江藤俊(24)

ーなぜそれ選んだのか。

うーん、なんだろうな。
やっぱりその、ずっとさ、24年こう生きてきてさ、まあ多分本質的なとこは変わってないのかもしれないけど、まあ要所要所、色んな変化をしながら成長していく中で、全く変わらないのよここは。変わらない、そうだねえ、場所。
それは多分、なんだろうなあ。その、こう、なんだろうなあ。やっぱ、本当に、見た目からもそうだし、匂いとかさ、常連のお客さんとか、うーん、自分のなんか、こう、多分その小学校の時と、ちっちゃいころと、今行くのでは感じ方は違っても、なんだろうな、物質的なものって変わんない本当に。
それはなんか、うん、唯一じゃないかなこんな変わんないの。
ていうのが選んだ理由の一つではあるかね。
なんかほら友だちとかも、変わっていくって言うと変だけどね。うん、付き合う人が変わっていったりとか、あー、する中で、常に、変わらない、っていうのが一番大きなものかな。


ー変わらない場所だとなんでそれが大切なものだと感じるんですか。

うーん。別に、自分的には変化がね、怖いとかさ、例えばほら環境の変化とかあんじゃん。社会人になってとか、初めての奈良でみたいな、怖いみたいなこといっさい思わないんだけど。でもそれ思わないし、ずっとそれどんどん変わっていっても多分楽しめるし。
むしろそれを求めてるんだけど。うーん。そうだから、求めすぎて、だから変わってないものがこれだったっていうか、な、なんだろうなあ。なんで大事か、変わらないことが。
うーん。なんだろうねえ。うーん。
ちょっと待って今からまとめるからね。変わらないことがなぜ大切か。
うーん。
まあ変に、まあけど、単純に本当に落ち着くんじゃない。
こうなんかさ、どんどん変化していく環境で、最初はこう慣れないけど徐々に順応していって、適応していって、やっぱ、全然こう違和感ないんだけど、っていう作業がいらないよね。唯一、こう、すっと入れるっていうか。落ち着くな、落ち着くなあ。


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ーそれは大切なものとして選んだ理由の中には、自分の父親の店だっていうことも。

それは、まあそうだね、あるね。


大きい大きい。うーん。なんだろう。
自営業もそもそも、まあ、あんまりいないし、周りにも。なおかつ喫茶店もね、あの。
あんな髭はやしてるやつもいない。今、まあ今ていうか、昔はいなかったんじゃないそんなの。まあ普通に働いてたら生やさないもんね。
うーん、なんか、うーん。なんだろう、近くで見ててまあおもしろかったし、身近になんか特別感がある感じはあったかな。うん。
で、そのおかげでさ、まあ色んなお客さんの話とか聞けるし、なんだろうねえ。普通にさ、学校に通ってたら、まあ自分の親、なんだろうな、まあ大人っていうのと触れ合うの、親か、学校の先生か、まあぐらいやと思うんだよね。まあ他にもあるけど、習い事とか部活とか。それ以外のその大人の人と話を聞けたりするのは、そうそうそう。というのは貴重なことやったんかな。


ーそれ、その場所がなかったら、こうなってなかったとか。この場所があったからこうなったみたいな、そういうものってありますか。

ああ、この場所がなかったら。
そうねえ、まずなかったら。
まずなかったらねえ、親父が要はサラリーマンしてるってことでしょ。想像つかない。
なかったら、うーん。あ、単純に多分コーヒー飲んでない。あれ苦いでしょ、どう考えても。え、最初思わない普通に。俺嫌いだったもん最初。
あの実はと言うとね、匂いもね、好きじゃなかったのよ。もう本当ね、コーヒー、コーヒー臭いんだよ、車臭くて。
そう、そう思い出したわ。最初嫌だったなあ。ああ、大事とか言っときながら。最初嫌だったね。


ーいつから。

いつから。なんかね、多分、わかり出したんだろうね。歳とってさ、その自営、まあ喫茶店やってるってこともレアなことなんだってことと、まあなんかそれだけこだわりを持ってることになんか気づかされた。


