匿名希望(22)

ーではなんで、この写真を自分の大切なものとして選んだとっていうところ。

んーなんで。


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ーこの写真がなんなのか。

どっから話せばいいんだろ。
まあ、これはあの、見ての通り、ね、バイクの、まあグローブなんですけど。
まあ、本革の、あの。まあ、バイク界でいうブランドの、まあちゃんとした、あの、まあ安全を気にするライダーの使うやつなんですね。

で、あのまあこれをくれたのが、まあうちのお父さんにもらったんですけども。
いつだったけな。まあ僕の誕生日に、えーっと確か20歳の、20歳じゃないか、19かな。19の誕生日に、あの、まあなんにも、その、父親ともそんなに、まあこの歳になってみるとあんまり話さないので。
まあ、特になんにもないかなって思っていた矢先に、あの、なんだ、バイクの、19歳で。まあ17の時に僕はバイクを買っていたんですけど、なに言えばいいかな。
全然まとまってない。
まあ、まあ簡単に言うと、あの、えーっと。


あんまりその、話してない、いつも話してないお父さんが、あの、僕の、あの、僕がバイク乗り始めた時に、まあ気利かせて、まあ気を利かせじゃないですけど。
ちょっと待てよ、思い出してる。なんだったけ。
えっと。うーんと、ああ、そうだ。
バイクを、あのバイクを17の時に買って、で、それで、まあその時に、その時じゃねえや、その時の誕生日に、僕にその、買った時じゃなくて、誕生日にこのグローブをくれました。
なんかちょっとね、ごめん、思い出せねえ。ちょっと待ってね。すごいめちゃくちゃ嬉しかったんだけど。
どうだったけな。あんま思い出せないな。

まあ、その時に、うちのお父さんが、お父さんと全然話してなかったってのも大きかったんですけども。まあそれで、えーっと、まあ僕はバイクを買って。
まあ、それはもう関係なく勝手に楽しんでたんですけど。
その時に全然喋ってなかったんだけど。喋ってなかったっていうか、あんまり、まああんまり関わりがなかったていうか、そういうことについてはもう全然、バイクの話とかも全く、バイクの話とかは全然してなかったんですけど。
その時に、まあやっぱり、ああ考えてくれてた。
なんか、なんて言うんだろう。
まあ俺のこと考えててくれてたんだなっていうのは、一番、一番というか、まあその時に、ちょっと嬉しかった。嬉しかった、一番嬉しかったですね。
まあそれ、やばいなあ、まとまんないなあこれ。


ー父親との絆みたいなものを表してるとかそういうこと。

うん、それに近いかな。なんか、うーん。
なんか見えないけどこう、やっぱりこの思ってくれているってことが、なんだろうな。
それが全然、全然見えなかったんで、全くのサプライズだったのが嬉しかったのと、本当になんか自分のことを思ってくれてたってのが嬉しかったかなっていう二つかな。


ーそれで宝物になってる。

まあ実際、実際使ってはないんですけど、まあ宝物ですね。


ー大切なものだから使えないとかそういう。

それもあるし、暑い。ですかねえ。はい。


ーそこ失いかけてた、父親との関係、自分の中ではこう思ってくれてないんじゃないかなって思ってたものが、やっぱりあったって事実がすごい嬉しかった。

だからそれが見えない期間がすごい長かったっていうのが、まあギャップじゃないですけど、ギャップっていう言い方変ですけど、まあそれが、一番感動として、なんか喜びに感じられたんですね。その当時。


ー今もそれは大切にしてる。

まあ、まあなだらかに安定したっていう感じです。


ーそういう風に、これを見たら、こう父親が思ってくれてるっていうのを感じる。

それを見るたびに確かに思い出すけど。


ーそれがやっぱ嬉しい。

てことですかね。なんでなんだろう。やっぱサプライズってすごい嬉しいですね。びっくりするなってありました。



ーそういうプレゼントとかにこう選んだ理由とかって、経験とかってのも今までいろいろした中でも、自分が大切なものっていうとこれになったっていうのは、やっぱりその親のが強い。

