林壱太郎(22)

ー3つをなんで宝物に選んだ?
そうだねえ、まず求めてくれたものが、
その今までの人生の中の宝物になるものでしょ。
となると、なんかそれぞれの転機を思って。

これは高校のとき、の大学入る前に書いた絵なんだけど、まあ卒業制作で作ったのね。

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だからなんか高校で、別に絵だけ書いてきたわけじゃないけどやってきたことで、
なんか最後にモノとして残ることを一つやりたくて、
でも論文とかは絶対大学行っても書くし、
ゆっくり絵書けることなんてもうないだろうなって思って、書いた。
多分もう、多分この先、毎日のように放課後書いてたりしたから、
そんなことはもうできないじゃん。多分。放課後がまずないじゃん。
ていう意味で、すごく自分の中で大きく残ってるから。


ー学生時代の思い出みたいな

そうだね。思い出とかさ友だちとか、例えばなんか部活したとか、
よく授業で話してたとか、マンガ読んだとか。
もちろん思い出だけど、残らないじゃん。その物体としては。
物体として残るものとしてやっぱこれかな。


まずこのなんか、0から作りたいと思って、
キャンバスを作るところからやりたくて、ニスで貼って、布を。
それを杭で止めてみたいな。
この土台から作っていって。
で、普通の絵じゃおもしろくないから。
その色のついてる普通の写真、自分の撮ったこれ全部写真なんだけど、実は。
それを拡大して、それを模写する。っていうのをそういう絵を描きたいなって
普通に絵書くんじゃつまんないなって思って書いていったんだけど。
白黒だけで全部書こうと思って。やったっていう。


ーなんかこの経験、この絵書いたことが今になんか繋がったりってしてます?

まあこの絵をもともと卒業制作で担当でついてくれた先生が、
もちろん美術の先生なんだけど。
その先生にすごく絵の書き方というか、別に絵書くこと習ったことなかったんだけど。
このなんてんだろ模写するにあたって、その等比倍をどうするかとか。
例えば、まあこの写真見ないとわかんないことかもしれないんだけど。
この山がこんくらいだったら、ビルはこんくらいだろみたいな。
この測りかとか模写の仕方を習って、まあそれから時間取れてないから絵はかけてないんだけど、なにかそのモノを見る目というか、
うん。その風景一つにしてもそうだし、まあなんかその後も歌舞伎をやっていく中で、
舞台の例えばさ、あの道具とかもこの大きさに例えば提灯があったらまあドアはこんくらいになって、ていうと、ちょっとなんか大きいんじゃないかなとか感じたりとかして。
そこからまた色んなインスピレーションできるようになるし。
そういうことに、なんか役に立っている気はする。


ーこっちの方の。こっちから2番目の


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これはもう見たまんま。ね、多分想像できると思うけど、まあ台本なわけですよ。
で、まあ色んな上演場所はいろいろあるけど様々だけど、歌舞伎のこれは台本ですね。
で、このときすごく、忙しかったんだけど、
去年、一昨年の、ちょうど大学3年、大学2年までは、
それこそまあ、よく知ってるだけだろうけど、学祭やったりとか、
本当に学業中心で、やりたいことをどんどんやってたんだけど、
まあ学祭もまあもうOBになって、
もう歌舞伎を逆に比重を重くしてやってこうって中で、
秋学期、僕、1回も授業こなかったの、てか一個も取ってないのね。


で、ほとんどずっと出てて秋から。その9月から1月、3月までの台本。
いくつ役をやったんだって感じなんだけどこれだけでも。
まあいい経験だったなあと思って。
それでちょっと記念で撮ったのね自分で。

まあ、これは、一瞬では語り尽くせないけどね。


ーそれを言ってくださいよ。

やっぱり、なんだろう。そのどっぷり歌舞伎にさ、
このとき、だから、9月10月11月12月1月2月3月だからまあ約半年だよね。
まあ大学の課題とかは出しつつだったけど、研究会のとか。
だけどもう、ほぼどっぷり歌舞伎だけにつぎ込んでった半年っていうのがあって。
初めてで。人生において。
でまあ、これを一生やってくんだって改めて考えさせられたし。


