごい喜んでくれて、それがなんかめちゃめちゃ嬉しくて、で、まあなんか、人に喜んでもらうための映像っていいなってそのときすごい思いましたし、大学でも映像をやろうっていう風にそこで思って。
で、まあみんなにあげたら後日、クラスのみんながメッセージ付きの箱一杯のお菓子とかくれて。そうですね、それがすごいほんとに嬉しくて。まあ人に喜んでもらうツールの一つとして映像っていのうがそのときいいなと思いましたし。あとなんかその、クラスのみんなで頑張ってるっていうその、頑張ってる人を応援したりだとか、その人たちの思い出をこういう風に形に残すっていうのがすごく、うーん、なんか、そういう活動になんか、すごく喜びというか、まあ感じた一番最初のきっかけですね。
まあこれがなかったら大学でも映像やってなかったですし。

あとは、僕が大学2年の時に、友だちと一緒に、今入ってる映像サークルとは別で映像の団体立ち上げたんですけども。その、どういう映像の団体かというと、もともと入ってた映像のサークルは自分たちの好きな映像を作るって感じだったんですけど。
僕たちが作ったのは、人のために映像を作るっていうか、頑張ってる他の学生団体がイベントをやりたい、で、そのイベントをやる時に映像があったらよりよいイベントになるのに、でもそのスキルだったり、設備だったりがないって人たちのために、じゃあ一緒になって映像作りますよっていうような団体を立ち上げて、まあちょっと活動してたんですけど、まあそれの原点でもあるかなあって感じですかね。


ー大学選びもじゃあ全部映像ができる。できるとこばっか受けてた。そういうわけじゃない。

まあその一つの要因ですよね。まあ映像はまあ、一番のメインの理由ではなかったんですけど、今の選んだ理由の一つとして、まあ映像の設備があるっていうのも。


ー一番の理由なんだったのちなみに。

一番の理由は、僕は、高校の段階で一つのこと、経済学やりたいとかそういうのを絞れなかったんで、まあ大学入ってから決めたいと思ったんで、まあ今の大学か、あとはもう一つ志望してたとこだと2年間最初教養、で、3年になる時に自分の分野を決められるんで、そこか今のとこで、まあそこがダメだったんで今って感じです。


ーじゃあ自分、これでまあ映像ってのが楽しいと感じたところで、学ぼうとこう自分でなったのいつになるの。映像を。

なんか最初大学入った時に、映像サークルの、なんか、存在をちょっと聞いて、最初そこちょっと入ってみたら、みんなすごいいい人だったし、いろいろ映像のこと教えてくれて先輩が。そこでやっぱりいろいろ繋がりが。
で、楽しかったていうのもありますし、サークルの中でもなんかちょいちょい、なんかまあ仕事というか、なんかまあ友だちと映像作ってく中で、映像のスキルが身に付いてきて。で、一年の後半くらいから、ちょっとずつ他の人の映像を作るようになった。うん。
うん、ちょっと質問の答えにはなってない。


ーこれが宝物っていうその理由は、なんつうの、自分が映像に関わる上で、なんだろ、自分の興味とか関心がどこにあるかってのを気づかせてくれたみたいな。

そうですね。そういうなんか、そうですね。興味、関心点もそうだし、よく就活とか、時に自分のモチベーションをどこに感じるかみたいな分析とかすると思うんですけど。
そういうのも考えた時に、自分が一番人に喜んでもらえる時だったり、特に頑張ってる人を応援して、して、感謝してもらえた時とかっいうのに一番モチベーションを感じるなってすごく思ってて。その映像をやりたい原点のもそうですし、その仕事とか選ぶ上でも誰かのためにっていう部分に一番の原点があるのかな。


ー映像に限らず。

限らず、本当、自分の今までの、なんか大学生活の軸というか、そうですね。

それとあとは、なんか、相手がこっちに何かしてくれるのを待つんではなくて、こっちから何かを相手に何か、与えるって言い方変ですけど、してあげると、やっぱり返ってくるというか。
最初の一歩、なんか、人に何かしてもらいたい、というかなんだろうな、自分が楽しんだり喜んだりするためにはまず、なんか他の人を、に喜んでもらえたりしないといけないな。
ていうかまあ、誰かに対してなにかすると、まあこの場合はこういうメッセージ付きだったりのとか、何かしら返ってくるんだなってのが体験としてわかって。だからそういう意味では、自分から何かをするようにはなったっていう気はしますね。
あとはなんか、これでもけっこうもし喜んでくれなかったらどうしようとかやっぱ思うじゃないですか、なんか、そのなんか、なに?調子乗ってんのみたいに思われるかもしれないじゃないですか。なんかそういうことに対してもあんまり恐れなくなったというか。


