小笠原高志(54)

ーこの写真をなんで、自分の人生において大切なものとして選んだのかっていうことと、この写真がなんであるかってことをお願いします。

まずこの写真はね、那智の滝だね。
で、那智の滝に行くのは僕は三回目。で、えっと、撮ったのこれね、今年2013年の2月10日くらい。で、あのー、ちょっと取材で、あのー2月の6日この近くに神倉神社っていう神社があって、そこにお灯祭りっていうお祭りがあるんだよね。
で、ご存知のようにあの、那智っていうのは3つのお寺、神社があって。で、この那智の滝っていうのはその3つの神社のうちの1つ。で、これはあの滝の向こう側に、あの鳥居があるわけで。で、左側にまあ社務所っていうか、こっちの方であの、お札売ってたりするんだけど。

初めてここ行った時にさ、普通神社って言ったらこう社殿があるじゃない。
で、それを拝んだりお賽銭入れたりするんだけど、この鳥居の向こうにはもう滝があるだけでさ。滝に向かってこう拝むわけでね。そこでもう、滝そのものが神様であるっていうことを、もうはっきりと体感したのがまあ10数年前で。
で、それまで、その、日本の宗教に関しては、まあ無関心だったんだよね。まあ、日本人てよく無宗教て言われるんだけど、むしろ無宗教と言うよりも無関心で。

だけど、あの、これをきっかけにさ、神社に関してすごく気になるようになって。
そうすると歩くともう至る所に神社があるんだよね。で、この那智の滝が、まず日本には神社がある。しかもさ、その神社っていうのは基本的に自然信仰で。ここだったら那智の滝が神様になっているわけだよね。
あるいは他の神社に行ったら、例えば海が神様になっているところ、海に向かって鳥居があったりするところもあるし、あの、海辺にはその弁天様、弁天神社とかあったりなんかしたり、あるいは富士山だったら富士山が信仰の対象になってるよね。
で、富士山の場合は浅間神社っていうわけだけど、あれ自体が、全体が神様である。
あるいは、諏訪大社であるならば守屋山ていう山がやっぱり神になるわけだけど。

日本人はその土地土地のまあ代表的な自然って言っていいと思うんだけど、うーんその土地の非常に象徴的な自然物、恩恵になるもの、この場合は那智の水、水がやっぱり恩恵になるわけで、那智の滝が枯れたらこの世は終わるっていう考え方をしてるわけで、確かに我々にとって水がなくなったらさ、もう命も途絶えてしまういうことだよね。
そういう意味で、日本人のその神道という宗教観というのは、具体的な自然、これが、時には水ていう具体物であったり、それから時には富士山という山で、それはやはり雄大で美しい、でそこにきっとその頂上の方に神様が集まるだろうっていう風に古代の人たちが考えたりしていた。
この先進国でさ、そういうその、いわばこの古代的なアニミズムがさ、こう残っている、ていうのは非常にあの、珍しいことである。
うん。
しかもさ、この神道ていうのは、この場合はあの滝が神様であり、ある場合は山が神様であり、稲荷神社であれば稲が神様であり、あるいは、群馬に絹先神社てところがあるんだけど、そこは雷が神様なんだよね。
それから今年遷宮やってる伊勢神宮はあれはまあ天照だから太陽が神様なんだけど。だけどさ、太陽を奉っているんだけど、その神殿に太陽があるはずはないよね。で、だけど、こう遷宮してるわけだ。で、何を移してるかっていうと、実は空気なんだよね。だから、伊勢神宮のご本尊は空気であるわけで、まあそれをこう二十年ごとにこう移し替えているっていうあの奇妙なことをやってるんだけどさ、文化っていうのはそういうもので、全く非合理的なことをさ、こうずっと伝えているってところの面白さがあるんだけど。

