松原誠(49)

ーまずはこの写真をなぜその自分の人生において大切なものの写真として選んだのか、この写真はなんなのかていうところからお願いします。

えっとね、この年は、ちょうど1つ大きな仕事が終わって、えー、もう一度教員の仕事をこう見つめ直す年だったんだ。実は。俺の中で。うん。
あの、みんなはわかんないと思うけど初めて学年主任をやって。この、えっと、三月に卒業させたんだよ。で、確かその時に声をかけてもらった試合だったのね。
で、えー、東京体育館でやれるからおいでって言われて、えーやったんで、よしもう一度あの、この子たちとどこまでやれるかをやろうという風にこう心に誓って始めた代だったんよね。で、たまたまお前たちが1年生で、この子たちが2年生だった。
そんなところかな。だから大切な1枚ですね。


ーじゃあその自分の、その大きな仕事が終わったっていうところでも、すごい。

そうそうそうそう。うん。
あのターニングポイントだったんだよ俺としては。あのもう一度担任をやって、クラブをしっかり見れるかっていうなんかある意味こう、賭けみたいなもの。歳を追ってくごとによってこう指導方法どんどん変わっていった時期だから。ただ今、この時期の前までは勢いでやってたんだよね。
でも、あの、すごく考えるようになったよね。この前後でね。だからそういう意味では非常に大きなターニングポイントだったかな。まあ、新任の先生の存在も大きかったしね。
彼がこうバスケット1から覚えたいって言ってたんで。じゃあ、2人で話していこうねっていうところで。けっこう質問するわけよ彼が。先生これはなんでこうなってんですかとか。なんで、あの合宿であんなラウンドなんて練習やるんですかとかね。ていうのを質問してくれたから、逆に俺はこう自分のことを見つめ直すいい機会になった。うん。


名称未設定











ーどういう風にそこで見つめ直して、見つめ直した結果だったりとかでてきたんですか。

そうだね。1番やっぱり多かった、大きかったのはえーっと伝え方。うん。
何かをものを伝えるのに、えー、今の子どもたちはなかなか伝わらないって悩んでたんだよ。うん。でも、あの、まあこの大会を機に、そのことが少しずつこう溶けてきたってのかな。うん。
だからあの覚えてると思うけど、2年の春の試合なんかも、けっこういい試合だったじゃん。あの、普段だったら絶対使わないだろうなって思う選手を使って試合をやってたと思うんだよね。うん。それは下の代で見てても思うじゃん。なんであの先輩使うのかなっていう瞬間もあったと思うんだよ。
でも多分、一生忘れない3Pがあったりとかしたと思うんだよな。本人にとっては。で、ああいう風にこう少し変わってったんだよ。昔だったら、全然使ってないと思う。ずーっとスタート使い切って、で、たこすかゲームにして終わっちゃうみたいな状況だったけど。
いや、こいつらにとって非常に大事な時間なんだっていうことを考え始めたよね。だからそれを繋いでってお前たちの代になった感じだったかな。
だから、あの上の、あの状況を見てね、多分、お前らの代で使ってもらえない選手たちは思ったと思うんだよ、よし頑張ろうって。うん。で、辞めなかったじゃん。あんまりクラブを。だからあそこはまあ、人によっては甘いって言われるかもしれないけど、俺にとってはこう余裕を作った時期だったんだよね。気持ちの中でね。
で、自分で気持ちを余裕を持つようになったら少しこう離れて全体を見るようになったんだよな。うん。そしたら、色んなものがすごくよく見えるようになった。


ーそれはバスケットだけじゃなくて。

じゃなくて、仕事でも、私生活の中でも。
今まで、それまでは本当に目先のことしか見えてなかったんだけど、こうちょっと離して大きく見ると、あ、なるほどここにこういう過程があって、それでこっちにくるなとかさ。この段階がいろいろあるなとかっていうのを見るようになったよね。
だから、まあ、競技で言うならばあの夏の合宿の位置づけと、冬の練習の内容と、春どう勝たすかっていうことが1つの流れが作れた時期であった。だから君たちが32に上がったのは、その1つの表れだったよね。
じゃなきゃ多分、なかなかやっぱり多分、難しかったのかなって思うんだよね。


ーターニングポイントって言ったんですけど、多分人生の中でターニングポイントだと思うものって他にもあると思うんですけど、その中でこれっていう特別な理由ってあったりしますか。

