池田優(23)

ーではなんでこの写真を大切なものとして選んだのか。どういう写真なのか。

理由だよね。えーっと、まあ数ある中でこれを選んだ理由は、まあこの写真っていうのはなにかって言うと、初めて人生であの、自分一人であの、海外に行って、で、そこで色んな経験を経ながら、経て留学っていうのを過ごしてきた人たちとの最後の記念写真。
で、俺としてはすごい、その留学の経験ていうのはすごい今になって生きてるなとも思っていて。やっぱりかなり勇気が、あの求められたことだったし、あっちに行って1人で、で、俺なんてさ言語能力が全然ないからさ、コミュニケーション能力、取れるかとか心配だったわけ。
で、まあ不慣れな生活をしながら、こういうルームメイトに支えられながら、いろいろとね、あっちで、あっちの文化というかカルチャーを学ぶことができた。
ていう意味で、すごいあのこれは思い出深い1枚になってるなって思ったんで、今回これを選んだ。


ー今まで数ある経験の中でていうので、特別これがっていう、これになった理由。特別な理由っていうのは。

特別。
やっぱりさ今までさ、いろいろやってきたよ確かに。バスケ部に入って、まあそこでも色んなさ、ことがあったりして、まあ学ぶことも多かったし。まああとは俺とかはさ、その大学受験とかしてさ、浪人とかもしながら、まあ色んな経験本当にこれまで23年間やってきたけど。どれもねその自分から、そのなんだろう。
自分、周りの支えがなくて、ない状態で、飛び込んだ経験ていうのは本当にこれくらいしかなくて。やっぱりその何かする時には、絶対周りにその支えてくれる人がいた。例えばバスケ部だったら先輩もそうだし、同期もそうだし、後輩もそうだし。
で、浪人の時はさ、家族の支えがあったから、金銭面でも負担してくれたり、まああるいは一緒に浪人した仲間たちと一緒に励まし合いながらやってきたっていう中で、けっこうなんだろ、支えられることが多かった。


今回は本当に、誰の力も借りずに、その自立できるように、なんていうんだろう、そういう精神力も鍛えられるだろうなと思ったから、まあ乗り込んだ経験というのもあって。
まあだから最初はやっぱりさ、なんだろう、自分一人でさ、なんかサイトをググったりしてあっちでの生活の仕方とか、自分なりにね模索しながらやっぱ生活してきたっていうところもあったんで。
まあ、そういう、ま、こういうさ、あのルームメイトの協力もあってあっちではうまくいったってのもあるんだけど。最初のうちはかなりその、挑戦したっていうような思い出がたくさんあったから、そういう意味でこれはけっこう毛色が違うのかなっていうような印象あるかな。


aaa










ーそこで挑戦する、自分で挑戦するということに意味がけっこうあったと感じる。

うん、そうだね。
まあさ、なんていうんだろうな、まあどこまでできるのかって気になるじゃん。気になるっていうか、大切じゃない。その、まあそれを知れる機会にもなったし。
で、実際にその、まあ1ヶ月2ヶ月しかいなかったけど、色んなこと学べたし。そこで自分がその、なんだろう、行く前はけっこう不安だったことも、あっちに行ってるからけっこうできたりしたり、まあそこでの達成感もあったりして、まあそういうので、なんていうんだろうな、色んな刺激も受けたし。
まあ本当に行ってよかったなっていう経験しかなかったから、まあそういうなんていうんだろ、チャレンジすることにやっぱ意味があったのかなっていうようなね。

で、あっちでさ、あっちの鉄道の乗り方とかさ、例えばだけど高速道路の乗り方とか、全然知らないわけじゃない。けどそれもさ、あの、なんだろ、手探りでさ現地の人につたない英語で聞いて、で、実際に俺とか休みを使って、ボストンからニューヨークまで1人で、高速道路とか使って1人でビュンって行ったりして。
で、あっちでさ、なんか変な街に入っちゃって、なんかおばさんに連れ込まれそうになったり、けっこう危ない橋渡って来た部分もあんだけど。まあそういうのもやっぱさ、挑戦しようとして1人で乗り込んだから、その巡り会えた経験でもあったし。
まあそこを乗り越えて来たっていうところもやっぱ自信にもついたし、なったし。それはやっぱ、そういうところに意味があったのかなっていう、そのチャレンジすることにね、あったのかなって感じはする。