まあ、覚悟、そうだね、やばいなとは思ったし、
こんなのずっとやってたら大変だなって思ったけど。
やっぱりそれぞれで、一つ一つですごい成長していけたものがたくさんあるし、
そう特にね、そのどの役がとか言ってもそれはすごく専門的なことになっちゃうから話さないけど。
でも例えば、まあ歌舞伎って言ってもさ、色んな役があって、女の役もあれば、なんかその悪い人の役もあれば、いい人の役もあれば、ちょっとおちゃらけた役もあれば、
意外とね、この何冊ある?これ。19くらいあるよね?
この中に全てって言うほどつまってたんだよね。
この大人役、女の人にしても、娘もあれば、若い女の人もあれば、母親の役もあれば、ていう感じで。

多分今の、23年間の中ではこの半年間ってのはすごく大きかった気がする。


ーなんかその自分の中の歌舞伎に対するコアじゃないですけど、ていうものができたりとかってしたんですか?その見方が変わったりとか

引き出しが増えたってことかな。今まで本当に、その場で来た役に、もうぶつかってとりあえず当たって砕けろだったのが、なんか引き出しを、あ、そういえばこの前やったなって、その引き出しを持ってきてそこから作業できる。
いままで、なんかもう文献もないままいきなりレポート書いてるみたいなかんじだったのを、自分の中でその文献のストックがあって、それを出してきて。
例えば、役を作るみたいなことになった時に、あ、この素材使えるんじゃないみたいな感じで。どんどんつぎ込んでいけるようになったかな、これから先は。
そういう意味での転機というか。コアっていうかね。



てかね、あの、意外とねまあ飽きないね。もちろんね。全部毎年、毎月、だいたい一ヶ月単位でやってくんだけど。
だから切り替わりがさ大切で、どんだけ楽しい舞台も、どんだけ辛い舞台も必ず1回でその事実は変わらなくて。だからやっと終わったって時もあれば、うわ終わっちゃうのかって時もあるし、その切り替えがすごい大変だね。まあ引きずるからね。
そんな1日でさ、今まで1ヶ月やってきたものを、いきなりさあ、チェンジするわけじゃん。やっぱこっちの台詞も残っちゃうわけだし、一気にチェンジはできないから。で、けっこう4日くらいでチェンジしなきゃいけないから。それは辛かったかな。


ーでは、最後の写真に
これはねえ。よくわかんないでしょ。しかもぶれてるっていう。ぶれてるのがちょっとよかったなって思ったんだけど。
これハワイなんだよね。ちなみによくわかんないだろうけど、じいちゃんとばあちゃんと僕と、そのばあちゃんの友達とかなんだよな。
なんでそのメンバーで歩いてるのっていう。多分これ中3かな。時とかで、多分高校入る前とかで、ちょうどそのおじいちゃんが高1の時に、名前を襲名した時なんだよね。

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で、歌舞伎において襲名っていうのはビッグイベントだよね。名前を変えるってことだから。で、しかも70を過ぎて、まあ自分のじいちゃんのこと言うのもあれなんだけど。
70も過ぎてその、ある意味襲名するって言ったら新たなる挑戦なわけよ。
だから、70だったらだいたいもう、ポジションもある意味安定してるし、もうそのまま一生やっていけばいいのに、なんかまた新たに挑戦するみたいなことを言い出して、その精神はすごいなって思って。
この海岸にそのばあちゃんと、まあこれはそうじゃないかもしれないけど、誰がどこにいるか全然わからないけど、そのハワイで浜を歩いて、ばあちゃんと友達が話してて、おじいちゃんと話してて。


