大川晴(23)

うーん、この時かな。


ーはい。

でね。無駄に迷っちゃうんだよなあ。あのね、去年色んなことがあったんですよ。色んなことがあったんだけど、やっぱ一番去年起こった中で大きかったことっていうのはこれかなっていう写真なんですよ。
これっていうのは、去年アルティメットっていうスポーツをコンゴに広めようっていうプロジェクトで自分で立ち上げて、現地でやってたんですけど。
まあそんときに、だいたい半年後くらいかな、渡航して半年後くらいに現地の政府と現地のスポーツ省とあとは最高裁判所っていう、けっこうねお固い組織に書類を全部出して、で、それが初めて認可された瞬間がこれなんだよね。

公認スホポーツ化














で、なにを認可させたかって言うと、アルティメットってスポーツを国のスポーツに認めてくださいっていう書類なのね。
まあつまり、アルティメットって全く入ってない状態だったから、だからそれこそ、今現地で、こういう書類を取る前まではただの遊びだったわけよ。その辺の少年が考えたのと同じような遊び。

だからちゃんと国に提出して、アルティメットっていうのを国のスポーツにしてもらえれば、それこそ学校教育に入れることができたりとか、世界大会にコンゴ代表を出場させることができたりとか、ていう可能性が開けてくるっていう意味で、まあこの瞬間だね。
この瞬間はやっぱり歴史に、まあアルティメットっていう名だったりとか、それこそ「Haru Okawa」って名前だったりとか、そういうのがコンゴの歴史に刻まれた瞬間。ていう意味では、やっぱ大切な瞬間でしょうね。と、思うね。


ーコンゴの方に行ってから今までで一番大きい。

そうだね。やっぱこれがいろいろ変えたよね。って思うんだよね。うん。やっぱり去年すごくトントン拍子に物事が進んでいったんだよね。
本当にトントン拍子で、行って一週間でいきなり向こうのスポーツ省のナンバー3の人と会えちゃって、話をしたらお前面白いから明日もう1回来いって言われてオフィス行って。
オフィスで、こうこうこういうのを広めたくて、アルティメットってこんなに面白いんですよって映像を見せたら、一発でじゃあこれ国に広めようみたいな。
そういうテンションで去年やってたらから。一つ大きな形として書類となって、国が認めたっていうのはやっぱり大きいよね。うん。

これがだからこそ、やっぱ自分自身の立ち位置ってのも変わったし、5月1日にセレモニーがあったんだけど、このオフィシャルスポーツ記念のね、その時にそうやって、ナショナルコーチっていうかそういう仕事ってのも、任されることになったりとか。
TEDeXに出ることとか、まあいろいろなんかいろいろ取り上げてもらったりすることとかもやっぱこの出来事があったからだと思うんだよね。


ーなんかトントン拍子って言ったけど、苦労ってあったんじゃないですか。

うん、どうかなあ。うーん、まああったかもしんないけどねえ。でもどうなんだろうねえ。比較的あんまりこう、多分普通の日本人がするであろう苦労っていうのは、僕にとってはあんま苦労じゃなかったりするんですよ。多分。

例えばこう、コンゴ人が遅れて、てか時間に遅れるのは常だし、半日経っても来ないとか、一日日付間違えてくるとかざらなんだよね。とか、もう雨の日は絶対出歩かないし、傘させよって思うんだけど。
ていうぐらいそういう怠惰な感じなんだけど、僕は、やっぱ最初からそういうのに対して別に不満は抱かないタイプだったし。来ないんだったら来ないんで、違うこと自分でやりたいしね。すごいポジティブなタイプだから、あんまりそういうイライラって感情がなかったのよ。だから、あんまりそういう精神的な苦労っていうのはなかったし、まあ生活の上ではやっぱり、言語が通じないとか、フランス語とリンガル語って言語なんですよ。

で、英語は全く通じなくて。
何も喋れなかったから。フランス語はね大学の授業の選抜で落ちてるから、二度と勉強しないようにしようとしたんだけど。結局まあやるはめになっちゃってね。だから、現地ではねリンガル語っていう言語を喋るようにしてるんだけど。
リンガル語っていうまあ現地語、けっこうシンプルな構造、わかりやすい言語。それを勉強するようになって、日常会話くらいだったらなんとか喋れるかなっていうレベルにまですると。でもそんなん、その辺のコンゴ人と話してればなんとなく入ってきちゃうもんだから。うん、まだまだ全然レベルは足りないんだけどね。でもやれるだけはやれるようになった。もちろんあと飯が合わないとか、いきなり虫がでてきても困るよねみたいな。


