川瀬昊典(84)

ーなんでこれが宝物というか、人生の大切なものとして選んだか。

あのー、その春宵十話、岡寿先生のね。
その本の出会いだけど。
ちょうどその出会いを言いますと、私40前に胃を全摘したんだね、たまたま。で、その時に、まあ胃がんだいう風に言われて、あのお母さんが、先生から絶対病名言わないんだけど、お母さんがね、妻があの胃がんですよ言うて、あの切った後から言うてくれたんや。
まあその手術自体は12時間かかって。で、それがわかる前に1年間治療したんだけどね。40前ね、38やったかな。で、もう川瀬さん手術終わりましたよ言うて、目をパッ開けてああ終わったんやな。で、ありがとうございます言うたら声が出なくて。見たら、管がこうお腹の横のほれ、さがっとたんや。見だしてから寒くなってね。で、あの寒い言うてはるわ言って。


あの、そういうことで手術の後、しばらくしてちょうど退院、あのほら8月の。で、家でね、しばらく静養しとって。で、あのおばあちゃんに弁当作ってくれや言って、ちょっと奈良の方行きたい言ってね。
朝早く、奈良の方行って、薬師寺、秋篠寺、そこへ行くとね朝早く、ちゅんちゅんちゅんすずめが薬師寺の、あの道路のこう石畳の石廊下で、僕は佇んで見とってすずめ泣いてね。静かに誰も人がおらんのよ。ああ元気になったんだなあと。
あの、その時にね人間ていうのは、もうどうにもならんときあるんだな。しかしその時にね、あの、どうかな、命の、って不思議だなって。なあこれから生きることが一番大事やなと思うとった。
で、その時に、あの、読んだ本がその春宵十話。で、なぜそれの本が僕にとって大事な宝物かなと思った時に。もう、おじいちゃんは、サラリーマンでずっとおったでしょ。
毎日毎日もう一生懸命働いて、企業戦士で、あの、もうそれなりに人間て働かなくちゃいけないな言うて、理屈の多い世界やったからね。朝からあの、文章書いたり、堅い文章。しばらく、その、会社出るまで、1ヶ月ほど、2ヶ月かな、あの養生しとった時のその奈良行ってぽかんとして、ああこう人間ていうのは、素晴らしい、自然というのはあの素晴らしいものだな。理屈以外にこう大事な世界があるんだないうことは考えた。


で、春宵十話いう本をお母さんがな、こういう本もあるよ言うて、あのお母さん内容まあ知ってるかどうか僕は知らないけど。それ読んでるとな、春宵十話、題のごとく理屈っぽい題でもないでしょ。
で、人間の中心は情緒であるっていうのがその人のテーマであるのね。で、情緒言うたら何か言うのはこれはもうそういうこと考えることが理屈っぽいけども、ああ人間の中心は情緒である言うのは、ピンて来るような言葉。
で、岡潔さん言うのは数学者なんや。天才的な。名前もあんまり聞くか聞かんかくらいの人。僕はずっと文系でね、あの、経済学とか、まあ若い時にうーんそれなりのおじいちゃんの大学時代は色んな本の講義があって、滝沢先生という人とか、あの出家とその弟子とか、あるいは難しい本で、えー哲学以前とか、西田幾多郎の善の研究とか一応候補があったわけや。で、そういうのはまあ、一通り読んだだけれど、あの、その、人間の中心は情緒である言うの非常に簡単な言葉だけれど、あのピンとくる、なんかわかるようなことがね。理屈以外のあの、世界の前に、人間の中心は言うたら、なるほどな、あのわかるようなわからんような言葉だけど。


まあ情緒言うたら何か言ったら難しいな。それなりのおじいちゃんはわかるような気がしたんだけど、今言われたら、まあ直感的なものやな。理屈以外に。ああ、孫は今日元気だなあ、素晴らしいなとか理屈以外のもの。あるいは美しい、醜い、愛おしい、憎い、あるいは喜怒哀楽、喜ぶとか悲しいとか。まあ、美しいと、あの醜いのはすぐわかるな。
喜怒哀楽の感性の世界やろうな。まあもののあれいうか、しみじみとしたとか日本的なことあるでしょう。
で、それからずっと眺めてると、数学者にも本職以外に理屈の世界、寺田寅彦いう人は、あの今おばあちゃんから横から入ったけど、けっこう有名なあの物理学者ですら、書いてるもん見たらね、みんな同じようなベース持ってるの。人間の中心は情緒だって。あの寺田寅彦もつい最近いうて、2年ほど前に岩波文庫で読んだんだけど、あの非常に岡潔さんと似通ってた。