なかなかその中3までの間でじいちゃんと
そのがっぷり歌舞伎を話したことがなかったし、
僕もそこまで、そこまで、そのじいちゃんと語れるほどのなにもなかったし。
ただこん時ちょっと話していて、まあ一生、挑戦を続けるものだって言われたりとか、
その仕事ってさまあ僕たちも、この、みんな同世代就職していくわけじゃん。
とか言ってるわけだよね今ね。僕としてはあんまり生活が変わってないんだけど、
まあどこかで普通の会社だったら引退とかさあるわけじゃん。
そんな中でやっぱ一生やっていける仕事ていうのがすごくありがたいなって思ったし、
それに携われていることもね。うん。
歌舞伎もこの時に、ああやっぱりちゃんとやっていかなきゃなって思って、思い出があるかなと思って選びました。


ーけっこうじゃあ目標にしてる人みたいにあたるんですか。
そうだねえ。もうというか尊敬かなどっちかというと。
やっぱその、わかんないけど、どのさ仕事場にもさ尊敬する人みたいなのいると思うんだよね。憧れる人とか。それ全てを持ってる人だと思うし。

しかも年齢離れすぎてるから、もちろんなんか手の届くところにはいないんだけど。
そう、だから身内って感じがしないもんね、あんまりだから大先輩って気がして、そこはむずかしいところだけど。


ー座右の銘に繋がってるところを感じます。
伝統は攻めてこそ守られる?ああ、それはだから祖父からもらったことかもしれない。
今言われてみるとそうかもしれない。ということですかねえ。


ー話はちょっと変わるんですけど、夢。今持ってる夢について。自分がこういう風にかなえたい。こういうことしたい。もしくはこういうことが希望としてあるからいま頑張れるみたいな。

そうだねえ。それはさっきもちょっと話したかもしれないけど。
その座右の銘でも言ってくれたみたいにさ、一生続けていける仕事であるってこと。
そこがまずあるから、終わりがないからこれをやったらなんか、
よしもう達成した終わったってゴールがないんだよね。
だからあの目標とかはあまり掲げないかな。


ただ夢として、やはりその今、歌舞伎って聞くと、
やっぱり同世代の人だとやっぱり難しいとかもちろん値段も高いし、
なかなかその手の届くところにない、日常にないものだよね。
でもだからこそいいのかなって思ったりもして。
日常にない、日常に離れたエンターテインメントを提供できるってもう、
別世界に誘うみたいな。
映画館とかでもちろん映画を見るだけでももしかしたら違う世界に飛んでいけるかもしれないけど。
もう時代も飛んで、昔の日本を味合わせるみたいな。
で、絶対その僕がやっているその女形。っていう女の役みたいなのも、もちろんその現代劇で全部女の役も男の人がやりますみたいな演劇はあるけれど。
やっぱりないんだよね、他の演劇に、女形という特徴は、演技の特徴は。
そんな中で、そういった僕が、しかできないものを追求していきたいっていう夢はあるよね。うん。
ちょっといいこと話したな。うん。


ー僕しかできないものってなんですかねえ

いやだからもちろん、それはわかんないよね。まだね。
ただそれを追い求めていくなかで、しかも僕が評価することじゃなくて周りの人、お客さんいてこその仕事だから。周りの人が評価していく中で、なんか、あ、この人にしかないなにかがあるわねみたいなのが言われだしたら、ちょっと、ああなんかやっていてやっぱりよかったなって思うだろうし。
より、また一生続けていこうって、もっとこれを提供していこうって思うだろうし。