ー虫って虫ってしてるんですか。

やっぱ、こう、あのあれよね。要はカブトムシの幼虫みたいな虫、ああいうのをみんな栄養源として食べて、あれは高級食品ていうか高級なの向こうの人にとっては。すごい祝い事の時に食べる風土で。だから、例えば俺なんかが行くと、珍しがって、こう接待してくれるわけよ、コンゴ人。そうするとこう虫がいっぱい出てくるわけ。高級食材だから。
いやー虫は食えないなーみたいな最初は、今だったらなんとかなるけど。まあそういう生活面の苦労、もちろんあったのかな。まあそんなの慣れるしね。


まあ、そうね。でもやっぱり、苦労っていう苦労一つあるならば、去年一年間っていう期間でもともとは日本語教師として現地に行ったんですよ。うん。で、日本語教師として行って日本語教えながらこういうことやってたんだけど。一年間行く中で日本語だけやって、はい、教えましたって日本に帰ることはできないと思ってたんだよね。ずっとね。どうせ行ったんだったらなんかやらないと帰って来れないみたいな。
祖国の土は二度と踏めないみたいな、そういう思いで行ったから。
絶対なんか成し遂げてから帰りたいって思って、そういう意味で最初のね1週間後、いきなり結果っていうかいいのがきたけど、どうしようかなとずっと思ってたね。日本語教師ってパスだけ持って行ったから、何も考えてなくて、アルティメットはサブっていうか趣味。こんななると思ってなかった。趣味で行った。だからそれが今こういうふうに上手くいってるってことはいいことだけど。


ーどのタイミングでやってやろうってなったんですか。ナンバー3の人に会ってその人が気に入ってくれたみたいなところがあるんですか。

そうだねえ。うーん、やっぱアルティメットでやってやろうてかやれるなって思ったのは、やっぱその時だと思うね。ナンバー3の人に会って面白いからやろうつって言われたとき。
でも結局そのナンバー3の人はけっこう悪で、最終的にその人から賄賂しか喋られなくってさ、だから関係断ち切ったのよ。
そう、関係断ち切って、その人じゃなくてどうにかできないかなっつって現地にいるモザールさんていうパートナーとともに、あの、わかった、じゃあそのナンバー3を介さずして大臣にまでいく方法を考えようと。
つって、周りにいる役人をヘッドハンティングしようっていう企画を立てて、ヘッドハンティングをしたりした。
で、その結果1人女の人が捕まって、で、その人が軸になって大臣までつなげてくれたりした。ていう感じだったから。やっぱその、国レベルで広めたいですよとかそういうことを大臣から言われて、で、そのあといきなりね、あの体育教師300名集まる研修があるっていうキンシャサで、そこに講師で来いって。

で、なってから、あれ、これちょっとヤバくないかみたいな。なんなんだこれは、なんかこれちょっとミラクル過ぎるなあって思って。いう感触を持ち始めてからは自然とやっぱあがってったよね。
だからもうそれ以降は積極的に村を回ってね、アルティメットを教えて、人を増やして、プレイヤーを増やして、毎週毎週やってる。まあそれが、その時から始まったって感じ。


ーけっこう比較的最近のことですけど、自分の中で変わったものとかってあります。そのコンゴ行ってから。

コンゴ行ってから。なんだろうねえ。うーんやっぱりねえ、多分何個かあるのかなあ。基本的にやっぱり自分自身はそこまで変わってないような気もするんだよね。
変わってない気もするんだよ。っていうのは日本人に接する自分と、コンゴ人に接する自分て本当に同じような感じなんだよね。
去年行って気づいたんだけど、あんまりこう変化がないというか、こうやって喋ってるように現地でも喋ってるし。あんまりこう違いはないなって思いながらも、でもやっぱり、強いて言葉で言うならば、一つはやっぱ大胆になったかな。