多分高校ぐらいじゃない。でやっと、その価値をふんわり、なんか感じ始め。
で、俺飲めなきゃダメだみたいな。それはよくわかんないけど。かっこわるいとは違うんだなんか。かっこつけたいとかじゃなくて。なんか飲めなきゃダメなんじゃないみたいな。
で、無理してなんか飲むようになったんだよ。そうそうそうそう。無理して。そうだねえ。
最後、高3の時とか、受験期の時とか、持ってってたね学校とか。それでも寝てたんだけど俺。それでも寝てたんだけど。


ーそれはなんか背中から読み取ったっていうか、なんか暮らしてる間に、話しててとかじゃなくて。

うーん、そうね。やっぱり、そんなに、裕福と言えるほどの金をまあ店は生んでなかったし。で親も、だから母さんも働いてたしとかで。まあ、要はなんだろうなあ。まあいいことばかりではないわけじゃんね。そういう。
で、なんかそういう、なんだろうなあ。リアルなお金の話とかさ、散々まあ聞いてきたっちゃ聞いてきたんだよね。で、そうなるとさ、まあ単純に考えればそんなんやめて、ていうかもともとしなきゃよかったじゃんとかさ。うーん、だって、でしょみたいな、ほら、なるでしょ。とか、うーん、さっさと、さっさとじゃないなあ。そういう感じなら、違う仕事の方がいいんじゃないとかも、いろいろ思ってたけども。うーん、けどやっぱなんだかんだ、ね、それを残そうとしてるじいちゃんばあちゃんとか、母ちゃんとか、いろいろ見てて。で、かなあ。


で、その本当毎日のように来てくれる人、もう毎日来る人がいるんだけど、社長で。とか話とかさ、なんで毎日行くんだよって話じゃん。俺その毎日行くとこねーなとか思ったり。うん、まあ、そう、だからそういうことからかね、なんか。まあけど本当今でこそさ、ひたすらさ、本当にルーティンワークじゃん本当に。本当同じことしかしてないわけじゃん。尊敬する逆にそこは。そこは。いやあ。
で、特に定休日もなかったし、1人晩酌ぐらいでしょ。なんか飲んだりもしないし。本当もう、なんだろう。あの、店もやけど、あの人、親父も全然変わんないもんね。本当に。


ーお父さんも含めて、大切なものに入ってるんですかね。

まあ、それがないと、そうね。親父のこれってもんがないもんな。セットな感があるよね。あの人にとってのアイデンティティでしょ完全に。ね、多分。


で、まあだからあってよかったって話は、そういう、本当にリアルなね、ほんと金の話とか、聞けてたねえ。別にそれで、なんか、はあ世の中金なのかって悲観するわけじゃなくて。感覚として。
で、今それでほら、大学でいろいろ商学で、軽くさわりで勉強すればわかるじゃん。そりゃそうだよな、この回転じゃなとか、これはうすいなとか。まあいろいろ考えるもの。
あとはなんかね、びっくりしたのが、福岡にいる時に、ワークショップのいろいろこう手伝いとかやってたんだけど、一緒にやったりとか。
その時に、なんだろうなあ、あの、一緒にこうコーヒー飲みながらとか、お菓子食べながらこう模造紙にいろいろ書いてみたいなやり方のワークショップだったから、コーヒー屋さんがきてて。その人に、ちょっと、そうそう、コーヒー屋さんのなんか師匠みたいな人が来てたの。
そしたら、で、こうああ、いやおいしかったですみたいな。実は僕、親父が喫茶店やってましてみたいな。ていう話したら、ええっとか言って、どこでみたいな。熊本なんですよっつったら、ええっとか言ってもしかしてさみたいな、TIMELESSみたいな。うわああみたいな、な、なんで知ってるんですかみたいな。
で、話聞いたら、そう、なんか、なんかの多分協会じゃないけどなんかので知り合ってて。そんときにその、いやあ、あんな、そうねえ、あんな価値のあるというかそういうものを出しているとこは本当に少ないから覚えてるよっていうことをなんかね、こう。


要は、うん、普通に一般、常連で来てくれる人は美味いって言ってくれるじゃん。で、そのプラス、その、なんだろう、本当にその道の人がそういう評価をしてるってのを聞いて、なんか、は〜って、ちょっとなんか感動を覚えたみたいな感じでね。
で、やっぱりその、うーん、やり方はいろいろあるかもしれないけども、やっぱその、美味しいものを出すっていうことに関してはやっぱプロフェッショナルなんじゃないかと、ていうのを福岡で知れた。関係ないとこで。えーっと、外側からの評価とかあんまわかんないじゃん。なんか視点がね変わんないと。で、そういうのも知れて、は〜って思ったね、その時は。