で、この那智の滝もね、上の方にこれ、ちょっと見えないんだけどしめ縄がちゃんとこうついていて。やはりこれが神であるっていうことの、あの表れになっているやっぱり。で、三度目行ってね、あの、ここで改めて思ったのがあのちょうど、去年この紀伊半島がものすごい洪水に見舞われて。
で、実際ね僕も車で、10日間あの、撮影して取材して歩いてたんだけど。あの、ところどころ行き止まりになってるしところどころがけ崩れの跡、それから工事中、うん、本当ね東北行った時に近いんだけども。
途中で道がさ、こうがれきでさ、もうなくなっちゃったりしている。それから、ある道の駅に行ったら、あの目の前、あそこの隣なんもないでしょ。だけどあそこ家あったんだよって言ってね。崩れちゃってね流されちゃったよとかさ、まあそういう被害があったところで。で、那智の滝も、これあの、ものすごいね、あのがれきが崩れ落ちてきたりなんかしていたんで。この横に見えるのクレーン車だよね。で、クレーン車でここの修復工事をしている最中。

で、これも非常に現代的であって、で、日本のさ、1つの宗教観って言ってもいいと思うんだけど、これはその神道の宗教観のあとに仏教が入ってきて、そこで日本人が受け入れた仏教的な、あの哲理っていうのは無常観だよね。全てものっていうのは変化していく。
で、だからその無常観を受け入れたっていうのもさ、自然災害をさ、こう、せんなしって言葉があるんだけどもう自然災害やむを得ないっていうさことで、受け入れてきたわけで。それはこのような水害の場合もそうだし、あるいはあの震災なんかの場合もそうだし、だけどそういう被害も被るわけだけど。
だけど、あのそれを受け入れながらまたあの、作り替えていく、修繕していく。だからその、自然そのものっていうのが、あの、我々に普段はすごいいいものを与えてくれるっていう。この世に水をこんこんと与えてくれている。だけど時に暴風雨が起きてこれが崩れ落ちて、そういうその怖さもある。だからその、神様っていうか人間の力を越えているものっていうのは人間に恩恵を与えてくれると同時に、だけど人間以上の力を持っているから、やっぱりこうそれもえー与える。うん、で、我々にとってやっぱり神のようなものっていうか、そういうものっていうのはやっぱり恐れの対象であるってことも日本人は受け入れいてきたわけだよね。

で、あの、このまあ、あの、那智には3回行ってるんで、あのまあ三度目の1番新しい写真なんだけども。そういう意味でその、クレーンも写っているところもめ、この2013年のこう時代。これがちゃんと写って、写っているわけだし。人も、やっぱり相変わらず、あの2013年、21世紀になってもあの、この滝をね拝みに来ている。そういう、まあここに来ている人は観光として来ている人が多いとは思うけれども。うん。
で、観光であると同時にやっぱりすごいなっていう、やっぱりこんな滝があるんだなっていうことで。うん、自然の大きさとかあるいはずーっと続いているこの滝の流れであるとか。そういうこう人間のこう世界を越えているあの存在を目にするっていうこと。で、それは、あの、特に宗教心云々っていうことでなくてもね、我々は自然そのものにあの畏怖の感覚を得たり、うん素晴らしいなっていう感覚を得たりする。
えー、その気持ち、新鮮な気持ち、感動する気持ちっていうのは、あの宗教的な感動っていうこととあの、まあかなり近いというか、あの無縁ではなく、え非常にあの強制されたものではない、あの、感受性というのかな。決められた宗教だから拝みなさいよっていうことではない、まさにあのその前に、目の前に、美しくて雄大で、あの、人間の世界を越えたものがあるっていうことだよね。まあそれに対する感謝の念だとか、畏れであるとか、尊敬の念であるとか、そういうものが起きてくるっていう。