ーけっこうクラスの人っていうのは反応がよかったの。

そうですね。すごい喜んでくれて。


ーなんでそもそも作ろうと思ったの。そのちなみに。

それは、出し物の、なんだ。
兄がちょうど、その時期くらいに友だちの結婚式の映像を作ってたんですよね、なんか。まあ兄自体が映像がそんな映像できるわけじゃなくて、兄と友だちで、の何人かで作ってて。
その作った映像を見て、なんか、誰かのために作る映像いいなっていうのをちょっとそこで思ったのと、あとまあでも実際カメラないとできないじゃないですか。で、カメラはなんかその出し物の中でも映像を使うシーンがあったので、そこでなんか友だちの親のカメラ、友だちが借りて、ずっと持ってきてくれてたから、そこにカメラがあって、それちょっと貸してって言って、ていう感じで。


ーなんかクラスの中で自分でやろうみたいな感じだったの。

なんかその勝手に。勝手に。
いやまあなんか、これはただDVDにするからって言って撮るとつまんないじゃないですか。だからなんか、普通に何気なく撮った。


ー撮っといて、あとで作っちゃおみたいな。
それなんでだろうね、なんで生まれたんだろう。完全なんとなくなの?感情的には。

うーん、なんだろう。うーん。うーん、なんでなんでしょう。
もともと、多分けっこうその思い出っていうものに価値を感じてるのがけっこうあって。
だから、今でも中学校の時の思い出思い出ですごい残ってますし、昔の写真とかすごいよく見返しちゃいますし、けっこうなんかいい面も悪い面もあると思いますけど過去にけっこう引きずられるというかなんか、思い出をけっこう愛しちゃう感じがあって、それでなんか撮っときたいなと思ったのかもしれないですね。

それとあと、なんか兄ちゃんがその時に、なんか、今学校祭でそういうことやってるんだったら、まあカメラみたいなのでちょっと撮ってもいいんじゃないみたいなこと言ってくれたのがあってそれも後押しになった。
あとはおじさんが、なんか、そういうイラレとかフォトショとかプレミアとかそういう系の仕事をしてて、映像を教えてくれる環境があったっていうのもけっこうでかくて、多分それおじさんいなかったら、映像撮ってもどうしたらいいのかってのは多分わかんなかった。なんもできなかったから。そうですね。


ーいろいろ重なって。

そうですね。兄の影響もありますし、そのおじさんの存在もあるし、友だちがお父さんのカメラを借りて持ってきてくれてたっていうのもあったりと、いろいろと。


ーでは、次は自分の夢についての質問で、将来自分がこうなにしたいとか、まあ今やりたいことでもいいんだけど、これを目標に生きてるみたいなところを今度は質問です。

夢。まあいろいろ迷ってるとこなんですけど、やっぱりなんか、金儲けがそんなしたいわけではないので、やっぱり、頑張ってる人を応援したりだとか、誰かに喜んでもらえれば幸せだなってのがあるんで。
まあちょっと職業とかってなると、今はすごい迷ってるんですけど。


将来的には僕、静岡出身なんですけど、まあ静岡もすごい好きで、静岡の人のためになにか、まあできたら、なんか、静岡の人をちょっとでもなんか幸せにできたらなあと思っていて。
まあそれの手段としてもしかしたら映像があるかもしれないですし、そしたらあと研究会で勉強しているソーシャルビジネスだったりNPOとかそういうものかもしれないですし。
なんか、ルートはいろいろあるんですけど、最終的な夢としてはまあ静岡の人をちょびっとまあ幸せにというか、静岡の人のためになにか喜んでもらえるようなことができたらなっていう感じですね。ちょっとまだ全然抽象的すぎるんですけど。