ーそうすると、場所として好きなのもそうなんですけど、やっぱお父さんの話が強く入ってくるのかなって。

うーん、そうねえ。そうねえ。そうだ。そうなってくるな。


うーん。俺はそんなに思ってるのか親父のこと。


ー他の理由とかは、あるんですかね。

他の理由。うーん。
まあけど、なんかね、あれだよ。なんかね、ちっちゃい頃から、えーっと小学校、まあ中学校、小学校くらい。田舎だからさ、まあやんちゃなやつも多いわけで。
で、そのなんだろうね。よくなんかね、こう、これちょっとこじつけたかも、まあいいや。
大人びてるみたいなこと言われてたんだよ。なんかね、あんまり、なんかこう、ようはなんかちょっといじられたりしても怒んないし。なんかほら、そうなんかそういうもう相手にしないみたいな。なんかほら、なんつうんだろうなあ。まあいろいろ前後含めて、そういう言われてて。たぶんまあ、もともとの性格上、そんなまあ怒ったりしないタイプなんだろうけど、どっかでこうそうやって大人びてるって言われるのが、まあ気分が良かったんだろうねえ。
で、なんでそういう、うーん、そのなんだろなあ。そんなにその、その言葉に反応してたかっていうのは、まあ、ねえ。そう、やっぱその、親父がその喫茶店やってて渋いとか言われるでしょ。そういうのを見てきて、なんか、そういうのをかっこいいと思うようになってたんじゃない。


ー憧れてた。

かもしれないねえ。だから早くこう大人になりたいとみたいなその、って思ったのかもしれないねえ。
あとすげえ全回でさ、子どもみたいに全力だ、で遊ぶお父さんみたいだったら、その、まあそれもいいと思うじゃんそれだったら。
だからほんと、一緒になんかね、そういうキャッチボールとか1回もしたことない、1回もない本当に。だってそうだもんね、本当に、えー俺が起きる時にはまだ寝ててみたいな、で寝た後に帰ってくるみたいな感じだから。で、相談もしたことないし、したことないねえ。ああ。ああ、そうそうそう、ないね。まあいろいろ話してもなんかあんま返ってこないってのもあるかな。ボール投げてもねこう。壁かみたいな。返ってこないこともあるんだけど。


ーこの写真を一言で表すとしたらどういう言葉になるんですかね。

うーん、そうねえ。一言で。
なんだろうね。一言。なんだろう。
ねえ。一言じゃないな。まあいいや。あれだね。
こう大人になるための、なんだろな、階段でもないな、そういうような場所、かなあ。


ー父親の背中を。

まあだからそう、てか敬意を払ってるものだよね。


今はそう、本当に、そうね。そこ、今そこだよ、そこ。毎日同じことやってるっていうその積み重ね方はえげつかないでしょ。と思って、えげつないなあと。うん、そこは真似できないな。でもそれくらいほら、こつこつ積み重ねるみたいなことは、なんだろ、別にその行動パターンが全て同じじゃなくてもさ、なんか、コツコツ何かを積み重ねていくって意識はいるなあと、本当にそれは最近思ってること。そうねえ。


ーここまで、なんて言うんですかね。

まあだからそれが、これがなかったら親父のこと、こんなね、尊敬するようなことなかった。って言ってもいいくらい、あの、なんだろう、他のね、なんかこう、親父との繋がりを表すもの本当にないんだよね。


ーじゃあ父親と自分をつなげてくれる場所みたいな。

かもしれないね。うん。


ああけどそうね、つなげてくれる場所かもね。
そうだ、これなかったら、まじで、話すことないもんね。とか。
うん。
そうねえ。そうねえ。そう。
そうねえ、うん、そんな感じかな。