で、その、やはり日本の神道というのいわばが唯神論に対する汎神論だよね。まあ一神教に対する多神教って言ってもいい。非常に具体的に目に見えるものを神としているっていうところが実に面白くって。これが、あの、人格神の唯一神のまあユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教とはやっぱり徹底的に違うところであって。
ああいう宗教の抽象性とは違った、非常に具体的なものですよね。自然物ですよね。
それを信仰の対象にしているっていうことを、これをはっきり目で見てわかる形になっている、1番わかりやすい形になっているのがあの那智の滝で。
僕にとってはそれがきっかけでね、あの、10数年前、それをきっかけに那智の滝に関心を持ち始め、それからまあ日本全国の神社をまあ撮影したり、取材したりして歩いていて。まあ、1つの趣味でもあり、ライフワークの1つでもあるっていう、えー、ところで。
まあ今ちょっとそれをなんとか、あの、ドキュメンタリー映画にしたいなっていうことはあの、ここ1年思ってて。まあ仕事仲間も、あの援助してくれているんだけど。
やればやるほど難しいね。


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ーじゃあこうその自然、自然の偉大さというか、そういう色んな気持ち、人間を助けてくれるし、たまに時としてそれ以上に災害をもたらすこともあったりっていう、ことに対する畏怖の気持ちとかっていうものを気づかせてくれたものみたいな、そういうことになるんですか。

あの、というか、それはそれより後の話で、あの、それは観念的にはもともとわかっていた。ある程度わかっていたことではあるけど。
うーん、1番やっぱりあの重要なのは非常に単純で。
鳥居の向こうに神様がいる。で、その神様が滝だった。その事実だよね。うん。


ーそれがやっぱ人生の中で、大切なものっていう写真で表してくださいって言われると、それが1番自分の中では大きくっていうかしっくりくるものだったていうことですか。その時に感じたことが。

うん。
あの、まあ、那智の滝に行って以来、うーん、まあこれが、あの、まあ僕はある種神社オタく的なところがあるんだけど。こう、だから神社検定とかもさ受けて、毎年ていうか去年から始まってね。うん、神社検定3級とか2級とか受けているわけで、あの、検定の前には神社の色んな話をこう勉強したりするわけなんだけどさ。うん。

で、まあ色んな、例え映画見てても神社のシーンが出てくると、やっぱり非常に気になる。まあ街歩いてても、もちろん気になる。
で、つまりね、自分の人生の歩き方に非常に大きな影響を与えてるのね。うん。旅に行くなら、やっぱり神社、神社巡りみたいな感じとか。あるいはどっか行ったら、うん、例えばあの沖縄に行ってもね、あの最終的は沖縄で用を済ましたら、あの残りの日程を沖縄の神社を歩くわけだよね。
で、場合によっては、あの、そこのお参り来てる人とかそういう人に話聞いたりなんかして。まあ1つ言えるのは、自分の仕事も含めてその文化ってなんなのかってことをやっぱり考えることも自分の普段のね仕事の1つだから。
で、その文化を考えるってことは、宗教を考えることでもあるし、あるいは言葉を考えることであるし、こういった食べ物、食文化を考えることでもあるわけだけども。
あの、那智の滝に出会ってから、自分の生活がね、あるいは気になる興味関心がやっぱり相当影響を受けている、ていうところが大きいんじゃないかな。


ーなるほど。これをきっかけに、生活の仕方だったり、生活の見方だったりとかっていうことが大きく変わって来た。

行動だよね。


ーそれが生きてきた中でいろんなタイミングで変わると思うんですけど、1番大きかった出来事だったてことですかね。

うーん。


ーそれとも今のってのが大きいんですかね。

うーん。常に色んなあの、出来事があるわけだよね。
で、例えば、その、友人関係もたくさんこうあるわけで、友人であるとか、あるいは僕の先生であるとか、そういう人から受けた影響ってのはすごく多い。色んなとこから、色んな人の影響を受けて。
で、ただね、この人が1番ていうことってなかなか言えないの。親もいるし、家族もいるし、友人、先生たちもいて。みんながそれぞれの1番であったりするわけなんだよね。
だから、この話、実は、生徒からこういう話されてるんだーって言って、で写真選べって言われてて。俺那智の滝にしようと思ってるんだとかって言ったら、友人がさ、なんで俺たちとカンヌ映画祭行った写真にしないんだよとか言って。俺だったらカンヌ映画祭で4人でタキシード着て写したやつにするぞとか言ってんだけど。
うん、うんまあだけど、もちろんね、僕にとってはそれもすごいイベントであったし。なんつってもその半年後に一緒に行った友だちが死んだんで、その友だちがガンだったんだよね。最後に連れてってあげよう。彼はフランスに5年間住んでた男だから、最後もう一度フランス行かしてあげようっていう、そういうあの、こともあって。それもすごく大きなことだけども。
だけどそれはさ、過去のことなんだよ。
だけど、那智の滝は今も流れてるんだよね。しかも、あの、これから俺ら死んでも千年後那智の滝流れてるんだよね。千年前も流れてたんだよ。
そういうスケールで考えたいんだよね。