そうね。やっぱり1番思春期から今まで、ずーっとやってきた、一貫してやってきたことなのよこれは。
例えば人生の中で結婚だとか、出産だとか、親になるだとか、色んなターニングがあったんだけど、でも実はこのことだけは一貫してずーっとやってきた。変わらずに。
大学の4年間は全然違うことやってたけど、そっからまた教員になってからはずーっと一貫して変わらないことやってきたから、だからそういう意味では1番印象に残ってんだよな。頭の中で。家族よりも長く付き合ってきたものだったんで。
けっこうだから、この代に教えてもらうことは、大きかったかな。俺が理解を超えるような、やっぱり子どもたちだったんだよね。最初全く理解できなかったんだよ。


ーそれはどういうところで感じたり。

やっぱりキツいから帰りたいとか言ってきたりとかさ。練習嫌いですとか言ってみたりとか平気で言ってる子たちだったからさ。
でも勝つことによって、もっと先生やりましょう、もっといきましょう、もっと練習試合組んでもらえませんかっていう風になってきたから。なんであんなキツい夏の練習するのかよくわからないなんていうのは。1人くらいだったかな、あの全然問題なくついてこれたのは。あとはなんでだろう、なんでだろうっていうような代だった。

で、お前たちの代は全然へっちゃらだったじゃん。それはあんまり気にしてなかったよね。ところが実はお前たちの代は珍しくて、やっぱり今のこの、あの代のような形、あの代のような感覚の子たちばっかりなんだよね、今。
だからもうこれを経験してるから、あんまりうろたえてないんだよ、今、この子たちを指導してて。必ずいいバスケを作ろうというふうに思ってる。今日も負けたけどさ、全然だめだけど、でも4月までにはなんとか1つの形には作れるかなあと思っていて。
今年の3年もそうなんだよ。どうしようもなかったじゃん。でも32決定までいったんだよ。で、もう今ね現役のときは全然だめだったんだけど、引退してから俺に再敬礼で学校に入ってくる。だから、こいつら世話になったって思ってんだ。それはね、本当おもしろい。ある特進のやつなんか、現役の時なんか俺がこうやって立って、立ち番してるとすっすっすーとはじっこに逃げていくやつだったの。
でも、今はまっすぐ俺のとこに歩いて来てちゃんと挨拶できねんだよ。あのこっくりこうやって俺に頭下げるだけなんだけど、ちゃんと俺にこう目でアイコンタクト取ってくるようになったから、こいつ自信持ってきたんだなって思って。


ーじゃあこの代っていうのが生徒の考え方とかが変わってきたと感じる。

そうそうそう。だから、すごく面白い代だったかなあ自分にとっては。


ーていうところでターニングポイントとして、今まで付き合ってきたバスケだったりの中で1番大きいものだったっていうことで選んだ。

そうです。


ーこの時期ってなるんですかね。写真の写ってる人とかていうよりも時期。

そう、この時期。うん、この時期。
で、この時期で、この場所で、えー、このメンバーって言ったらいいのかな、が、あの付帯事項についてくるよね。うん。
バスケットをずっと見てきたっていう、そういうことも含めて総合的なことなのよ。この絵が、例えばこの鉛筆がとかってそういう写真とちょっと違うんだよ、俺のケースは。
この団体というかさ、この瞬間というかさ、そういうものが自分の人生にとってターニングポイントになったなあ。


ーこの写真を、一言で表すとしたらどういう写真になりますか。自分にとって。

一言ね。難しいな。そうね。
苦しみであり、喜びだと思うんだよなあ俺の中では。すごい苦しんでたことがあった、この代の指導に。うん。
でも、逆にこうあいつらがインターハイの予選でまあそこそこ、自分たちが納得できる試合をやって、あの、笑って卒業して行った時にやっぱ嬉しかったんで。
まあ、苦しみの表裏一体だけどやっぱり喜びも中にあるかな。
一言で言い表すの難しいかも。


ー他にこの写真について言っときたいことだったり、心に残ってることとかがあったら。

うん、そうね、今お前が持ってるテーマに即して話してないかもしれないけど、俺ね、やっぱりこういう舞台に生徒を立たせるべきだなって思った。うん。
できるだけ大きな舞台に立たせると選手って上手くなるなって思った。うん。だからこういうチャンスがあったら、どんどん喜んであの出かけて行きたいなって思った瞬間だったな。うん。