ーそのためになんかやってることじゃないですけど、気をつけてることとか

まあ絶対人と違うことをしてやろうって思ってるみたいなことかな。なんか歌舞伎ってやっぱりその、さっきの台本でもさ、わかるかもしんないんだけど、あのー、これじゃあわかんないな、あのー以前やってることが多いよね。
新作ってものもあるんだけど。ほぼ9割って言ってもいいかな、9割は伝統的にとか、やってなくてしても例えば40年前とかにやってるとか、なんか大正にやってる資料があるみたいな。意外とその絶対に前に、演技されていることがあることが多いから。
必ずそのお手本、ただそれを完コピしてそのままやるんじゃなくて、やっぱり自分のその要素というか。僕だったらちょっとこう考えるなとか、現代に対してのメッセージ性としてはここを強調したいとか。
例えばなんだろうなあ。あの女性についてとか。まあ昔のやっぱりことって男性がやっぱり主役で、男節の社会とかでも、男、夫を立ててこその妻みたいのあるけれど、やっぱり現代ってその女性が強いっていう。
で女性がどんどん社会に進出している。
ていう中で、やっぱりその女性の強さとか、まあねワーキングメンタルとか言うけど、そういう強さってのを役の中に出してってもいいなって思ったりはする。


ーそれは祖父に学んだ、自分で考えたんですか、それとも歌舞伎をやってく中でこう思ってきたのか

そう、歌舞伎をやっていく中でもあるし、祖父も意外と、目立ちたがり屋というか自分をけっこう出してくる人だから、あの女をやることが多いんだけど、女形。女性を演じることが多いんだけど、けっこう自分を出していく人で。
まあそれを見てて、やっぱり、そのもちろんその主役の人を立てるってのも大事なんだけど、そこでちょっと自分のなんか、自分もちゃんとやってますよみたいな、アピールポイントをどこかで作ることが大事なんだと思わされたし。
そういったとこですかね。やっていってることと言うと。


ー自分の中で、宝物と夢ってのがつながってるって感じることってありますか。

ああ今の。この3つの写真とってこと。
もちろん繋がりを持って選んでいるし、いまこうやって逆に話していて、ああやっぱり繋がっているんだなって思ったこともあるよね。それはやっぱりその、この台本の引き出しにしてもそうだし、まあ僕が歌舞伎をちゃんとやんなきゃって思ったっていうその海岸の話もそうだし。
で、逆に考えて、でもその、夢をそのさっきかなえるためにはやっぱりお客さんありきだし、1人でできることじゃないし、でもどこかで壁にもぶち当たるだろうし、そんな時にやっぱりなにか学生のことを思い出したりでもいいし、友だちに会うでもいいし、なにかじゃあもう一回初心に戻って絵を描いてみるでもいいし、そういうきっかけになるものがもしかしたらこの絵の写真かもしれない。
そういう意味では全部繋がってるのかなとは思うよね。


ー繋がってるって思うところで歌舞伎のとこもうちょっと聞きたいんですよね

歌舞伎聞きたい。なかなか歌舞伎の話はしないからね。
率直にどう思う?歌舞伎を僕がやってること。
想像できる?どうやってやってんだろうなみたいな。
もちろんなんかねテレビとかで見たことあるかもしれないけど、なんかその、けっこう違うかもしれない。
楽屋、ってまあ控え室みたいなもんなんだけど。けっこう人変わる、人変わりはしないけど、ちょい静かになったりとか、けっこう冷静かもしれない。


ーいや僕これ聞いてて、一番アイデンティティというかコアになっているところってこのおじいちゃんの話だと思うんですよね。

まあそうだろうね。それはね。


ーそれがやっぱコアになって、その中にこう学生っていう歌舞伎と自分の生活じゃないですけど、ある意味まあ自分の生活じゃなくて芸能生活になっちゃうから、プライベートではないじゃないですか。とプライベートのところの戦いがやっぱ高校とか大学にしてもあって、でもまあそのこっちもやっぱ大事だったし、でもその半年間こう続けた、続けた、これだけの量やったことで、技術的なスキル的なもので得たものあるし、これを続けなきゃって精神的に得たものがこう積み重なって、でも土台はやっぱそこにあるのかなあって感じました。今聞いてて。

そうだねえ。もちろんそれはあるねえ。まあその現実的な問題、意識的な問題と実際的な問題、実際的な問題はやっぱり祖父が生まれ父親が生まれて、で僕が生まれてるっていう血のつながりってのもあるから一番心に響くのかもしれないし。
でまた、時が時で、ちょうどその祖父が襲名ってのがあって、僕も中3だから15だよね。15、16の時で、やっとそのなんて言うんだろう。
それまではさ、子どもの役しかできてなかったのね。中でその大人の役をできるようになったっていうターニングポイントでもあった。
いろいろが重なってその場にあったから一番心に響いたのかもね。