大胆さっていうのがなんとなくね身に付いた気がする。ていうのはなんか、自分で言うのもなんだけど、もっとねコンゴ行く前はね、あれだったと思うんだよね。あの、もっとどっちかというとね、気弱なところがあったと思うんだよね。気弱なところが多分あったし、あくまでもこう、今大学の名の下の学生だった気がする。うちの大学のイメージのようなああいう感じ。
うん、やっぱり押し切れないところもたくさんあったと思うし、全然肝も座ってなかったし。でもやっぱ今は、もっとこう大胆に色んなものを切り開けるようになったかなていう感覚はやっぱ自分の中ではあるね。
そういう風に生きたいと思うようになった。もっとこうね、どんとやっていきたいなていう風に思ったのは、去年の一年間やって今思うことかな。

うーんそれは多分、いろんな何かの、なにかによって生まれたんだろうね。だから、うーん、でもやっぱ、一番大きいのは、なんかリミット、自分の中のリミットみたいのものってあるじゃない。そういうのをね、外す訓練はできたんだよね去年いろいろと。
だからこうしなきゃいけないとかさ、まあいろんな多分、日本で暮らしてればいろいろあるでしょ。でもそういうのっていうのが、自分の中で一歩そこのリミットをカチャって外すようなことがね、今すごくできるような気がする。
例えばこれからあと3年行っちゃうでしょ。こんな大学まで入っててさ、本当はだって就職するべきだったと思うし、ね、やっぱいい会社に入るのが筋だとはなんとなく思ったのよ昔はね。でも今はこうやって自分で道を切り開いていこうって思いになったのは、やっぱそのリミットを外すっていうふうなものを意識しだしてからかな。
多分そこに可能性はたくさん眠ってるんだろうしね。うん、だからそこっていうのを最近意識するようになったかな。

なんだろうねえ。やっぱねえ、やっぱこういうまあアルティメットの活動ってのにも、やっぱ熱を持ってやってるんだけど、割とね淡々としてる自分がいるんだよね。

熱はあるんだけど。なんかね、去年一年間やってみてね、やっぱ、俺ってさアルティメットが大好きなわけじゃないんだよね。なんとなくわかると思うんだけど。ずっとやめてやろうって思ってたし。しかもそれでいて、あの俺全然サブメンバーだったから、全然試合でこうねすごい活躍するなんてこともなかったし。
そんな自分が今向こうでこれだけね、やってるってのはもうよくわかんない。よくわかんないなって思いながら、もちろん熱はあるんだけど。でもね一番やっぱ自分がやりたいことってこっから始まると思うんだよね。うん。去年はやっぱ成り行きでこうなったから、今これだけこういう風になったんだけど。

本当に自分がやりたいこと、例えばエンターテインメントとか、そっちなんだよね。将来は映画を作りたいって思いがすごい強いし、ハリウッドで仕事したいって思いとかね、それすごいずっと思ってるんだよね、去年くらいから。だからやっぱそういうね、コンゴで映像を撮っていったりとか配信していったりとか、そこだったらすごい面白いと思うし。いや今ね、俺なんか話それちゃうかもしれないけど、もう一個ねおもしろいことをやろうと思っていて、けっこうねきてんのよ、それが。

それがね、コンゴでね、あの、スポーツブランドを作ろうと思ってるのね、今。
これは、まあアルティメットがこれだけヒットしたこととかこつけてっていうのもなんだけど。あの、まあ元はと言えば現地でフリスビーを生産しようと思ったの。でもそうした時になんかこう、例えば大川スポーツとかがないと、会社がないとさできないっつって、じゃあ会社でも作るかってなった時に、いやこれは別にフリスビーだけじゃなくて、もっとこうね、アフリカ発のそういえばブランドってあんま聞いたことないな。
アフリカ発でもっとね、もしかしたら、アフリカでアフリカ人が世界最高のなにかを作ったらうけんじゃねえかと思って。スポーツウェアとかって現地ではあんまり出回ってないのね。それこそ、その辺のぼろ布みたいなの着てみんなスポーツやって。でも例えばアディダスとかナイキとかもちろん、まあね、高級スーパーとかに置いてあるけど、高くて買えないわけじゃん。それをアフリカ人が買えるような値段で、かつ、コンゴのああいう意匠産業の強みを生かしてなにかスポーツブランドっていうので、かこつけてやっていたらおもしろいんじゃないかなって思ってるの。
で、アフリカ全土で流行らせたらおもしろいじゃん。そしたら初めて日本に持ってこようかなって思ってんの。アフリカ人のための何かブランド、ていうのを作ったら面白いかなと思って。俺それをさらに映像配信しようと思ってんの。これも全然まだどこにも書いてないし、出してないんだけど。