ーチャレンジの部分が大切なものに近いのか、得た経験とか学んだことが宝物に近いのかってどっちなんだろ。チャレンジのとこも学んだことに入っちゃうかもしんないけど。

ああそうだねえ、あの、総合的に含めてだね。あの意味合い的には。
もちろんさ、俺が1人でその勇気を出して、振り絞って行ったっていうことにも意味があったと思うし、そこに価値はあったと思うんだけど。
まあ結果としてあっちで得られたものていうのがやっぱり多かったっていうのも、やっぱりその大切な、あの大切な思い出の一つになってる要因でもあると思うから、そこは分けられるものじゃないなっていうくくりになってて。
勇気を出したことに伴ってついてきたもの、ていうのもやっぱり俺にとっては肥やしになったと思うし。
これから社会に出ていく中で、けっこう、なんていうの、自信、自信ていうか、この時の思い出を振り返って、あの時自分でいろいろ乗り越えてこれたから、まあ今後もそのできるんじゃないかっていう希望にもなってるから。
まあその全体的に得た経験も、その飛び込んでいったことも踏まえてすごいこれは大切な位置づけかな。


ー例えばその今学んだものだったりとか経験ていうところで具体的にこういうこととかってのはあったりする。

学んだことね。ここに行ってでしょ。
まあ今言ったこともそうなんだけど、まあ一番はやっぱりさ、なんて言うんだろ、言語能力、スピーキング能力、あとはヒアリング能力とか、まあやっぱりコミュニケーション能力ね、総合的な。あれがやっぱり、低かったなって思い知らされたよね。
やっぱ日本にいるとさ、みんななんか、いやできないっしょできないっしょって、みんなで傷舐め合うみたいのでさ、まあそれでいっかっていうような状況になってた部分があったと思うんだけど。いざ行ってみるとやっぱ悔しいし、周りさコミュニケーション取って、最初のころだよ。そのあっちについて最初の頃、クラスメイトみんな仲良くしてる中で、速すぎて聞き取れなくて、なんかちょっと俺だけ輪に入れなくなり、そういうのやっぱ悔しいじゃん。
で、そこでやっぱ痛感もしたしさ。
所詮大学受験のさ、あの、頑張った英語がその実際のコミュニケーション能力に結びついてるかって言ったら、全然そんなこともなくて。まあ単純に大学で怠けてたっていうのもあるんだけど。

まあそういうのも含めて全部、その実体験として肌でわかったというか、まあそういったことが学びの中で一番大きかったかな。まあそれだけじゃなくて、そこから悔しさになって、まあそのなに、電子辞書片手になんとかコミュニケーション取ろうと思って、下手な英語言って。で、まあその、通じた時の嬉しさっていうのももちろん学びだし、こういう風にそのトライしてみたら、通じるんだっていう気づきにもなったし。まあそういうのも含めて全部学びだったのかなっていう感じかな。
まあ、あとは、あれだね、文化の違いっていうのを知れたっていうのはけっこう面白かったかな。それも学びなのかなとかで。全然違うんだよね、日本人の生活スタイルとさあっちの生活のスタイルっていうのが。やっぱさ、そういう消費者発想的な部分も違ってて、うーんなんて言うんだろうなあ。おもしろかった普通に。

で、あっちは、あっちのなにアメリカ人とかの性格的な部分は全然日本人と違って、すごいフランクなんだけどけっこう大雑把っていうところもあったり。あるいは、俺のルームメイトはさ色んな人たちがいて。例えば、エジプト人かな、ロマリオ君ていうんだけどさ、彼はもう本当に15歳くらいからその語学スクールに来ていて、で、アメリカにずっとちっちゃいころに住んでいて、高校とか行かないでそういう語学スクール、世界から集まる語学スクールにその留学に来てる子たちがいたりしたんだけど。
そういう人たちも、全然、そのなに、俺ら日本人とはちがくて、なんか、なんて言ったらいいんだろうな。すごいギャグセン高いけど、でも意外にそのなに、勉強熱心だったり。なんだろうね、まあそれは人によると思うんだけど、その国民性っていうのはけっこう出てる部分もあったりして。
俺はそういうのを見てるのはすごくおもしろかったりして。で、そういう人たちが一つ屋根の下で共同生活してるっていうのはすごいいい経験になったなというのは一つあったので。まあその文化的な意味合いと言語的能力の自分の立ち位置を知れたっていうようなところとか、まあそういうのがなんか学びになってきたのかなっていう印象かな。うん。


ーそういう学びが、今までも生きてきたりとか、これから生きてくなってことだったりとかっていうのは。あったりする。

そうだねえ。えっと、まあ社会に出てから、そういう踏み込んでいったっていう経験ていうのはすごい、なんていうんだろ、これからそういう決断に迫られた時に後押ししてくれるっていう意味合いで、生きてくっていうのは確信していて。

