丸山将光(20)

ーまずはその写真がなんで宝物なのかというところから。大切なものとして選んできたか。

これは僕の震災を思い出すきっかけでもあるし、で震災、それを機にもっと頑張っていこう毎日思えるものだから宝物です。


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ー震災を、なんていうんだろうな、思い出すものっていうのが、大切なものになってる理由?

ああ、うーん。やっぱり絶対忘れちゃ、自分の中ですごく大きなイベントだったから、忘れちゃいけないと思ってるからです。
なんだろうなあ。なんだろう。忘れちゃいけない。
うーん。忘れちゃいけないと思う理由。
やっぱすごく、いろいろなくなっちゃったけど、なんか、本当にいろいろ変わっちゃったから、忘れちゃ絶対だめだなって。
なんで忘れちゃだめなんだろう。でも忘れたら、自分の中でいろんなものが死ぬと思って。なくなってしまうなあと思って。絶対忘れちゃダメって。
これボランティアした時のものなんで、いろいろ色んな人に投げかけられた言葉とか、色んな人に出会って、色んなことやって、色んなところ行ったなあとかって、いろいろ思い出します。


ー思い出すもの自体はさ、これ以外にもあると思うんだけどなんでこれなんだろう。

うーん。それ震災を思い出すってことですか。


ーうん。例えばなんかその時に壊れちゃったものとかだったりもあると思うんだけど、その中でなんでそれなのか。

やっぱり色んな人との繋がりが見えるかなって。壊れたものってのは、なんかいろいろ、いろいろ汚れたものとか、その、地震でで壊れちゃった家具とか、いろいろあるけど、そこは全然地震てだけじゃないですか。
これは地震とか津波とか原発の被害を踏まえた上で、自分で行動を起こしてできたものだから。そこはやっぱり他のものと違うのかな。


ー自分と距離が近いかつ、人が繋がってるて感じる。

もう自分で今まででもう濃密な経験だし、
もう色んな人と、違う色んな人と。まず自分より同じ世代の人がいなくて。
で、上の世代の人とか、もっと上の世代の人とか、で、女の人とか色んな人がいて、価値観がいろいろあって、すげえおもしろかった。楽しかった。
実際にやってることは辛いんだけど、やって、みんなで終わった後にご飯食ったりするのがすごく楽しかったし。


ーそれは何が特別だったんだろう。

うーん。やっぱ故郷を思ってくれてるんだなってのがすごい感じられたのは特別。
逃げて戻ってきて、テレビではこう思ってるけど、実際来てる人少ないなって思ったり、実際活動した人はこんだけ思ってくれてんだって思った。


ーその共有?

共有ですね。だから自分も頑張ろうと思った。


ー出身はみんなここだった?

いやもう全然違う。長崎県とか京都とか、いろいろ。外国から来てくれた人もいたし。すごくいっぱいいました。もちろんここ出身の人もいました。
で、ここ出身でも住めない、もう住めない地域に住んでいる人も来て一緒にやって。
そんな住めない境遇ていう、辛い、自分より辛い境遇にいるのにやってきてくれる人がいるなんて、じゃあ俺も自分もがんばんないといけないなあって話で。
逆に住んでないけど、外からわざわざ来て、こんな宮城でも岩手でもいいのに、わざわざこんなすげー危ないところに来て、ボランティアやってくれる人もいるんだって、じゃあ、じゃあもっと中の自分が頑張らないといけないなあって。
二重の意味で頑張りました。


ー思い出すとともに、あれだよね頑張る源じゃないけど、原動力。

そうですね。原動力になってます。
こういう風に原動力をくれるのが他になくて、だからそこがやっぱ、ないから大切なのかなって思いました。


ー今までの振り返った時に。自分はこのために頑張れるみたいな。

本とかも、例えば好きな作家のサインとかあった本も確かに大切だけど、それを見たところでじゃあ自分でなんかこうしたいって思うのはないし、そこは多分1人としか繋がってないし。
なんかみんなでやってみんなで作ったものが好きなんだなって思いました。
自分で、周りの手が加わって、で1つのものになった。で、かつこれもまだ書き加えられる可能性があるんで、まだいろんな場面でできるなって、これからもどんどん変わってくだろうなと。
そうですね。
1人のものじゃないから宝物なんだなって感じですね。
繋がって繋がって、色んな人の手を加えられてきて宝物なんだなって思います。


ー言葉で残ってることで思い出せるところもあるし、言葉自体にもすごいパワーはあるよね。
すごく言葉はありますね。たしかに。「行動力」とか。
いろいろ考えてきてるんだなって思いましたね。