そういうまあ偶然だけど、それが全部重なったのがある。それがあったからもしかしたら今聞いててもそう思えるような話ができたのかもしれない。


ーこれなんかだって写真だけ見たら全然、宝物って思えるかどうかって言ったら微妙なところじゃないですか。

わかんないでしょ。しかもねぼやけてるからね。しかもこれしかないっていう。


ーでもこの写真でそういうこと全て思い出せるっていうのは、かなり強かったんだなって。

ああ、まあそれはやっぱりだから、そうだねえ。しかもなんかその普通に多分旅行してて祖父も祖母もそのバケーションを楽しんでる時なんだよね。
別に仕事でハワイ行ってるわけじゃないから。そこに僕もその、高3の夏休みだったかな、いや違う中3か。中3の夏休みだったかな。
その、遊びにいったっていう、でだから僕もある意味その休日なわけじゃん。
楽しんでるはずなのに、やっぱそういう話になったっていうのはそれだけやっぱりなんか意識が強かった。祖父も意識が強かっただろうし、まあ休みでも意識は休んではないみたいな。そういうことだからこそ、そういう話ができた。そういう状況だったからこそ、そういう話ができたのかなっていうある意味ギャップがあるよね。
普通に多分、普通だったら海岸で、ね、普通に休暇で行ったら、もし友だちと行ったら絶対そんな話になんないだろうし。ね、もっと話すことはほかにあったんだろうけど、わざわざその休暇を楽しむ場所で仕事の話をするっていう何かその食い違いみたいな、それがまたおもしろいと思うけど。


ー歌舞伎を一生、まあ今一生やろうっていう思ってるじゃないですか。これはどっちでその気持ちは強くなったんですか。
そのやっぱりさっき話したその台本ていうのはそのやっぱり、もちろん一生やろうって思ってからの出来事だからね。


ー実際にやったらこうなるんだ。っていうところが、だったってことですか。

そうだねえ。まあでもけっこう予想通りというか。だったから。ただでも厳しい、というかやっぱりああこんだけ体力的にも精神的にも大変なんだなっていうのはあったし、やっぱりそのでも引き出しが増えてくことの楽しさを知ったし。
いやだから、なんて言うんだろうな。その仕事の楽しさとか難しさとかを知ったっていうターニングポイントかな。その一生やってくっていう。
一生やってくの、もちろん、〇〇に就職してこの仕事やっていくんだってのをそこで決まるっていう普通の人だったら。それが多分ここなんだろう。で、その仕事やっていく中で何ヶ月か経って、本当に自分の自分の思い描いていたその会社に入ってなにかをしたいと思って、入るじゃない多分。その入ってその何かをしたいにつながる糧とか、あ、こうやっていくとこの会社ではこうできるんだなみたいな。それに気づいたのもその台本。


ーじゃあ今同級生が感じていることを15歳で感じ取ってたと

聞こえがいいねえ。そうだねえ。そうだねえ。でもそれは、やっぱりよくこれ俺も話すことなんだけど、みんなさあ、就活してるとき俺も思ったんだけど、これけっこう友だちとかにはなしてるかもしんないけど、0から探し始めてるでしょ。全く0の状態のから、自分でこれがやりたい、これもエントリーしてみよう、やってみようって、面接受けてみようってやっていくじゃん。僕は、これわかる通り、祖父と僕っていうのは血がつながってる。1与えられて仕事に入ってるよね。
だからなんていうんだろうね。その材料は全て用意されてて、これで料理を作ってくださいって、材料を買い求めることはしてないわけよ。で、最高の材料が揃っていれば、まあそれなりにおいしいものができるよ、多分ね。間違いさえしなければ。
だからその材料を買い求めるって作業をしてないから、僕は、幸せっていうか、まあなんか申し訳なさもあるし、幸せだなって思う。だからこそ気づくのも早いんじゃないかな。