まあ、あとは、そうだねえ。あの今後社会に出るとさ、なに業務で海外に出ていく機会ってもちろんあると思うんだよ。俺も行きたいって思ってるし、まあそこでね、他の海外の人たちと、今まではこういう留学で、その何、コミュニケーション取って仲良くするの目的にしてたけど。
今度ビジネスケース、ビジネスのレイヤーとしてのそのコミュニケーション能力っていうのが必要になってくる時に、あの、今回こうして行った経験を元にさ、あのときいけたんだから今回もいけるよって、で、あれからもう成長してるだろう、自分も、信じて行って、で、そこで新しい気づきを持って帰ってきてっていうのの、その連鎖がやっぱ起きてくんじゃないかなっていう。
まあそういうのの起点になった今回の初めての海外旅行だった、海外旅行じゃねえや海外留学だったのかなっていう感じはあるから、まあ今後に繋がってく部分は多々あるのかなっていうイメージは持ってる。


ーなんていうんだろう、自分のそのチャレンジしたっていう経験と、今後の社会に出るための、出た時に生きるような学びとか経験というのがこの大切なもの。

そうだね。うん。やっぱりなかなか経験できるもんじゃないし。うん。なんだろうな。
普通にただ漫然と学生生活過ごしていたら得られなかったものっていうのがやっぱりいっぱいあった。
まあだからそこはやっぱり、飛び込むべき価値があったものだと俺の中で思ってるから。うん、そこがね、やっぱり今までも色んな経験あった中で、一番そのインパクトに残ってる鮮明な、これから先も思い出として振り返るビッグイベントだったなじゃないかなっていう、はい、感じです。


ー次は自分の将来の夢について。やりたいこととか目標とか。

それはもうなに、写真関係無し。


ー関係なくてもいい。自分が一番強くこう思ってること。

そうだね。まあ俺もさ、まだ学生だし、言っても。まあ漠然としたアウトラインを持ってるけど、まあそれが具体的に、詳細に決まってるわけじゃないんだけど。
一応その夢というか、やりたいこと、っていうのがあって。で、もともとそのファッションに興味、関心を持ってて、ていうのがあって。
それをね、そういう分野で、社会にインパクト与えられるような、その人材、人材、人になりたいって思ってて。ただ、それを実際のビジネスにするのは、ビジネスとしてやっていくのはけっこう不安ではあって。
で、一時はその、別の道を行こうと思った時もあったんだけど、やっぱり振り返った時にたった一度の人生なんだから、やりたいこと夢っていうのには素直でいないといけないと思ったし。


で、やっぱりそのやりたいこと、夢っていうのは、やっぱりその、自分がやって楽しいことじゃないとやっぱり続かないと思うし、モチベーションも上がらないと思うし。
そういったことを考えた時に、やっぱりその、自分が本当にこれまでの人生で好きだったものとか、ここだったら誰にも負けないぞってところを伸ばしていく人生ってのを選んでいきたいって思ったから、まあ今回、そのファッションていう道を選んで。


で、ちょっと話戻すと、そういう自分のやりたいこと、好きなことっていう部分を磨きながら、それで戦っていって。
で、今いろんなイノベーターがいると思うんだけどさ、その、なんて言うんだろう。
これまで出てこなかったとうな取り組み、それをするのは勇気がいることだと思うんだけど、そういうのをどんどん発信していけるような人材。
で、それがその、結果としてその、社会に形に還元されて、よりよい方向に向かっていく。そういう壮大な、あの、おぼろげな、あの、形の夢っていうのは描いていて。


でもまあ、それは、あのなんて言うんだろう、夢物語じゃなくて、日々の努力とか、今回こういう風に行った、勇気を出してきた経験、これまでの経験とか全て総合して、まあその生かしていって、まあちょっとずつ叶えていくっていうような人生設計をしていこうと思っているので。
まあ、なんだろうな、いろいろと脱線したけど、重ね重ねで申し訳ないけど、自分の本当にやりたいことを貫いて。死ぬまで。えー、やっていって、で、社会にいい結果をもたらせるような、えー、ビジネスパーソンになりたいという夢は持ってます。
すいません。


ー本当に自分のやりたいことをやり続ける、突き通すっていうのはどういうとこからこう考えが生まれてきた。

それはね、うんとね、やっぱ環境が、今までの俺だったら、多分流されて、例えば父親のその業界に行ったり、まああとは、けっこうなに。なんかありきたりなマジョリティな方向に多分行ってたと思うんだけど。
やっぱり環境が俺を変えていて、今俺が通ってるキャンパスっていうのは本当に色んな分野でそれぞれ自分たちがやりたいことを、その真剣に取り組んでいて。
で、中にはそれを本当に自分でビジネスで体現して起業してやっていくやつもいれば、その大学時代に磨いた専門スキルを生かしてその生かせる環境に飛び込む人がいたり。なんだろう、じぶんのやりたいことを学生時代もやってたし、これからの社会に出てもやろうとしている人たちがいたと。