いやだから、やっぱ特殊なんだと思うけどね。
その、なんだろ。
いつもあげてる人とかだったら、すごい、まあ本当に嬉しいしあれなんだろうけど。なんだろう、本当になんか、ああなんだろうなあ。全然想像のつかないというか、もうただの頑固親父だったんだけど。
その、しかもなんか、けっこうまあ僕はバイクを、バイクを買ってからも、なんかそんなにあんまり話とかもしなかったので、ああ、あんまり興味ないのかなって思ってて。
まあ、多分、うん、それが、まあそれの、なんですかね、反動じゃないですけど。まあ、なんか思っててくれたっていうその見えない気持ちが一番、に感動したのかな。


ーすごい、ケガすんなよっていうメッセージも入ってそうだもんね。これに。

うーん。まあ入ってるけど。入ってるけど、まあ当時はね、当時はそんなに。そこまで考えてはなかったけど。


ー次は、自分の今度夢について聞きたいんだけど。これと関係なくてよくて。自分がこう、これのために、これを達成するために、そういう夢、ってのを聞きたいんだけど。
これを達成する


ーために今生きてる。まあおぼろげなものでもいいし、具体的なものでも。

ああ、なるほどね。うーん。
まあ、夢自体はけっこうまあ漠然としている。まあしょうがないんですけど。
なんだろう、それに向かって頑張ってるっていうのは一応、まあぼんやりは、夢自体はぼんやりしているので。
まあそれにどうやって、どうすれば自分の好きな仕事だったり、人になれるのかなっていうのを考えるっていうのは、まあ日々してるので。
まあ例えば、まあ僕は、まあ僕自身が、あのー心に留めてるのは、ああなんて言うんだろうな、なんかポジティブにあり続けたいっていうか、かなり抽象的ですけど。
まああとは人との繋がりを大事にしたいとか、まあそういうの、まあいろいろありますけど。
うーん、なんだろう。
そういうのを芯におきながら、だんだん、まあ悩み続ける、ってか、考え続けてるってのが達成の近道なのかなとは、まあ自分の中では思ってます。


ーうん。その達成したいことっていうのは。

達成したいこと。
なんか、まあよくあるやつですけど、なんか自分の好きなことやって食っていけたら一番嬉しいかなとは思いますね。
まあ一番は、今の中では一番はそれですね。


ーそれはいつから思う、なんかきっかけだったりとか、こういうのが影響したとか。

けっこう夢自身も、いろいろね、考えてく中で、ころころじゃないですけど、変わってくと思うんですけど。
まあ、なんかその、まあ好きなこととか興味とかもどんどん変わっていきますけど。まあいろいろ、そういうのも踏まえて考えた上で、なんだろうこの、好きなこと、まあ仕事にして食っていけたらいいなっていうのは。なんか昔からどっかこの、共通してた部分ていうか。
まとまってねえな。
まあ、なんか、はい、そういうのはなんか昔からあった気がしますね。
なんだろうな。
うーん。興味っていうのもどんどん変わっていくので、まあいろいろ、まああの、かじりつきたいのはあるので、そういう性格なので。うーん、まあなんか、フットワーク軽く、あのフットワークは軽くしたいなと思ってますね。はい。
まとまんないね、おれ。


ー自分が興味あるってものってのは、いろいろあると思うんだけど、それの共通点とかあったりする。

ああ共通点。うーん。なんか、あんまりないかなとは思うんですけど。
なんか興味、興味っていうかその、自分が食いつく、食いつくじゃないです、なんだろう。自分がおもしろいなって思うことは、けっこうその、だいたい人からの刺激が多くて、あの、この人がなんかすごい、すごいことやってるから、まあちょっとそういうきっかけがあって、まあ僕もはまっちゃうってのが多いので。そんなに繋がりはないですけど、なんかあとから考えれば、やっぱり、なんだろう。あんまり繋がって、最初そんなに繋がってなかった、ん、最初じゃないな。なんか一見そんな繋がってないけど、あ、どっちなんだろうわかんねえ。繋がってないと思いますね、あんまり。