ーじゃあ次は、自分の夢とか目標、達成したいことについて。何か、将来こうしたいとか、こうなりたい、こうやっていきたいみたいな。

うーんとね。ちょっと、ふんわりと漠然としてんだけど。なにかを、ある時期ね、人生かけてまでとは言わないよ。なんかある時期、きゅって、えーっと専門性のあることにぎゅーっと取り組んで行って、例えばそれと全然関係ないことを、まあ天職なり、なんだろ、なんでもいいな、なんか関係ない分野のことをやることになっても、多分ここですごくこうなんだろう、前のめりで取り組んだ時に、多分身に付くものって、どこ行ってもじゃないけど、変な話、遠ければ遠いほどというか、なんかね、多分絶対役に立つんだろうな、って思ってるというか。それはなんか、大学の頃にいた身近な社会人の人の例とかもあるし。
うん、だからなんかこう、今はなにかこうぎゅーってこう、これだってなんか専門性が高いみたいなとこに、うん、そういう能力をつけたいなって。で、それをなんかこう、自分なりのフレームっていうか、何かを捉えていくフレームを確立させて、いろんなものを見ていきたい。その枠作りみたいな意識が、若いころというかそういうイメージをしてる。ある時までにこう確立させ、それはなんかほらがっちりっていうよりも、こうなんか、うん。なんだろうな。素材だな。がっちりこの枠でいくじゃなくて、そのなんだろうねえ。うーんと。うーん、けどやっぱほら柔軟に取り入れたいじゃん。うん、そういうの作るのが今の目標で、それを持ってして色んなことに目を向けていきたいな。すごく、ちょっとざっくりなんだけど。てのがあって。


で、そうなってくるとさ、じゃあ例えば、まあまあ自衛官だけど、その仕事に就いて、まあじゃあ転職とか考えてるんだっていう話になってくと思うんだけど、なんだろうな。まあ、何か経験して、そこを変えてりゃいいってもんじゃないと思うんだ、やっぱり。
例えばさ、よく3年とか言うじゃん。なんかね、よくわかんないけどさって。まあまあ使っちゃうけどさ。3年働きましたと、頑張ったと、で、なんかそれなりに身に付いたことって、るかもしんないけど、ただそれは3年が経っただけかもしれないし、3年の中身でこう、例えば、じゃあ、雇われてる側として、雇ってる側がこういう風な人に育ってほしいとかいろいろあるじゃん。こういう仕事をしてほしいとか、そういう求められるものに、うーん、けっこう愚直にというか、そこを目指そうとする。そういう姿勢がないとただ3年が経っただけになる。
盲目的になれとは言わないけど、やっぱりこう、求められるものを、それが自分とちょっと離れていたとしても、そこにこう向かっていかないといけないのかなと。


具体的な話すると、そのパイロットのコースで、俺結局知らないからさ、戦闘機とか、本当知らない。やっと最近わかってきたんだけど。だってもともとほら、それが好きだったわけでもないし、だからなんとなくイメージはジャンボジェット機、だから政府専用機とかに乗りたいなみたいに思ってたんだけど。この前ちょっと偉い人の話で、なんか、いやうちの我が社、我が社はみたいな話で、我が社は戦闘機の、戦闘機は優秀だ。そういう戦える、そういう人材を育てたい。
だってそうじゃんね、メインはそこだもんね。だから、そういうなんだろう、あのね、ジャンボとかに乗りたいやつは必要ないし、で、そのくらいのお金をかけてるし。そういうなんかことを言われて、まあごもっともだなと思って、まあそうだよねってなって。
で、それでもなんか俺はどっかで、なんかそういう、うん俺は輸送でいいなとか。自分で決める話でもないと思うし。で、そもそも本当ね、適性とかで希望叶わないんだよね。
まあだからそれをあいまってやけど、まあそうやって、そこが求めてるものに向かっていかなきゃなとは最近。やっとその話を聞いて思ったね、なんかね。どっかで俺なんか、そんなん知らないしみたいな、怖い怖いとか思ってたけど、それじゃねえだろみたいな。てのはあるかなあ。
そりゃだって、求められたものに向かっていってるうちに、多分さっき言ってたようなそのフレームとかできるのかなあ。