ー生まれた時からでもそういう家庭的に、じゃないですか。それはもうなんかこれをやるのが当たり前なんだってちっちゃいころから思ってたんですか。でもなんか、それはなんか自分の中で葛藤とかっていうか、なかったんですか。これが自然だった。

そうそうそう、だからそういうことが1ってことなんだよね。あんまりだから葛藤してなかった。ていうのも、あの、やっぱりそれは、まず大学行ってること自体がすごい珍しいとこ。すごい、ある意味欲張りなんだと思う。一言で言っちゃうと。
だって、歌舞伎があって、こんだけ好きだったら歌舞伎だけやっていきゃいいだろうって普通の人は思うと思うんだけど。そこが僕のよくないところというか、欲張りなとこで。今しかできないことはやりたいって思っちゃう。


だから、高校も思いっきり楽しんだし、それこそ、だって絵書いている暇あるなら歌舞伎見ろよって話じゃん、学祭作ってる暇あるんだったら芝居出ろよってなっちゃうじゃん。普通なるんだけど、そんなの別にあとでも取り戻せると思うし、それで培ったものを何かしらそのさっきもさ、この絵がなにかに繋がってますかって話になった時に、まあその舞台を見る目とか、道具を見る目にもしかしたら養われているんじゃないかなって思ったっていうのも、どこかで何か全て繋がっていくと思っているので、どこかで。


ーその考えはどこから

いや、そう思いたいだけ。
でも気づいてる思っているというか、それはそうあればいいなって僕は理想を描いて、いくからにはやっぱりいつか歌舞伎に役立てたいっていうのも、それは出会いとかもそうで、どこかで誰かとその自分の仕事を通じて、相手の仕事を通じてまた出会うかもしれないし、そして仕事をもらえるかもしれないし、僕は逆に仕事を頼むかもしれないし。


それはもうやるにあたって、大学に入るにあたって、やるからには何かつなげていこう。ただでも、現実入ってみたら、やっぱり自分のやりたいことただやるだけで、そのとき、あっこの授業は絶対歌舞伎に役に立つから取ってみようとは1回も思ったことないし。
でさやってみて、何年か経ったりとか何かのきっかけで、あれ、これってなんか、例えばそれこそ、まあ大学の先生でもいいし、とか、で授業で感じたことと同じことできんじゃないとか思ったりするっていう、だからその時はわざわざそう考えてアクションを起こすんじゃなくて、あとから何かのアクションを起こす時に、まあある意味それも引き出しなのかもしれないけど。


ーていうことを大事にしている。

そうそうそうそう。
そういうことですね。


ーまあだから夢に関して、そういうつながり、引き出しにしたりする、自分の中にもういっぱいつまってるたんすがあって、で、新しいことっていうのは、なんだかんだ、でも自分が今まで繋がってきたものから生み出される。

そうだね。やっぱりその伝統。それこそさっきの座右の銘になっちゃうかもしんないけど、伝統はもちろん伝統として受け継がれてくもの。それはもし伝統は壊してこそ守られるだったら、ただ0から破壊し始めればいいんだけど。
攻めてってことは、多分何かを残して、でも自分のそのスパイスを入れて、守っていくていうことであって。その引き出しはだからある意味その壊すためにあるんじゃなくて、継ぎ足しをしていくために、ある引き出しなんだと思うし。
なんていうんだろうね。夢を、これをやっていますって一言で言えるものじゃなくて、多分その引き出しが増えていくことで、多分その夢のビジョンがどんどん変わっていくとは思う。今はすごい漠然としていて、もしかしたらことばに起こしにくい話だったかもしれないんだけど。やはりその、自分の、自分にしかできないもの、やっていくにあたってはよりその引き出しは、多い方がいいわけだし、必要となってくるだろうね。多分。




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