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私とあなた

あなたの言葉を聞くたびに
あなたに近づいていく。

あなたに近づいていくたびに
あなたになれないことに気づく。

悲しいも楽しいも嬉しいも寂しいも
あなたと同じように感じることはできない。

あなたと目が合うたびに
あなたを愛おしく思っていく。

あなたを愛おしく思うたびに
あなたになれないことに気づく。

私が見るあなたは私にとってのあなた。
あなたの見る私はあなたにとっての私。

それを理解して今日もあなたを思おう。

河本一衣

人の語りを聞くということは

明けましておめでとうございます。

今回の年末年始は大阪で過ごし、東京には帰らないことにした。
関西に来てもうすぐ4年、大阪に引っ越してから1年と少し。
なんだか今回は大阪で過ごしたくなった。
多分この街や自分を取り囲む人との関係性がそういう気持ちにさせてくれたんじゃないかなと思う。
それはとても幸せなことだと思う。

昨年の9月に大学時代の後輩からある本をいただいた。
岸政彦さんの「断片的なものの社会学」という本だ。
岸さんも社会学という学問の研究の中でインタビューをしており
その中での経験や、その経験から感じたことや、考えたことが綴られている。
この本の帯には、「人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。」とある。
僕もインタビューの活動を始めて、約4年半。(大学を卒業してからはだいぶペースが落ちてしまっているが)
インタビューするということはまさにこういうことなんだと思う。
思うというか感じる。
なんだろう、これは、多分、人の心の内面に関わる濃密なインタビューを、何度もしているうちに生まれる感覚なんじゃないかと思う。

人の宝物と夢に関するインタビューをこれまで60人にして来たが、「ある人生のなかに入っていくということ。」というこの感覚は、とても不思議な気持ちにさせる。
誰かの宝物が自分の宝物となり、誰かの夢が自分の夢になる、そんな瞬間が何度かあった。

インタビューの活動の中で、生きている3人の祖父母の話を聞いたことは自分にとって生き方を考える、大きな経験だったと思う。
自分はこの人たちから生まれたんだということを、初めてちゃんと認識というか、理解した経験だったと感じている。
多分、そこからだと思う。自分の中の色々な欲が削ぎ落とされていったのは。
これを成し遂げたいとか、こうなりたいとか、自分の中のそういうもの突然小さく見えて来てしまった。

だからか、ここ数年はこの年末年始という季節の恒例行事の今年の目標では、同じことを言っている気がする。



あまり欲しがらず、まずは手に届く範囲にいる周りの人のことを幸せにして、目の前の人のことを素直に好きだと言えるようにしたい。
目標って毎年変えなくてもいい、毎年思い出せればいい、と感じる1月1日。

選択するということの自分らしさ

とある集まりの中で人が選択するということは、その人のアイデンティティだって話をした。
これはAIとかが計算して自分がするべきことを指示して生きたらどうなるのか、という文脈の中で生まれた考え方だった。

朝早く起きないといけないけど布団の中でギリギリまでいちゃう時、
早く寝ないといけなくてもコーヒー飲んじゃう時、
もうかなり酔っ払ってるのにあと一杯飲んじゃう時、
お腹がすごく荒れているのにラーメン食べちゃう時。

その選択1つ1つはとても非合理的なんだけど
それでも選択しちゃうその行動はその人らしさを表していると思う。
僕たちは日常的に選択の連続で生きている。
無意識的なものであれ意識的なものであれ。

仕事でメモを取ってる時のペン回しのようなものだってそうだし、
もう少し大きな意思決定である、高校や、大学の選択だってそうだと思う。
その1つ1つが積み重なって今のその人があるのだと思う。

それはこの先のことを考えてもそうだと思う。
未来にどのような姿になりたいか、それを考えた時に自分の選択というものは小さいものから大きいものまで、1つ1つが重要な要素になるのだろう。
何人もの人にインタビューをして話を聞く中で、誰かの夢が自分の夢になる瞬間があった。
その夢というか、そのなりたい姿になるためには、これからの自分の選択がとても重要なファクターになると今思う。
時間やお金の使い方、誰と過ごすか、何に投資するのか、全てが自分を作っていく。
今の自分だからそれを選択するし、その選択によってまた自分が作られていく。

お金を使うことは何かに対する投票だという話も聞いた。
安いモノを買う時、それは安い労働力に投票している。
環境に良いものを買う時、それは環境保全に投票している。
労働環境に配慮されている会社の製品を買う時、それは良い労働環境に投票している。

投票は生産しているとも言えるのではないかと思った。
消費するということは生産しているということなのではないかと。
正確には生産するというより、生産することを誰かに投資しているのではないかと。

自分がどんな風になりたいか、自分がどんな世界に生きたいか
そう思って日々の消費をすることは、もしかしたらとてつもなくクリエイティブな選択をしていることなのかもしれない。
未来の世界を作るのは1人1人の消費なんじゃないかな。