で、僕もそう思う。あのなぜ人間は生まれてるか言うたら、初めから理屈持って生まれた、生まれてきた人いないわけや。
素直な気持ちでものを見る言うことはね、さっき言ったように、ああこれはなんだったか読んで、この石廊下に佇んでね、ああ静かで平和やなとか、あの、道はなんだろうかとか、そこを考える時はもう既に情緒から離れてんだ。
素晴らしい世界だなていうことをね、直感的に感ずる世界だから。
今じゃなくて、あのそういう情景がね。
で、そこで、人生観というのが、人生観ていう言葉自体が堅苦しい言葉やけど、ものの見方をな、変えてくれた一つのきっかけやった。


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それで大事。それが出会いです。
で、今でも、理屈なかったら生きられない。あの、それから、その前にけっこう理屈言うのは大事やと思う。価値判断が理屈ですよ。論理学とか。
その前にね、さっきね、直感的な、あの花見て美しいとかな。ね、若いというのは素晴らしいていうの、これも直感的なものや。で、そういう言い方するとね、あとで、ちょっとしたことでも、あの、なんか今まで見えてなかったことが見えてくるような気がするわけやな。一つが見えてくると。
あの、いつだったかも忘れたけど、外国人の人が、外国人の人が2人、プラットフォームで、韓国の人やったかな、東京駅かどこかも忘れた。線路に倒れ込んだ人がね、とっさの判断でばーっと救ったんやな。これをね、ある政治家は勇気ある言う表現をした。しかしそれはね、無償のね行動だな。感動したんや僕はね。これは本当に、愛おしい、愛とか、もう理屈以外の行動やな感じがする。
だからそれを勇気で片付けるとか、まあそういうことにも違った意味で見られるし、言葉の使い方言うのは理屈っぽい言葉よりまず素直な言葉が一番大事やなんかな。


しかしね、論理、論理というのは、あの直感的な物事をこうまず素直に受け入れて、それからはてないうことがな、その前提に素直に物事を感動じゃなくてはてな言うことは起こらないと思う。そういう意味でも情緒いうのは大事やなと思う。
うん、そういう感じする。
あの大文字見て、きれいやな、なんとも言えない。そしたら情緒とは何か言うのは、それなりにね、やっぱり喜怒哀楽の感性豊かな、もののあれ、情趣いう言葉も近いし、感性いう言葉も、ちょっと理屈っぽいけども、しみじみした、うーん、感情とかな。
あの、それから、そういうことで辞書を引っ張れば、これはもう理屈の世界だよ。同じことだけど、喜怒哀楽を、などの心の動きを誘うような雰囲気、気分とか。もうそんなことね、一つの文章いうたら、論理的にね、主語述語その内容ね、それは大事なんや。しかし、素直な気持ちで、感覚的なことやな。だから五感の方が大事やと思うよ。あの、理屈の世界に入る前にまず感性がなくっちゃ、やっぱり、あの、豊かな発想はできないと思う。同じようなこと書いてるけどな。


あの、まあそういうことで。他に思い出はいろいろある。若い時の恋愛とかな。忘れぬ人々とかな。それはたくさんある。自分にとって大事なことは。しかし、そのいっぺん死んだという経験ね、13時間。その時にね、人間て色んな人のお世話になってんなって。初めてガン言うてくれた人、先生の前にお母さんや。こんなやかましいおばあさんやけど。まあこれは本当にありがたいなと思うし。ご本人はどうしてるか、どういう意味で言うたか知らんで。もっとざらに言うてくれたんかもしんない。
あの、色んな人のお世話になったな、決して人間て1人じゃ生きられないなあっていう感じはしてるし。あの、もうそういう気持ちで、まあ一つの転機やったないう気がします。