アルティメットの活動も今年からすごくまあまたおもしろくなんのよね。去年はやっぱこうね流れまかせにやってたけど、今年からはイニシアチブをね、本当に自分たちが持ってやっていく時期だから。まあコンゴ全土にアルティメットを広めますよっていう計画も始まったりとか、アルティメットで新しく産業起こしましょうとかね。また学校教育にどんどん入ってるから、それを後押しするとか。2016年の世界大会目指して代表チーム組織するとか。おもしろいんですよ、それもね。まあ、でもそういうのってまあブログでももちろんよかったんだけど、去年俺もブログ一応書いてたんだけどね。

あの、それ以上に映像を見たいって人が多いのよ。コンゴの映像ってどんなんなんだっていう。やっぱブログの文字と写真だけじゃ、伝わりきらないものってのがあって。かつコンゴの映像ってNHKでも持ってないんだよね。この間NHKの人が取材に来たんだけど、その時にコンゴの映像を見せてほしいって言われるわけ、でNHKだったらアーカイブスで持ってるかなと思って聞いたら、いやないって。
紛争地域のやつはあるんだけど、コンゴってけっこう大きい国なのね。アフリカで2番目に大きくて。一番右端では紛争が起きてて、そこは普通に映像とか世界で出回ってる。でもそれ以降のその西側の映像って全然ないんだって。まあ観光客すらいない国だから。まあそりゃそうだなって思いつつ。

だから、あ、チャンスだなって、じゃあそこでまあアルティメットを自分が広めていく映像もそうだし、あとはそれこそスポーツブランド立ち上げる企画もそうだし、なんか向こうでやったことを例えば週1回この時間、例えば金曜日の朝8時から約5分間から10分間、通勤時間で見られる映像を毎週1回配信したら面白いかな。

来年は相当面白くなってる。
今はね、もうね、ありとあらゆるとこでこういうコンゴの今みたいな話してるからね。割とこう自分の中で、この決まったパターンになってきてんのよ。はいこういうことがあってですね、でこういうふうになってて、こういう苦労がありましたみたいなさ。やっぱ半年くらい今日本にいるから、そうするとやっぱ色んな人と話すんだけど、決まったことを言っちゃうようになるんだよね。多分これの方が一番伝わりやすいみたいな。だからけっこうそのさらっと言えるようになったっていうか。来年はね、あのねえってすごい勢いで多分言えるようになるから。そうね。まあでもコンゴはそんなところかな。


ー次が自分の夢について。ちょっと若干やりたいことみたいなところは今話してくれたんですけど。一番やりたいところ、夢ってところで何をこう目標に生きている、今やっているかっていうところを聞きたいですね。

多分人生の自分の中の今持ってる目的って何個かあるんだけど、うーん、多分ね、俺のね、頭の中にはね、二つの軸ってのがあって。一個の軸は、軸っていうか図なんだけど。うーん丸がね、いっぱい重なった図ってのが自分の中にはあるの。


ー同心円上の丸が。

うん、そうそうそう。丸がばーってあって。で、俺が今までやってきたことって丸を大きくすることだったと思ってるのよ。
ていうのは、まあまあまあ、今までいろいろやってきてね、まあ例えばじゃあ今の大学から、今の大学入学から考えたとしてさ、大学入学は一番ちっちゃい丸なの俺の中では。こっから全て始まったわけよ。で、次に起こったことって、じゃあこの丸を大きくしよう、入学した以上のことをやろうって思った時に、うーんっつって。
アルティメットやったこともそうだったかもしれないけど、アルティメットやったことで大きな丸にはならなかったわけ、俺にとっては。

で、途中でこうちょっと教育に目覚め始めて、あ、俺は教育の道で日本の教育を変えるみたいな、そう言う発想を思い始めて、で、思い立ったが吉日ですぐ文部科学省のインターンシップに申し込んだの。締切り日に。学事前でばーって書いて荒いやつなんだけど。出したらなんか通ちゃったのよ。
でこう自分の中では一個ステップが上がった気がしたのよ。大学に入った以上に。で、そこでこう一個丸が大きくなった。
大学の丸がこうだとしたらこういう感じでね。また大きくなっていって。で、文部科学省行った1ヶ月くらい夏インターンシップしてたんだけど、まああんま面白くなくてね。こんなんじゃ国かわんねーよとか思いながら、まあ悪い言い方だけどね。当時は思ったのね。