ー次は自分の夢についてをインタビューしていくんだけど。今なんかこうやりたいこととか、こうしたいとか、希望とか、もっと長い目で見て将来こうしたいっての、まあ一番強く思えてるもの、最終目標的なものでもいいんだけど。

将来的に、すげえ最後、60歳とか70歳くらいは作家になりたいと思う。もともと本好きだし、色んなことを書いておもしれえなって思う。けど最終的にそこは作家になりたい。小さい頃から夢は作家だったんですよ。最初は絵本描きみたいな。
で、そっから変容して作家みたいな。でも作家って誰でもなれるじゃないですか。医者とかから作家になる人もいるし、作家はどんな職業からもなれるけど、他の職業ってその若い時にしかなれないから。


じゃあなににしようかなあって思ったときに、よくわかんねえなあって思ってる時に、地震が起こって、で、それからいろいろ考えて。
もともと、その作家の前は絶対地元に貢献したいなって。絶対何があっても地元に来て、地元になんかしらの形で関わりたいなあって。そのためにいろいろやろうと思って、現地に入ってやってみて、最初大学に入った時はまちづくりをやりたくて、あと放射線測定もやりたくて今の大学って感じだったんですけど。
実際入ってみて、放射線測定違うなあ、まちづくりもちょっとなんかちょっと違うなと思って今やって、今、で、現地に入ったりして、専門性を持ってる人はすごいたくさんいるんですよ。被災地復興だけど、自分は専門はここです、みたいな。
自分の先生も専門は環境工学だけど被災地でこういうことできます。エネルギー分野でこういうことができます。そういう人がたくさんいてすごい悔しいなと思って。
自分で専門性を何かつけて武器を作ろう。で、そこで自分何ができるかなって、人との繋がりもさっきもそうですけど、人との繋がりを円滑にできたらいいなあって。
最近、ファシリテーションとか、ワークショップのデザインとかすっげーおもしろいなって思って、ちょっと自分で勉強してるんです。あとは、その他におもしろいなってのは、リスクマネジメントか、リスクコミュニケーションとか、人と人との間に入っていろいろ仲介するのがおもしろいなって。そこらへんをちょっと専門にできたらいいなって。


でも就職もしないといけないし、でも就職は全然、本当に色んなことを考えていて、色んなところがおもしろいと思っていて、最終的にもう自分で起業できて福島に関われたらいいなって、いろいろ、まあいろいろ夢はあるんですけど、今はとりあえず専門性を高める。夢はとりあえずもう地元に何か貢献したい。それが夢です。
最終的に本書けたらいいなって。


ーでも就職の話で言ったら、でも、自分の大きな夢に対する手段じゃん。専門性ていうのも多分手段だよねそういう意味では。やっぱそれが一番強い。
うーん、そうですね、そこは、そこがなんか、そこに拘るのもなんか、自分で考えてることが逃げなのかなって思ってる時期もあったんですよ。
福島で被災したから、ただ自分は本当はやりたいことはなくて、こういうことが起こってしまったから、ただそれでただ悔しくてそこのことだけやってるんじゃないかみたいな。
考えることを放棄して、ただ復興復興言ってたんじゃないかって考えてた時期もあったんですよ。でも、やっぱり、その悔しいってのが本当の気持ちなんだなって。
こういうこと体験したのが自分しかいないから、そこで自分がこうしなきゃって思うのは全然逃げじゃなくて、ちゃんといろいろ迷った結果なのかなって、最近思ってきて。
地元に関わりたい、福島のことなんかしたいって思ってることに対してはもう疑問は何も感じない。


ーずっとじゃあテーマ的なのね。自分の。

テーマ、そこですね。で、でもたまにぶれるときあるから、そんときまたこれ見返してっていう。で、やっぱこういうことあったし、ここの人たちに10年後の地元に来るからそんときはなんかしててねみたいなこと言われたから、そこで絶対10年後にはなんかしたいなって思う。
だからそういうところの原動力でこれがあるから、宝物ってまた繋がる。
そんな感じです。

とりあえず、専門性をつける。武器を作る。その武器で入ってちゃんと貢献したい。今大学生ってふわふわした身分で行って、大学生だからみたいな感じで中途半端な、入って実際に自分でなんか、自分で一つ事業起こしたいなって。社会に還元したいですねなんか。これだけ自分でやってやったぞ。だからワークショップとか、これだけ俺が企画
してやったんだよ。で、ちょっとは貢献できたみたいな感じでやりたい。



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