ーじゃあ今、自分が強く興味持ってるところっていうのは何。

んーなんだろう。今一番は、んー、なんだろう。すごいざっくり言うと、えーなんだろう、くそざっくり言うとソフトですかね。
ハードとソフトっていう分け方するんだったらソフトの方だ。あの、モノもそうなんですけど、モノじゃなくて、あ、じゃあモノじゃないモノって言った方がいいかな。
モノじゃないモノの方が、最終的な、最終的な到達点がモノじゃないモノの方が、あの興味はありますよ。今分けるとしたら。


ーそういうのは自分のその人との繋がりっていうところから、人に感化されてっていう。

うん、そうですね。


ーあるから人との繋がりを大切にするとかっていう、さっき出てきた。

まあ、それはなんか昔からこう、親が言ってきたことってのもありますし、なんかおもしろいなあと。なん
か、そっからものの、すごいおもしろさを僕は感じているので、まあそれを仕事にじゃないですけど、それに関して食っていけたら面白いんじゃないかなと。
実際なんか、親父が、まあ親の話になっちゃいますけど。うちの親父がけっこうその、いわゆる技術者で。その、ものを作るっていうことがまあ確かに彼の、彼じゃねえや。
あの、ものを作るのをけっこう仕事にしてきたっていうのがあって、まあそれをまあ昔からこう僕は見てるわけなんですけど。
まあそれを、見ながら育って、まあ限界じゃないですけど、ああ、こういうものを作るおもしろさっていうのはまあこういうものなのかなっていうのは、僕自身が経験として見てきてるので。
まあ、それ以外、それと違うことをちょっとやってみたいなっていうのはありますね。


ーな自分が好きなことをやって生きるっていう、好きなことを仕事にしてっていうのは、父親の影響っていうのはけっこう大きい。

まあそれも、うん、まあ影響はあると思いますけど。なんだろう、あると思うけど、やっぱりそのあとのまあ僕の高校時代、とかまあ一番大きいのは大学だと思うんですけど、まあそこの方が大きいとは思います。多分。まあ父親も自由な人でした、はい。
言葉にするのがすごいへたくそなんですよね。
言葉にするのがめちゃくちゃへたくそなんですよね。


ー自分の中でその自分の宝物っていうのと夢が何かしら関係してるなっていう感覚ってあったりすると思う。

これに関しては全然ないかもね。


ー今、聞いてる中だとすごい父親の話っていうのは、生き方として憧れてるとこあるのかなっていうのは思ったけど。好きなことやって生きてる。

なんだろうねえ。いわゆる、その、あの、憧れる人ではないんですけど、はは、憧れる人ではないんですけど、まあよくも悪くもこの自分の中にまあ存在感としては大きかったかなとは思ってるので。まあそれがよくも悪くも影響してるのかな。


ー父親の存在っていうのは大きいから、途切れてたかもって思ったら、意外とあって、やっぱ自分の中ではそれくらい、自分でも思ってたし、あっちはあっちで思ってくれてたのがやっぱ大きかったってのは、そのもらった時に感じて。

ああ、そうだね、そうだね。


ーそのやっぱ父親を見てて、自由な生き方してるっていうのもあるし、ものつくりやってる人だから、逆に違うものやってみたいみたいな、そういう風に影響はしているかな。

ああ、そういう、そうです。そうです。そうです。
だからものつくりも実際、うちの親父がこうやってたし、僕にもやれっていう風に、やれじゃないですけど、面白いよっていう風に紹介してたのは親父だったし、親父が最初で一番大きかったってのはありますね。

はははっ。そうですね。だからなんか、憧れる存在とかいれば、もうだいぶ変わってたのかもしれないですけど、まあうちの場合はそうでもなかったんで。



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