それとあとで、五感言うかな。あの、まず上が視覚やな。これは美しい、醜い。それから聴覚もそうや。素晴らしい音楽とかいうのは美しい音楽とか、理屈以外の世界。聴覚やろ。それから臭覚も、いい匂いとかな、素晴らしい匂いとか、嫌な匂いとか、これも感性の世界ですよ。で、味覚はもちろん、おいしいとかそういう雰囲気とか、趣きとかいうかな。ただうまいだけじゃだめなんやな。日本料理いうのは素晴らしいと思うよ。あんた言ったように。ほんと素敵な、この前行ったけど、あれはまあ普通の料理さんやけど。あの、日本料理言うのは目で楽しみ、味で楽しみ、あの雰囲気で楽しみ、室外で楽しみ、人の言葉で楽しみ、そういう世界だからな。これは独特のもんだろうと思う。そういう世界はやぱり論理の前に、そういう豊かな感性持つと、はてな思うことはいっぱいある。今でも。
後は余談ながら、一番思うてることは、もう笑われるかもしれん。人間てどうしても有限の世界でしょ。果ては果てしないいうな、理屈じゃわからない世界だ、果てしないとか。無と言うのは説明できない。観念的にはね、有に対する無があるくらいやわ。
有限の中に生まれてきたんやから。と、言ってこれだけ、もうわからないことはわからない。
一番神秘なんは頭が下がる。頭が謙虚になる世界だと思う。頭を下げて、もう素晴らしい世界だ。ちょっと余談だったかもしれんけど、最後に感想は、今の感想は、そういうことを、が契機になってんだろうと思うけど、その本だけじゃなしに、あのいろんなあるんかもしれんけど、思い限りなく、それから今日尽きず、自ら短からず。
まあ精一杯与えられた仕事を、それなりにねできれば、あのなんか支えになって生きていけて。
同時に自分の嫌なことは人にしない。自分がしたくない、あのされたくないことは人にしない。
ちょっとエゴイストかもしれない。自分の世界は大事にする。そんな気もしております。


ーこれは、病気になっていろいろこう考えることがあった時に出会って、人生観が変わったっていう。

うん、そうだな、あの、うーん変わった言うか、開眼、違った世界を、違った見方が広がったいう、自分自身は思うてる。そうさせてくれた本や。


ーそれがこう今までの人生の中で一番大きかった。

一番ベースになってんじゃないかなって思うね。それまで読んだ本は、さっき言ったように、一応コース、昔の人がたどったコースね、あの自分の忘れへん本は言うたら、あそこに並んでるわ。捨て難い本。あとでまあ処理してもらって、あの言うとくんだけど、やっぱ捨て難い本は残ってる。


ーけどもやっぱこれが一番。

そうね。だから、素晴らしいね、あの、簡単なことだけど、数学者とかあの文系とか理系とかいう区別は今でもする人あるけど。あれは本当にね、区別すること自体ナンセンスやと思う。偉いその物理学者、数学者はあのそんな区別しはらへん。
やっぱり、情緒が人間の中心で、発想はそっから出るもんやと。そういう豊かな人こそ、はてなっていうこと、学問のスタートの切り口はたくさん持ってる。
そういう感じで、僕はこの本をベースにして、そういうあの世界を大事やと思いました。


ー宝物について喋ってもらったんだけど、次は自分の夢、やりたいこととか、これからこうしていきたいとか思ってること。

そんなに多くはないんだけど、やっぱりあの人間に生まれたからにはね、あの、愛おしい人、自分の世界いうのは限りなく続くもんやと思う。限りなくやから、どこまで続くかわからん。で、喜怒哀楽いうのは昔から、変わらないけどな。それから何が正しいかいうのは、あのさっき言ったように変わっていくけれど、世の中いうんのはあの変わっていくんだけれど、時代時代で次の時代の人にね、バトンタッチしていく。僕の息子でも言うとるんだけど、時代が変わってるから、あの、よろしく頼む言うたら寂しがるから、そういう言葉は禁句だけどな。時代が変わっていくんだから元気でないうことはやっぱり、折につけて言うとるしな。あの、支えになるような感じでね。
あの、身勝手なしに、まず迷惑かけないこと、それから時間があればあの、頼まれて納得したら自分の力の限りやること。で、でしゃばったらかえって迷惑かけること。やっぱり主役は次の世代、若い人の世代。それは、限りなく、これおばあちゃんも一緒だけど、そういう気持ちでおるから。
あの、若い人の前に立ちはだかるいうことは一番罪やと思う。
まず聞き上手にならんいかん、具体的には。


ーじゃあなんだろうな。こう夢を託す側になってるみたいな感じなのかな。次の世代にもう。

できるんだったら、やることあればやるよね。しかし変わっていくわ。あの、もうやっぱり人間て有限の世界にあるから、次の世界はないとは言わん。しかしなんだろうなと思う。果てない世界。
だから大文字見て、送り火見て、年々、年ごとに思いが、色んな人と出会ったり別れたりするけど、この歳になると別れる方が多いんだよ。それなりの、あの、寂しさとかなあるけれど、これは仕方がない。形あるものは滅びる。