だからそれ以降は、じゃあ自分で国を、自分で国を変えるためにはどうすればいいかっつって、新しい学びフェスタと呼ばれる、実はね震災で中止になっちゃったんだけど。日本でねその当時一番大きな教育フェスタみたいなのを、うちのキャンパスで開催しようっていう流れだったの。文部科学省と、ベネッセと、うちの大学、カタリバの4つかな。産学連携してやりましょうっつって。
俺それのね、大学代表みたいなのなったの。うん。っつってもうちの研究会にオファーが来て、俺教育の研究会入ってんだけど、そこであの、俺新規だったんだけど50人くらいいたのね。ゼミが。多いなあと思って入って。

いきなり俺が入って何週間後にその話がやってきたのよ。じゃあこの研究会から代表やりたい人いますかって。てかそんな大きなプロジェクトのね代表をまさかこの場で決めちゃうとは思わなかったから。はいって挙げてみたの俺。何も始まらねえと思ったから。そしたら誰もいなくって。
そしたら副リーダーやりたい人っつったらいっぱいいたの。

そういうもんなんだね。でさ、研究会当時50人いて、まず思ったのが絶対にこの環境で埋もれちゃいけないなと思った。だから手挙げたの。そしたら案の定誰もいないじゃん。で、メンバー最終的にね、うちの研究会だけで30人くらいいたかな。けっこういたんだけど、いて。
俺以外みんな知り合いなのよ。全員知ってんのみんな。でも俺リーダーでしょ。こいつ誰みたいな。新規で入ってきた2年ボウズのくせになに言ってんのみたいな。ああ、やべっつって。
まあそっから始まって、あのまあ本番までいろいろ準備をしたんだけど、まあそれによってまた丸が一つ大きくなった感覚がしたのよ。で、まあ結局震災でね、オシャンになっちゃったんだけど、そのあとね何もやる気が起こらなくて。

ていうのもその後、結局コンゴで一年間やろうと。なんか何者かになりたいっていう欲がすごい強かったんだよね。このまま卒業するわけにはいかんと。まあ就職するにも何も言えないから。っつってコンゴに一年間行って、で行ってまた大きくなって、でコンゴでアルティメットやってまた大きくなって、でTEDeXに出たいっていう夢があったから叶えてもらって大きくなって、雑誌に出て大きくなってとか。そういう自分の中ではさ、大きくしていってる感覚があって。
そういう自分の中ではさ、大きくしてる感覚があって。ていうのは、大学に入りましたっていう一個の丸じゃ、ノーベル賞取りたいっていう大きな丸は達成できないじゃない。だからこの丸って絶対自分の中で大きくしていく必要があるんだなってのはずっと思ってんのよ。
そしたらいずれ、多分、まあまあ例えばね、ノーベル賞が一番、ノーベル平和賞が一番外枠にあったとしたらそこに届くかもしんないじゃん。だから自分の中でその感覚ってすごく大事にしていて、大きくしていきたい。っていうやっぱ軸が一つとして。


もう一個の軸っていうのはやっぱりあれだね、うん、困ってる人は助けるっていうね。
別に大きな意味じゃなくてね、貧困で喘ぐ人を助けたいとかそういう意味じゃなくて。例えば親孝行もそうだし。うん親孝行しなきゃいけないなってすごい思うよね。親孝行多分いろいろあると思うけど、まあ俺の場合は一つはまず家にお金を入れることとかね。今後3年間行っちゃうからさ、向こうで何か仕事見つけなきゃとか、ビジネス立てなきゃとか思って、必死にやってるわけだけど、やっぱそれもね、やっぱ親に本当に恩返ししないといけないっていう、自分のね強い強迫観念みたいなね。まあ親もそう言うからね。
っていうのがあって。
まああとはやっぱりそういう彼女も幸せにしてあげたいし。まあ友だちで困ってる人がいたら、絶対その子助けてあげたいしね。まあこういう軸がやっぱ、だからその二つの軸ってのがやっぱり自分の中で大きい。
なんかそこに向かっていってるような感じはする。
まあやっぱでもその中で夢とか、そういう目標とかそういう話になるんだとしたら、まあその、それは大きな丸の方に、丸の方に移るんだけど。うーん、まあやっぱね、やりたいことをやるってのは一つの大きなモットーなんだよね。丸を作っていく上では。