ーなるほどね。人を喜ばせるってのが、これ(写真)で自分の中で気づいたっていうことなのかな。

多分振り返ると、一番大きいのがこれ。


ーうん。最初の経験で一番大きい。

そうですね。はい。
で、その後、大学入って、その人の、他の団体のために映像を作るっていうのをやってるなかで、ダンスサークルの春公演の映像を2年連続、僕1人じゃなくて、何人かで作ったんですけど。その中でも、あの人たちめっちゃダンス頑張って、毎日徹夜で練習してる中で、でも映像で協力って形でやって。終わった後本当、めっちゃ喜んでくれて。春公演本番直前、1週間ぐらいリハの度に映像の修正とか入るんで、1週間ぐらい残留みたいな。ほんとに、ほんとに人生で一番寝なかった時期なんですけど。
でも、1週間寝なくてもやれた自分がいて。
でも、それ、多分でもなんか、自分の受験勉強の時とかはそんな頑張れなかったですし、自分の、やっぱ人の、すごい偽善ぽくなっちゃうんですけど、人に喜んでもらうためっていう部分のモチベーションは自分はすごい高いなってのは再確認できて。


ーだろうね。でも、そんなんできないっしょ。ね、自分になにか利益があるわけでもないしね。

別にお金もらえるわけでもないし、むしろ深夜に学校に行くと、タクシーとかになるんで、お金が。
まあそういう経験が何個か活動の中であって。
そうですね。いいなあそういう活動いいなあっていうのが。


ーそれが完全に夢に繋がって。
で、今はそれがどういうルートにしようかっていうのは模索中みたいな。

そうですね。まあ映像を仕事にするかって、多分しないと思うんですよ。
なんか製作会社とか入っちゃうと、ほんと、ひたすらきついだけみたいな。


ーそこの、自分のその最終到達点に行くルートとして適切かどうかってところだよね、多分ね。

それだったら映像は、なんか、それこそ友だちの、将来友だちが結婚した時とかに、あとは友だちの誕生日だとか、そういうとこの使い方でこれからはいいかなっていう。


ー地元の人に限定してるっていうか、静岡の人を幸せにするの静岡の人ってのは、まあやっぱ地元だからっていう。

そうですね。地元だからっていうのが、あって。なんか静岡の人って多分、けっこう地元愛強い人が多いって言われてるんですけど。
でも僕多分、県外出た人の中で一番静岡帰ってると思うんですよ。結構な頻度で帰ってて。うん。何で好きかって言われると。別に他の人も同じように静岡で育った中で、なんでそんな静岡が僕好きなのかなって言われると、それはちょっとなんか思い出に浸ってる部分があるのかもしれないですけど。なんでなんですかねえ。


ーまあなんとなくね、言葉にできない部分に強い思いがあるのかもね。

もしかしたら10年後とかは逆に神奈川に、そういう思いを感じてるかもしれないですし、そこはわかんないんですけど今のところは静岡。その大学、こっち出てきてからも、なんかこっちだけの活動じゃなくて、静岡の、その静岡市の成人式の実行委員とかもやったりして、静岡での活動もちょいちょいして。


ーそっちの活動と、例えばさっき言ったダンスサークルの活動の映像作る時のなんか自分のモチベーションだったりとか思い出の違いっていうのは感じたりするの。

ああ。うーん。そうですね。うーん、そうですね、違う部分が多分あって。
静岡の場合は、その成人式のとかは、静岡のやつは、そんときはなんか、違いは、多分、なんか、誰のためってのが具体的にイメージできたからどうかってので。
ダンスサークルの場合は、とか、今までのその大学での活動は、本当対象、誰のためっていう対象が本当目の前にの実際のこの人ってのがあったんですけど、静岡のやつは、なんかなんとなく静岡に貢献したいみたいな感じで。
じゃあ、そのなんか静岡の20歳の人たちの成人式をプロデュースみたいな。で、その時はなんか静岡のためと言いつつ、でもじゃあその相手で誰ってのがほんと漠然としたまま多分やってて。どっちかって言うとやってる俺かっこいいみたく多分そのとき思っちゃってたんですよね。やっぱその静岡でやるとその静岡の大学生が多いんですよね、静岡の県立大学とか。そうするとちょっと基本ちやほやされるじゃないですか。そこにちょっとなんか酔ってたかなって今ちょっと思う実際。

最終的に成人式のなんか、結果として上手くいかなかったんですよね。当日、あんまり人も集まらなかったですし、内容もあんまり盛り上がらなくて。
誰のためってのが明確に見えてなかったのが、最終的なそのなんか踏ん張りというか頑張りのとこにすごい影響してた。
結局最後なあなあになっちゃった感じなんですよね。そこがすごい、まあなんか反省というか。


ー教訓というか。

教訓ですね、はい。


ーなんか今まで話したことで言い残したことだったりとか、これは言っときたいなってみたいなのがあったりしたら。

言い残したこと。そう言われるとなんか偉そうなことなんか言わなきゃいけなくなる気が。


うん。うーん。まあ言いましたねたぶん。




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