で、けっこうね、おじいちゃんなんかの夢の感覚はな、日本人の美じゃないかと思う、文学の。平家物語にしても、徒然草にしても、方丈記にしても。出だしの有名な句があるでしょ。で、あんたたちの方がよく知ってると思うよ。
別だよ、もろもろ。哀れさとかしみじみした情緒。おじいちゃんのようになると、不思議なことなんにもないと思う。
そういう感じ。だから、そういう感じや。やりたいことは自分のあの、思いのままに、迷惑かけないでやったらええと思う。


今読んでるのは太平記。違った見方をね。吉川英治の太平記。私本太平記。それから時代小説いうのはな、けっこう、けっこう歴史小説、時代小説いうのは、いわゆるあの司馬遼太郎なんかもちょっとぎゅーっと入ってくると思いますけど、池波正太郎とか司馬遼太郎はまだ読んでないけど、ああいう世界は、さっき言ったように、あの、義理人情とか喜怒哀楽とかな、あの藤沢周平でもそうですよ。ちょっぴりものの哀れを感じさせるようなな、けっこう時代小説には多いね。藤沢周平なんか日本人が好むんちゃうかな。時間あればああいうことを自分なりの小さな世界だけど楽しく。
そういう感じで。


ー自分のそのこうやりたいこととか、今やりたいこと、次の夢だったりってところと、この生き方のベースってところで繋がってるなって感じるところとかは。

あの自ずから、それは人にまかせます。あるんじゃなかろうか。


ーなんとなくあるかもしれないとは思うって。

しかしね、思いのままに、やっぱ若い人は、あの、自分の信念とか生き方いうのは、それぞれ具体的に言えば、具体的に、生き方いうのは人によって違うから。おじいさんなんかもう時代が時代やったからサラリーマンでいこういう気が、もう初めからあって。自分あとから考えたら、あの、教員なんかは、自分でやりたかった仕事の一つじゃなかろうかいう風には自分で思ってるけどね。別に悔いはない。


ーじゃあ今は、今やりたいことっていうよりはこうして生きていきたいっていうのは、その迷惑をかけずに自分のやりたいことを。

そうそう。まず、まずね、特に若い人の障がいになっちゃダメ。あの進んでる道に、よく出しゃばる人がおるだろうし。たまにはな。大多数はそういう人じゃ、他の人は違うだろうけど。そういう心がけです。と言って、非常に動いたら心配かける年代でもある。
けっこう子ども言うたら、親のことを批判しながら親を心配してるからな。これはね、家族のしがらみ以外にやっぱり愛しい人いう。家族は僕はしがらみとかな、同じ屋根でも、同じ字でも、絆とかいうのは糸偏に半分やろ。あれしがらみとも読むやな。しがらみじゃないわほだしとも読む。意味が違うんだよ。広辞苑引いてごらん。
簡単に使いすぎる。こう理屈でつければ。やっぱりあの、絆というのはな使いながらな、けっこう、こう当面歩いてたい、あの、極限に、人間がね、あの、立たされたら、絆と言いながら逃げてしまう人が多いな。


東北でもそうや、あの、どれかな。えー、地方にああいった、なんと、こう、何物いうんか、廃棄物な、あれ持って行って処理、処分してくれ言うやろ。放射能あるのはいかんけどね、せやけど放射能ない言うても、いやじゃ言うとこがほとんどやったろ。あれ絆言いながら、実際にはそうなんや。汚染がきついとかな、排他的ですよ。
もうちょっと、それから沖縄の基地でもそうや。人のことやと思って旗降ってるけど、いざ自分の県で負担しよう嫌じゃいう人。
僕はその当面じゃないけど、大きな声でそういうことはいかんて言う立場じゃないけれど、けっこう人間って自分自身しか、あの自分もそうなるかわからんけど、難しいところあるだろうと思うよ。
本当にな、人のために働くいうのはね、さっき言ったように肉親の縁を切らなくちゃできっこない。良寛みたいな人だったらできる。それができなかったら、生半可なね、なまじいなことは人間言えないなと思って。
なんかそんな気分だな。
ともかく、人に迷惑かけないように動くいうことはだれでもできる。もうそういう年代ですね。そんな世俗的な欲はないです。



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