やっぱそういう人たちと接点が多かったっていうことで、ある種感化されて、なんていうんだろう。
やっぱさ、そういう人たちを見てるとすごい生き生きしていて。話聞くだけですごい楽しそうだし、なんか俺ももっと自分の人生楽しんだ方がいいんじゃないかっていう思う時もあったわけよ。
ていうのも、これまで、やっぱさなんだろう、敷かれたレールに乗って惰性で生きてきた部分もあったり。なんか自分のやりたいことを、まあその、本当に周りからの反対を押し切ってやったことっていうのはあんまりなかったなっていう気もしたから。
まあその、社会人になる手前、今、かなりのターニングポイントに、分岐点になってると思うんだよ。
ここでね、後悔するとやっぱり一生後悔すると思ったから。
そこはやっぱり自分のやりたいことをやろうとそこで決意したっていうのがあったんで。まあだから、周りかな、キャンパスって環境がそういう決断を後押ししてくれた。
実際そのキャンパスの人たちからそういうアドバイスをもらって、今回こういうような決断を出したってところもあったんで。まあそこの影響がかなり大部分を占めてるんじゃないかなって感じ。


ーあともう一つはファッションの方を選んだ理由っていうかなんでファッション業界なのか。もともと興味あったっていうのはどこらへんからとかなんでとか。

やっぱりさ、その、ファッションてカルチャーなんですよ。
カルチャーって文化でしょ。で、あれってcultivateからきてるのよ、英語。耕す。
ファッションもある種、文化って位置づけができると思ってて。
その体っていう皮膚っていうその聖地、土地をまあいろいろいじくったり、それがピアスだったり、服で着飾ったりっていうので。そういうので自分を表現していく文化だと思ってるわけ。

で、昔からあるものだしさ、で、今までいろんなそういう歴史があって、今のファッションていうのがあるわけでしょ。まあ、本当に自分を表現するそのツールとして生きてる、あの、中で、そういう文化的なものをもっと、なんて言うんだろうな、日本ならではの文化っていうのを発信していく、そういうところにもともと興味があって。
だからその京都に行ってそういう着物とか、なんて言うんだろう、昔ながらのさそういう侘び寂びのものにも触れるのが好きだし。なんて言うんだろう、そういう日本人らしさを生かしてそういう着飾るっていうようなところがすごい興味があって。
もともとそこからファッションに入っていって、で、実際にいろいろな文献とかそういうその業界の著名な人たちとなんだろう、いろんなイベントをしたり。今もやってんだけどね、やって。

で、まあそういうさ、その、なんて言うんだろう、まあけっこうホットな、あの、分野だと思ってるんだよね。
ていうのもさ、やっぱ、技術も進んで、3Dプリンタ出て来たり、Fab、FabLabの会議出てたけどさ、自分たちのものつくりっていうのがやっぱ多様化して来てる中で、色んな分野でそのmakeする方向にシフトしていってると思うんだよ。
それは、ファッションももちろんそうだと思っていて。
で、今のオープンソースのサイトっていうのもいっぱい出て来てるでしょ。で、ファッション、服づくりもさそのなに、設計図とかっていうのも今サイトとかでシェアしていって、こういうアイディアがあるんですよっていうのとかも、どんどん出て来てるプラットフォーム見たいのがあるわけ。
で、そういう状況の中でさ、やっぱり、なんていうんだろう、これからどんどんファッションも多様化してくと思うんだよ。
その自分たち、消費者が作れるような環境になっていくかもしれないし。もっともっとデザイナーの人たちが別の、なんていう、スタイルを生み出して発信していくかもしれないし、その可能性ていうのはもっと無限大にあると思うんだよ。
で、衣食住の衣でしょ。だからその、人間の生活の根底にある要素じゃん。ファッションって需要もあると思うし、やっぱりその影響力っていうのもすごい大きいと思うわけ。から、そういうスケールの大きい目線でやっていく環境でもあるし、ぜひチャレンジしてみたい環境でもあったっていうので、今回そのファッション。