ーそう考えるとこの写真に至る。

そう、この写真になる。うん。
いずれ、まさに無常でさ、俺もいつか死んでしまうわけだ。
うん、那智の滝もこうやってね、こう災害にあったりするわけだけど、だけどこれは流れている。これが止まったら、もう世界が終わるときかもしんないね。


ーこの大切なものっていう写真に対して、言い足りないこととか、言っておきたいことってあったりします。

うん、あのー。えっとね。
あの、メールにもちょっと書いたんだけど、あの、この那智の滝のすぐ近くに、南方熊楠がさ3年間住んでいて。
知ってるかな南方熊楠って。知らないか。


ー存じ上げないです。

南にね、南に方向の方に、南方熊楠って人で、えーっとこの和歌山県出身の人で、あの、東大の予科で夏目漱石とそれから正岡子規とえー、同学年だった。同期だった人なのね。
で、ただまあ、正岡子規と夏目漱石は東大に進学したけど、南方熊楠は進学できなかったの。なぜなら、勉強が嫌いだったからというか、大学の授業が嫌いだったのね。
うん、なぜなら授業はかったるいから。
自分で勉強した方がよっぽどあの、色んなことがわかるっていうので。
で、この人は5歳の時から和漢三才図会っていう江戸時代のあの、博物書があるんだけど、それをずっと書き写していた人。百巻ぐらいあるんだけどそれをずっと書き写したんで、江戸時代のさ、要するに百科事典を全部覚えてんのね。
で、絵も字も書き写してて。絵もすごく上手。
で、字もあのそれで覚えた。この人は全部独学で勉強する人で、だから授業に出ないで博物館とか図書館でずっと勉強していて。
で、あの、勝手にね、イギリスに留学して、大英博物館で独学でまたずっと勉強するの。
で、日本人で初めてNatureっていう今もある科学雑誌、あれに論文を掲載していた人で。
要するに、日本の天体ってどういうことになってるかとか。それ、当時のイギリスはね、ちょうど西暦1910年くらいのイギリスであるわけで。あの、イギリスにとっては日本の天体だとかさ、あの生態系だとかそういうことわかってないわけ。で、それを南方熊楠が科学論文としてNatureに掲載されたりなんかして。

それから、夏目漱石がさ、あの、ロンドンに留学して、2年間留学して、ほとんどノイローゼで外に出られなかった中で、熊楠は論文書くわ、バカにされたらさ、あのパブでね、相手をこう殴ったりするわさ。すごい、暴力、腕力も強いし、語学もまあ、数学もできるような、あの現代日本の天才ですよ。
僕もね、熊野のここにこもって、でね、粘菌類をここで採集するわけです。だから彼は粘菌学者として非常に有名。当時東大の粘菌の教授が20くらいの粘菌を発見したんだけど、熊楠は120種類くらい発見した。だからこの、大正時代になるんだけど、あの、携帯用顕微鏡と、それからスケッチブック、絵の具、これを持って森の中に入っていって、顕微鏡を見ながらさ、粘菌をこうスケッチしていた。