ーそれは自分がやりたいことに素直にっていうとこですよね。

やっぱりやりたいことをやってそれでちゃんと結果も出してね。説得力を持って何かを語れるようになりたいしね。だから、そうした時にまあさっきもちょっと言ったけどね、まあいずれはそういうハリウッドで活躍したいね。


ーそのやりたいことをやるっていうところって、けっこう気づけてない人ばっかりじゃないですか。
本当に素直にそれやりたいのって。それにこう気づけた時っていうのは、自分の中ではいつなんですか、芽生えたっていうか。

そうだね。あのね、ちょうどね、俺の中で大事にしてる物語っていうのがいくつかあってね。俺の中に、多分その気づきを与えてくれた話ってのが、波の話っていう話があんの。波の話よ。

あの、まあ海の波、波ね、あれを想像してもらって。でちっちゃい波と大きい波があるとするでしょ。で、あのちっちゃい波っていうのはまあイメージ通りよ。
で、ちっちゃい波とおっきい波が話し合ってんの会話をしてて。で、まずちっちゃい波は、あの波って結局ああやってさ岩盤とかに当たっていくだろ、当たってびしゃんってなるじゃない。テトラポットに当たってるイメージ。
あれが怖いっていう話を波がするわけ、大きい波に向かってね。で、怖いんだけど、つって、で大きい波は、なんで怖いんだって聞くわけ。で、大きい波っていうのは、すごく気持ち良さそうに波、波ってか泳いでんの勢いよくやってんの。
でもちっちゃい波は岩盤に当たるのが怖くてなにもできない。で、大きい波が言うわけよ一言。あのなっつって、結局ね、僕らそういう波ってのは、岩盤に当たって砕けようが、そのままね、海をこうやっていろいろ回って生きようが、結局は同じ海の一部なんだぞって一言言うわけ。

でそれ以降波がどうなったかはなにも書いてないんだけど。俺その何ワードかのね話がすごく好きなの。つまりね、まあ多分これって文字にするともっとわかりやすいと思うんだけど。
そこでやっぱ自分が当時受け取ったメッセージ、これはちょうどね、文科省のインターンしてる時に、帰りの電車で俺の先輩が言ってくれた話なんだけど。やっぱ、結局、俺らって人間なんだよね。多分コンゴ人も日本人もそう、一緒の同じ。

でもやっぱそん中でも、うじうじってしてさ、やってる人たちもたくさんいるだろ、もしくはいろんな環境のせいにして何も動けない人とかもいる。でも逆にすごく楽しんで人生生きてる人いる。でもそういう人たちって結局おんなじ人間で。結局はおんなじフィールドの中で何をしてるかがただ違うだけ。そしたら俺はおっきい波でいたいなってすごく思ったのその時に。


ーそこで気づかされた。

うん、やりたいことをやるっていうのはそこに繋がるところがあると思うし、自分の中でやっぱ大きな転換点になった話だったかな。その大きな波に憧れるっていうか。
確かにそうだよなと、結局は同じ波だから、同じ人間だから、壊れようが生きようが。いつ壊れるかわかんないけど。ていう話でいろいろ変わったかな。


ーそうなるとこう夢っていうのが、円を大きくしていくって話だった。宝物の経験っていうのは、自分の円がこう大きくなったっていう経験だったってことですよね。

そうねえ。なんかまあ大学生活を語る上で、だからね、やっぱ起点起点で大きくなっていってる感覚はある。うーんただまあさっきの写真もそうだけど、まあそれも大切な瞬間だしっていって見せたってことは、間違いなくそれが大きな円の一つだったよね。
もう一個の軸っていうのは、例えばそういうさっきの彼女の話だと思うんだよね。