ーその求められてるものをっていうその話は、それまではあんま気づいてなくて、その話をされてそのやんなきゃなって、それとも前からずっと思っていたけど。

なんか、要はどっかで利用してやるみたいなこう思ってたんだ。で、多分そういうことを口にするやつはいると思うんだよね。
同期でも、俺別にこの会社にずっといるつもりないしみたいな、利用して、なんか、ね、能力を蓄えてみたいな。
そのなんか、なんだろうね、ちょっとこうコミットしてない感じ。な、なんつうんだろうね。そうね、それ、そういう感じだったのよ多分。前まで。
で、こう、表面上じゃないけど、まあしっかり求められたことやろうとするけども、なんかこう、ちょっとこの考えは変えたくないぜみたいな。なんか、ていう心の距離感を取りつつずっといこうと思ってったんだけど。
うーん最近はちょっとそれは違う、違うとは言わないけど、うーん、ていう今、ん、てくらい。そう、だからはっきりと言えないけど、ちょっと、でいいのかみたいな。自分なりにもそう思ってきてるから、自分ちょっと変化してきてる。


ーフレームを作って、それをこう別のとこでいかしたいなみたいな、そういう生き方をしたいっていうのは、なんで、いつごろから、どうして思ったんですか。

いつごろだろうねえ。うーん。大学の時かな。なんで思ったんだろね。いやなんか、ほんとそれこそ、本とか色んな影響なんだろうけど。そうだな、決定的なものってなんだろうな。どっかで、要はまあ定年まで働いて、おし年金だみたいなもうそのモデルって、崩壊してるような気は、まあ、まあニュースとかあるしさ、いろいろ。で、してて。それで、うーん、多分、その個人ていうことに価値があって、仕事をこうもらうような人がまあ周りにいたからだろうね。まずは、えっとお世話になったゼミの先生、教授は、もともとがコンサルトかさ、転職して、まあ官僚、コンサル、大学教授、そんな感じだから。要は教授になっても、結局外の人と組んで仕事、タッグ組んでやってたりとかあるけど。それって、別にその、じゃあ例えば、ああ、まあそうだなあ、SFCっていう名前だからくるんじゃなくて、その教授、その個人に来てるじゃんたぶん。うんっていうのがまずそう、あ、そういう仕事の仕方があるんだ。まあそれこそその人はもう大学教授ってのをまあ利用してるな。籍置いてるみたいな感じだから。
そう、それとか、あの普通に独立してて、まさかの自分の会社を名前にしてる人がいるんだけど、マジかと思って若干俺は引いたけどそこは。まあ、別に1人で生きてるとは言わないけど、依存はしてない働き方をしてる人が周りにいて。で、なんだろうなあ。そういう個々人、別に個が輝くとかじゃなくて。こうじゃあ江藤俊っていう人になんかね、で仕事ができるように。だからここについてる肩書き、ぺらってここについてるのじゃなくて、なんかこう、っていうのはうん、なんか憧れてたんじゃないかな、その大学の時から。


ーそれはお父さんもそうなんですかね。

ああ、親父もどうなんだろうねえ。そうなのかねえ。そうねえ。ああ。
そこに対してのほらなんか、要は周りがそういうサラリーマンで、固くもないんだけどそのセオリーみたいなところを行ってる人からすれば、はーって感じじゃん。すごいねみたいな、そんなことするんだみたいな。そういう、だから驚きみたいなのまず感じないんだ、そういう人見たら。うん。
そうやな、親父もそうだ。


ーていう風に感じました今。

ああ免疫あったのかもね。なんかね


ー一番最初のその依存しない働き方をしてる人に会ったのは、お父さんなんじゃないか。もしかして。

ああ、まあね。


ー感じてないかもですけど。

ああ、けどじいちゃんばあちゃんには相当依存してるけどな、あの店は。まあそれは別としてって感じやね。そうね。
まあ単純にどっかでおもしろいなって思ってたんだろうね。親父の自営業おもしれえ、へえみたいな。
だから、なんかなりたい職業ってのも別に、途中からなかったしね。なんかおもしろい感じになりたいみたいな、漠然としてるけど。だからそれがもう、ほんと働き方でおもしろいってなるように。だからずっと俺なんかその、退官まで勤め上げてみたいなこと思ってないよね。そこはまだ思ってない。うん、なんか別にそういうのじゃないけど。
うーん。


ーお父さんが、依存しない生き方をしてたから、働き方をしてたからっていうの、宝物と関係してるのかなって思いました。

かもしれんね。江藤弘が入れるコーヒーを飲みにくるということだよね。自分で持ってるものを僕はほしくて、こうね、仕事をするみたいなところは、まあ通ずるものはある。うん、それはあるね。そんなとこかなあ。



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