で、多分、ここから俺の推測なんだけど、南方熊楠は何をしようとしたかって言うと、やっぱりね神様を実証しようとした。うん。
でね、じゃあ神様ってなにかって言うと、あの目に見えない大切な働きって考えるならば、粘菌類って言うのは目に見えないわけだよ。だけど、動物植物そして環境をね、上手く繋いでいる働きであって、その目に見えない働きこそ神の働きで。まあ、それはあの、古代人にとってはアニミズムみたいなもんでね。
やはりね、ここは熊野で、まあ、だいぶ前に世界遺産になった熊野古道があるわけだけど。昔から聖地であったわけだよね。
で、ここのはそういう、あの、生態系がそのまま、あの、残されている自然があって。
あの、日本の神社って言うのは基本的に生態系を残すっていうことが。
で、南方熊楠は日本で初めてエコロジーっていう言葉を使った人。うん、うん、生態系って言葉を使った人。で、日本で初めて生態系の裁判を起こした人。うん。


で、つまりね、あの、ちょうどこの写真を撮った時、今年の2月だけども、ここに行く時に、あの、えっと、今現在和歌山県の神社は1800くらいあります。
で、今日本で1番神社が多いのが、えっと新潟県で4000くらい。かなり少ないのが大阪で、大阪少ないの、700くらい。でね、和歌山って熊野があるし、それから三重県は伊勢神宮が。伊勢神宮も、1000いくつで少ないの。
で、どうして少ないのかってのがやっぱりね疑問で。で、それもなんかね答えが見つかるかなって思って行ってみたんだけど。答えが見つかったの。
それはね南方熊楠記念館っていうところがやっぱり和歌山にあるんだけど。そこに行くとね、実は、明治時代には和歌山県に神社が3300くらいあったのかな。それがね1800にあの、少なくなった。それはなぜかって言うと、神社統合令ってのが出された。うん。
つまり、こう、こう、こうってこういくつもね、それぞれ村の鎮守の神社があったわけよ。それをね、まとめよう、で、それはなぜかって言うと、国家神道のためだった。
うん。

明治政府っていうのは天皇原理主義であるわけで、そういったさ、ヒエラルキーを作っていったわけ。で、伊勢神宮を頂点にして天皇家に関係する神社っていうのは上の方で、えー下の方はあの、末社とかなんとかって言われて、大した神社じゃないって言われて。
だから都道府県の中に1つずつさ、神宮ってのを作った。うん。
だから、神奈川県だと鶴岡八幡宮だよな。うん。で、それが県の中で1番上。で、それで、ランク付け格付けしていって。ちっちゃなそういうところはまとめていこう。
で、まとめる時っていうのは、そのちっちゃな神社っていうのはさ、やっぱりあの、壊されてしまうわけだ。だから明治の時代っていうのは日本の文化革命の時代であって。
まあ、一方では廃仏毀釈が行われたわけでさ、仏教が破壊されたわけでしょ。それは国家神道のためだよね。で、そこで、南方熊楠はそういう統合して、こうこっちの神社をなくしちゃったらそこの生態系が崩れる。
で、初めてエコロジーっていう言葉を使ったわけだ。

で、ところが三重県とこの和歌山県ていうのは非常にその神社を統合を推進した県だったの。だから、推進した県だったの。だから、半分以下に神社の数が減った。
で、南方熊楠は怒ってさ、それに対して。その、神社統合を積極的に行っているあの、県の部長さんがいるんだけど。その人が講演しているところにね、ビールを飲んで乱入して殴りかかってそれで牢屋に入れられた。そういう人ですね。
で、まあ、ここに惹かれるもう1つの理由っていうのは、やっぱりこの南方熊楠っていう人間がうん、その、生態系こそが日本の神社、鎮守の森であり、だから、日本の宗教っていうのは、やっぱり言葉じゃない。うん。教えじゃない、自然そのものを残す。うん。
そこで、我々はそこの生態系が残っているそこの風が吹けばさ、その香りで気持ちよくなる。あるいはそのね、さらさらっていう音であの、気持ちよくなる。
非常に具体的に、あの、自然の恩恵を受けているってことが、うん、まあえー、付け加えるとしたらそういうことですかね。はい。


ーそしたらもう1つ質問があって、今の自分の夢とか、やりたいこととか、実現したいことがあったら。

はあはあはあはあ。夢とかやりたいこととか実現したいことね。うん。
あの、やっぱりね、ちゃんと自分である程度の期限を決めて、で、目標を設定して、で、それをあの、実行したいってことなんだけど。
具体的に言うとその神社を、に行って来たりとかね。あるいは自分で、色んな活動をしてきた。文章書いたりしてきた。まあそういうことをあの、ちゃんとした形でまとめておきたいっていうことだね。うんうんうん。