で、自分の好きなことだし、長続きもするだろうし、で、やっていきたいと思う気持ちも強いだろうし。ていうので、まあそのー、あんまり行く人いないと思うんだよファッション業界なんてね。けど、そこをね、自分ならではの人生ていうか、ていうのを歩んでいこうかなっていう風に決意した理由になってるのかな。
なんかいろいろ言っちゃって、ちょっとなんか飛躍化して、ちょっとなんか見えてないかもしれないけど。
まあ、何が言いたかったかっていうと、ファッションというのはけっこう色んな可能性があって。で、文化的な側面があって。
で、そのなんていうの、日本人に密接に関わってる分野でもあって。で、そういう中でその新しいその、ものを生み出したり発信したりするっていうのをすごい、あの、意味のあることだと思うし、影響力の大きいことだと思うからそういうのにバンバンチャレンジしていって、あの、生活をより、のクオリティをより上げていけるようなことをしてみたいっていう風に思ったっていうのが、あれファッション業界を選んだ理由ですっていうのが言いたかった。


ー言い残したことってあったりします。こっちも含めて。

言い残したことね、うーん。そうだね。うーん。なんだろう。
題材があれだよね、大切なものよね、人生においてね。

うん。まあやっぱさ、人生において大切なものって、よかっただけじゃないんだよね。よかった時の思い出だけじゃないんだよね。
その大切なものっていうのは、その、よかったし、その中で、まあなんて言うの、苦しい時もあったし、まあそれを乗り越えたっていうような時もあっただろうし。
まあそういうなんかいろんな感情が、本当に凝縮された体験ていうのが、やっぱりその自分の人生の中でインパクトを残していて。
で、そこから学べるものも多くて、今後の人生に生かしていけるようなものなのかなっていう風に今日話してて、なんて言うんだろう、感じたかな。
ただ単におもしろかったり、本当にこれよかったわって、思うエピソードってわけじゃんくて、実はその中で苦労もしていて、で、辛い思いもした。でもそこから這い上がってきったっていうようなところで得られた学びだとか、経験とかね。
あとはそういうようなのもひっくるめて、自分の人生で一番輝ける思い出だってことかなと、ようなのを再認識させてくれる機会になりました。ありがとうございました。


ーそう、ファッション業界を選んだっていう、今までの自分だったらっていうのの、キャンパスの環境もあったけど、その、この経験もやっぱあんのかなって、その勇気。っていうのはちょっと感じた。

うんうん、あ、そうだねえ。うんうんそうだねえ。本当になんだろう。ここでやっぱり飛び込む勇気っていうのは、初めて体現できたエピソードだったのかなっていう風に思ったし、ここ、これがなかったらこれまで通り、そんなに学生生活も漫然と過ごしてきて、で、就職活動も無難なとこに行って、ぶなーんな人生をね。
もしかしたら、それはさ結果的にさもしかしたら幸せだったのかもしれないし、そっちの方がもしかしたら裕福なってたかもしれないし、そりゃわかんないよ。ブラックボックスですよ、僕たちからしたら。
けど、やっぱり、悔いは残したくないっていうのがあった。

で、これもやっぱりさ、学生生活って4年間ていう短い時間じゃん。それは過ぎちゃうのってあっという間じゃん。だから、今行かないでどうするんだっていう、ここで行かなかったら悔い残るぞって思ったから、去年思い立って。
ちょっとなんか偉そうに言ってるけど、俺春休みしか行ってないから、1年間行ってる人とかいる中でこういうのをなんかね偉そうに語るのはすごい恥ずかしいんだけど。
ただ俺にとってはけっこう、なに、勇気のいる、あの、留学だったっていうこともあり。まあそうだね、なんか恥ずかしくなってきたな。

まあ、なんか、まあでもその経験はやっぱり、なんだろ。

まあファッション業界選ぶっにあたってやっぱ勇気いることだと思うんだよ。周りがさけっこう、なに、一流、一流どころ行ってるじゃない。金融とかさ。で、まあそんな中で、そっちの方選んだっていうのは、やっぱりある種勇気がいることだよね。

人生にかかるからね。男って養っていかないといけないから。やっぱりなんかそういう生活の部分もさちゃんとできるのかなとか。いろいろね考えたよ、考えたよ。考えたけど、やっぱりその悔いは残したくないっていう今回のこの留学の時と一緒で。

で、まあその将来的にね、働いてて、なんで俺こんな仕事してんだろうって思いたくないし、それってすごい不幸なことだし。そう思わないためにもやっぱり自分がやりたい方を絶対に選んだ方がいいなっていう。
で、努力すれば実力もつく、実力がつけば必然的にそういう待遇面も、お金もついてくるということを信じて、俺はやりたいことを選んだっていう感じです。
なので、今回のこの留学の経験がそういう決断を通してる中でも生きてきたのかな。
まさに君がおっしゃるような、あの、感じは僕も受けています。



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