ーっていった感じですか。

うん自分のイメージではね。
いろいろやりたいことあるんだよね。全然いろいろやりたいことあってねえ。十年ごとに生き方を変えたいんだよね、あわよくばね。


ーあわよくば。

あわよくばよ。もちろんいつかはね絶対ハリウッドで活躍したいっていう思いはあるんだけど、それは絶対一生じゃないないんだよね。
俺ってすごいよくばりだからさ、やりたいことたくさんあるのね。まあだからそれこそ、こうハリウッドで映画作りたいとか脚本家なりたいとか、監督なりたい、プロデューサーなりたい、夢があるけど、そのもう一個傍らでは、あの金を稼ぎたいって思ってんの。
あの、もちろんそのね、自分がやってる映画のこととお金のことが結びついたらいいんだけど。俺いきなり映画をね、こっからね作り始めていった時に、このままこう親孝行できる自信がないの。

俺の親父カメラマンでさ、母親はね、父親の元でずっとやってきたわけだど。昔からね一貫した教育があって、絶対にいい大学に入って、いい会社に入れっていうね。そういうのがあってね。
だから、もちろんあの非常によく楽してもらったし、すごい感謝してるんだけど、まあでもちゃんといいとこに就職しなさいみたいなね。メッセージがね、受けるようになったね。ていうのも小学生の頃に、おれすごくねボンボンのね幼稚園と小学校にいたの。大学まであんだけど。周りの人はみんな芸能人の子ども。
周りにはすごい色んなね、芸能人の子どもしかいなくて、俺も必然とそうやってね、父親の事務所継いでいくんだなて思ってた。なんだけど、小学校の時かなんかにね、親父に、お前は写真は向いてないって言われたことがあって。それで俺すごく心に残ってんの今でも。だめだなあみたいな。

そんなことがあってからああやっぱここにいる人たちと一緒になんか行ったら、俺は多分活躍できずに終わるんだなってなんとなく悟っちゃったのよ。だからやっぱ、それ以降こう、今の学校に入りたいとかそういうのになったのも、そんなこともやっぱいろいろあったね。それ以降かな。
やっぱこう親からそういうメッセージが来るようになったね。勉強し始めてから。昔はなんかね、ほんとにそのまま俺を継がせようとしてたのか知らないけど、芸術家に育てようと必死だったらしくてね、幼稚園自体からね。現に俺の妹、バレリーナになったんだよね。熊川哲也監督で。やっぱそういう感じなんだよね、俺だけなんかちゃんと就職しろみたいな。だからやっぱ、ちゃんとやっぱね、あと3年やるんだけど、まあ3年っていうのは2016年の世界大会があるからってのが一番大きくて、まあそこに監督兼プレイヤーでも出れるのね。規定で。
何年以上住んでたらいいよって。俺コンゴの国旗背負って日本と戦うのよ。


ーそれおもしろいっすね。それは見に行きたい。

そしたらまあまたメールするよ。あんなにさぼってた俺がさ、ボウズにまでされた俺がさ、日本代表と戦っちゃうんだぜ。

まあそんなことがあって3年。だからあと3年の間はね、ほんとにこう自分の可能性にかけてなんでもやってみようと思う。アフリカっていうすごい可能性がある大陸で。ビジネス起こして一躍ね、すごい人になったらいいよね。アホやって。
ダメだったら本当にそんとき就職するわ。もう潔くやろうと思う。そんときにもう、ちゃんと就職したらちゃんと給料がちゃんと入ってくるでしょ。いいよねえ。すごいね最近羨ましい。

同期がやってること、まあもちろんね、今年ちゃんと就職すればよかったんだけど。あのね、やっぱ自分のやりたいことをこうやって押し進めようとした時に、やっぱ世間体で見たらまたちょっと違うことをやろうとしてんだよね。就職もせず3年間行っちゃって、大学まで出といてね。ていうことを考えると、やっぱね、まだ自分の中でそこの怖さってのはまだ残ってんだよね。それはまだ日本にいるからだと思うけど。

まあそういうのもやっぱね、正直あんだよ。一個はずれちゃう怖さってのは。だからそう考えた時にね、やっぱねこう定期的にこうさ日本で働いて、いくらいくらお金が入ってくると。そういう状況っていうのは、やっぱりこれから自分がいかにお金を生み出そうかとしてる状況の中では非常に羨ましい。
月20万無条件でもらって、無条件って言っちゃちょっとあれなんだけど。やっぱり羨ましいと思っちゃうのは、多分親にすぐ恩返ししたいと思うから。早く家にお金入れたいしね。
まあだから夢はハリウッドで活躍することと億万長者になること。
そんなとこかな。


ー大丈夫ですか、なんか言い残したことは。

言い残したことねえ。
うん、だいたい言ったかな。



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