ある程度整理した方が、まず自分自身のためになる。まあ、あのまた新たな方に出発できるっていうこともあるし。まあ、あの数は少ないであろうけども、まあそういうものを見たり読んだり触れたりなんかする人がいて、まあそういう人に伝わればね、うん、あの、それも1つの生態系の作り方になってくる。やはり、この、例えば、この那智の滝から僕はやっぱりこう受けているわけでね。
で、自分が受けたものをやっぱりまたどこかに発信していく。で、その発信するような装置だね、メディアだね。それは映画でもいいし、本でもいいし、あの、ささやかなものでいいと思うんだけども。
それはやっぱり形にしておかないと、発信がちょっと無理になると思うんで。そういうことができれば今年中にやりたいなと思ってるんだけどね。
まああの、2月3月くらいにね、仕事がわりと楽になる。


ーそういう発信したいっていうのも、今あったんですけど、生態系を守るみたいな。やっぱりここに影響を受けている。

うーん。そうだねえ。
影響を受けているっていうよりも、うーん、やっぱりずーっと自分でやってきたことが、その言葉を探すこと、言葉に出会うこと、言葉からあの、なんだろうなあ、こう、言葉をきっかけに、例えば一行の俳句を読んで、そこで、そこからその俳句を作った人の姿が少し見えてくることってあって。
やっぱりあの、言葉からどうしても出発していることは多いですよね。今まで。
で、なんだかんだ言っても記録に残すのは言葉であることが多いわけだし。
で、プラス映像なんかもあるわけだけど、むしろそういうことをやり続けた中で出会ったのがこれ、そういうことだね。
だから、那智の滝に出会わなくても、何らかの形でまとめたい、発表したいっていうのはもともとあった。


ーその発表したい事柄の中に神社だったり那智の滝のことが入ってくるっていうそういう感じですよね。

それがこれからずっと続いていくっていうことだよね。


ー他に今のインタビュー全体を通してあったら。

うーん。全体を通して。

うーん、そうだねえ。
ああ、あとはね、そう。
その、まあこれからその那智の滝をきっかけにね、この神社に非常に関心を持つようになったわけだけど、まああの自分の中で、こう、わかりやすく神社、日本の神道って何か、えーそれを言うならば、1つは元祖コンビニエンスストア。うん。
やっぱりその24時間こう開かれている。しかも困ったときだけ神頼みに行けばいい。非常に便利。都合がいい。人間の側の都合で、その時えー、神様が生まれてくるというかさ。普段はいないんだよ。困った時、受験のときとか出産の時とかそういう時だけあの、頼りにできるっていう。人間主導のまた信仰の仕方であるっていうことが1つ。

それからもう1つは、教義がないわけだけど、一応お祓い、お清めってのがあって。あの、祓いたまえ清めたまえって言うわけだよね。うん。
で、そういったその、習慣、きれい好きっていう伝統は、日本人の文化的な特性であり。うん。その現代的な成果がウォシュレットだよね。世界で最もね肛門の美しい民族。
世界のさ、あのトイレ行ってもね、日本が1番トイレが美しい、多い。
3月にスペインに行ってたんだけど、もうトイレがない。だから、うん、本当にないんだよ。普通駅だったらあるだろ。日本だったらさ。デパートとかにもあるだろ。ないんだよ。しかもさ、あの、ちゃっちいやつがさあの、50円くらい、50セントくらい、有料トイレだよ。日本の普通の公衆トイレみたいのがな。
だから僕は、1番困ったのは、スペイン人はどこでこう小便してんだみたいのが不思議で。
で、街の中でさもうトイレ探してもないから、仕方がない、道路のさ真ん中に森あるんだよね、こっとにこうこう、森の中でさ、こっち道路車ばーって通ってる。しました。
ははははは。以上。



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