今年もあと少しになったところで、これからの自分の生き方を考えさせられる考え方に出会った12月でした。
こんなことを考えられたらまた少し自分の明日は変わるのかなと思います。
来年がどんな風になるかはわからないけれど、意志を持った選択を増やせるといいかなと思う。
そんな年末です。

日々の中で気づいたこと

暑い日が続く季節になりました。
夜中も寝苦しいですね。僕は冷房・扇風機をつけない人間なのでなおさら。。。

この1ヶ月くらいで色んなことが起こって
めまぐるしく日々が過ぎていく中で様々なことを感じて。
その中で気づいたことを書き留めておこうと思う。

人間関係について。
自分が相手のことを好きに思っている度合いと相手が自分のことを好きに思っている度合いに
ギャップがあるとそれはストレスの原因になってしまうのでしょう。
例えば、相手のことをすごく好きなのに対して、相手が自分のことを好きじゃないとそれはとても悲しいことで
逆に、相手のことをそこまで好きじゃないのに、相手が自分のことをとても好いてる場合にはそれはうっとうしいと感じてしまうというような具合。
好きの度合いだけじゃなく信頼度みたいなのも同じことが言える気がします。
あと◯◯として好きの◯◯が異なる場合にもストレスにつながるだろう。
「友だちとして」に対して「恋人として」とか、お店とかで「お客さんとして」と「お店の人として」がどっちかが「友だちとして」だったらそれは失礼というような感情につながるでしょう。

もう一つはやりたいこと、やるべきこと、やらないといけないことをいかに一致させるかという話。
自分の生活の中での行動は基本的に上の3つに分類されると思います。
仕事にしてもプライベートにしても。
数学の集合みたいな感じで、3つの丸が重なる部分の活動は基本的にストレスが少ないです。
逆に一つの領域にしか属せない活動というのはストレスが大きくなってしまいます。
やりたいことっていうのは簡単で、なんの縛りもなく素直に自分がしたいと思うこと。
やるべきことっていうのは、金銭的もしくは社会的な面から考えた時にやった方がいい結果になること。
それは例えば、ちょっと収入がアップするとか、周りからの評価が上がるとか、周りにが少し幸せになようなこととか。
別にやらなくても大きな問題は起きないこと。
やらないといけないことは、自分が生活をする上で絶対しないといけないこと、ルールとして決まっていること。
簡単に言ったらお金を稼ぐということ。
最近はこのバランスが崩れてしまっていることに少しストレスを感じてしまっているように思える。

ちょっぴり自分の進退を迷い中。
ここからの長い人生を生きていく上で今どうするべきなのか。
少し難しいことで、悩んでいる間にも時は過ぎてしまっていって。
あと80年は生きるそんな覚悟とともに。

身体というリアル

久しぶりに記事を更新して
まだ書きたいことがあるので書けるうちに書いておこうと思います。

高校時代の予備校の先生が昨年の10月に
「鳥居をくぐり抜けて、風」という映画を公開しました。
先生は僕が高校生の時から神社の映画を撮りたいと言っていて
この3月にもアンコール上映があり、10月、3月と2回映画館で見ました。
その映画の中では、那智の滝や熊野本宮、神倉神社など熊野のエリアがよく映っています。
元々先生も那智の滝を見て神社や自然が素晴らしいと感じたのがスタートで、映画を撮りたいと思ったとのことです。

そんな先生の影響を受けてこのGW前半は2泊3日で熊野古道を歩いて来ました。
私は昨年の8月から大阪市内に住み始めたので、スタートは大阪からだったのでした。
和歌山は隣の県なのですが、新宮までは特急で4時間ほどかかります。
着いたのはお昼前。

新宮駅から20分弱歩き、神倉神社へ。



















500段を超える石段を登り、ゴトビキ岩の下へ。



















ここでおにぎりをいただき、今回の旅のスタート。
歩いて15分ほどのところにある速玉大社。















1日目はここから那智大社まで20km強の熊野古道を4時間半ほどかけて歩きました。



2日目は那智の滝のある飛瀧神社にお参りをして、熊野本宮大社へと繋がる小雲取越、大雲取越の古道を歩きました。



















約40km、約7時間、峠を2つ越えるコースを歩き本宮大社へとたどり着きました。

















1日半で熊野三山を回るのは大変でしたが、とても気持ちのいい時間を過ごすことができました。


熊野はとても大きくて、自分が小さく感じた。那智の滝もどっしり・ずっしりと流れていた。
時間をかけて自分の脚で歩いたということにとても意味があったと感じている。
普段乗っている電車や車、自転車のすごさを改めて感じる。
いろんなことを考えながらただひたすらに山道を歩く。
足を着いた時の大地の感触、鳥の鳴き声やトカゲや蛇の這う音、木々の揺れる音、緑の匂い、全てに身体性がある。
PCやスマホを使い、慌ただしく過ごしている中で忘れてしまった感覚、全てが心地いい。


この感覚を忘れてはいけないし、この感覚を与えてくれる場所を無くしてはいけないなと感じました。