で、あの一個下の代もね、強いとこと練習させたりしたのよ。最後、冬に。
そしたら生徒のお父さんが一緒に来てて、俺が激しく怒ってたらさ。いいんだよ、いいんだよ、勝てないチームなんだから、レベルが違うんだからって、向こうでお父さんが言うから俺頭来てさ、黙っててくれ今1番いい時なんだからって言っちゃったんだけど。
どこにでも連れてちゃったんだよあいつら。で、1番怒ってたのその生徒だったけどさ。試合しながら。親父黙ってろよとかってさ怒って。お前らには高嶺の花だくらいの話をしたの。だから、負けてもいいんだ負けてもいいんだってお父さんが言っててさ。
そりゃ確かに大人の側から見るとそうなんだけど、俺たちはそこで戦ってんじゃないから。これと戦いを挑むんだって挑んでチャレンジャーでやってんだっていうチャレンジャーなんだっていうことをお父さんも言いたかったんだと思うんだよ。それが親心でああいう風にね、うん、出ちゃったと思うんだけどね。

あのやっぱり、連れてく、あいつらもこうやって連れてったのは、やっぱこの時期のあの、モチベーションかな俺の中では。
やっぱりこう、えーうちなんかが東京体育館で練習していいんですかって思ってた部分を、俺反省したのよこの後。ああこれは行くべきだなって。生徒も喜んでるし、えー、キャプテンはちょう上がっちゃって吐きそうな、過呼吸になっちゃったりしてな。
でもそれくらいやっぱりこれも本気だったんだよな。


ーそんな感じですかね。

うん。


ーそしたらちょっと話が変わるんですけど、自分のこれからの夢とか目標とか、なりたい姿だったりとかっていうところで。写真に関係なくてもいいんですけど、生活の面でも、仕事の面でも、1番自分が強く思ってること。

そうだねえ。
今まで言ってきたことややってきたことを貫徹したいね。俺は。うん。
あの、歳をとって変えるのはやだなって思ってる。あの、生徒にも言ってんだけど、一貫して同じことを言い続けたいっていうのは俺のテーマなのね。だからバスケットにおいてもそうだし、生徒指導においてもそうだし、英語の授業に関してもそうだし。
なんか歳を取ったから、なんか変えるっていうことはあんまりしたくないなあって思っていて。テーマ、あの、一貫っていう言葉かな。一貫したことをやりたいですね。


ーそれはどうしてそういう風に思うようになったんですか。

んー、なんかね、途中で変えるとなんか、今までお前たち卒業させてきた連中に嘘ついてきたような気がするんだよね俺は。それがいやで。
だから、一貫して同じことを、まあクラブ顧問である以上はバスケに関しては同じことをずっと言ってるつもりなんだよね。


ーそれは勉強も、部活もっていう精神だったり。

そうそうそう。いきなりさ、体推取ってね、いや勝てばいいよと、勉強なんてどうでもいいからやりなさいとかっていう指導者には多分なれないし、ならないと思う。
やっぱずっと同じことを言い続けると思う。どんな選手が入ってきても。


ーその伝えたいことに関してこの時期で伝え方っていうことを考えるようになった。

そうだね、そう、うんうんうん。伝えてることは同じなんだよ実は。
でも伝え方を考えたターニングポイントなんだよね。よし変えようと。だから、まだあると思うの。これから先も。そういうポイントがいくつか。
そういう時に上手くその子どもたちに合わせて変えていける自分は作りたいと思う。でも、指導する内容っていうのは一貫して絶対変えない。


ーではなにか他に、この話の中で言ってないこととか言いたいこととか。

うん、そうねえ。やっぱり時代は変わらないんだなあってすごく思うね。
さっき先輩の先生もいたけど、ああいう人たちから教わったことを、じゃあ今子どもに伝えないで、他のことを伝えているかって実はそうじゃなくて。
やっぱり同じこと伝えてるんだよね。ただ伝え方とか、そのシチュエーションていう部分が違うだけであって、実は同じことをずっと伝えてるってことが1番言いたいかな。うん。
これはでもどこでも変わらないと思う。
どの仕事をしても何をやっても多分変わらないことかなって思うね。