匿名希望(41)

ーこの写真を、なんで自分の人生において大切なものとして選んだのかっていう話をお願いします。

はい。
えーっと。
いや正直に言うと、あんまり、そのテーマをもらった時に、あの、何を写そうかなって迷ったんだけど、一番最初に、なんにも考えずに、一番最初に思いついたのがこれだったんです。テニスの当時中学2年生の時に、買ってもらった三本目のラケット。
で、これを使って、まあ最後の引退の試合までやった思い出のラケット。うん。
なんでって言われた時、ちょっと理由は出てこないんだけど、写真を1枚撮ってくださいって言われた時に、一番最初に思い浮かんだのがこれ。
で、あと、もう一つが、あの、もう一つ候補はあったんだけど、あの赤ん坊の、半年くらいの時の自分の写真。一番いい顔で写っててな、人生の中で。
だからどっちかなって思った時に、でも、その、人に誰かに見せるってことであれば、こっちのラケットかな。って思いました。


ーラケットを写したのは、テニスが好きだからっていう気持ちとか買ってもらったとか、そこに強い。

えーっとね。テニスが好きだったかって言われると、正直に言うとそれはわからないですね。ただ、一つ言えることは、一番触って握ってたから、うん。
あの、みんなにも話したことはあると思うんだけど、それこそ体育が2の人間だったのね。運動が苦手で、あの当時は成績が、もう上から順番に切られる時代だから、それで体育が2、本来だったら2の人間だったんだけど。
中1の冬かな。そんな人間が、いじめられっこの人間が、体育委員をやってというか。
で、駅伝大会で、なんとか頑張んなきゃと思って走り込みを始めたのが、きっかけで。で、まあ部活も頑張りたいなっていうことで、ラケットの素振りを始めた。
で、まあ、その素振りをしてたラケットはダメになっちゃったんだけど。その中2の夏ごろから、このラケット、写真のラケットを使って、本当、雨の日も雪の日も必ず素振りをこれで毎日やってたっていうそういうラケットだったんで。なんて言ったらいんだろうな。
一番頑張れてた、その、本当はねみんなと一緒に仕事を一番頑張んなきゃいけなかったんだけど、そういうことじゃなくて。その自分がこう成長してく、純粋に大人になるまでの過程の中で、一番努力してた時期の、うん、ものなんじゃないかなと思って、多分ぽっと浮かんだのかな。


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ー成長してく中で、頑張ってることって他にもあると思うんですか、そこよりもやっぱここが強かった

そうですね。ここが一番強いです。


ーそれはなんで、というと難しいですか。

えーっとね、なんで。
えーっとね、妥協がなかった。多分。
この三年間、中学校の三年間は、まあ当時は当時なりに妥協はあったと思うんだけれども、目標を決めた、自分の中でこうしたいって目標を決めた時に、その目標に対して自分が妥協しなかった。まあでも仕方ないかなって思って、目標を変えるっていうことが、多分なかったんだろうなっていう三年間。
勝ち負けとか、目標が達成できたできないっていうのはもちろんあったけど。その結果に納得できてた三年間。あ、ここまでやりきってダメだったらだめだな。うん。あ、まだ頑張れるなとか伸びしろがあるなとかそういう三年間を中学生の時に送らせてもらえたんじゃないかな。小学校と高校とか大学の時には、うん、うん、どっかに妥協があったと思う。あ、疲れちゃったからまあいいやとか、これ以上は無理だなあとかっていうこと。
それが多分ない。自分の思い出の中に、から消えている3年間だったからかなあって気はします。


ーそれが大切なものに、経験になったり、ものになってるのはどうしてですか。なんかそこで得たものだったり。

そうね、そうね。うん。
あ、うん得たものは大きい。得たものは大きいですね。
多分、その僕が苦手であったこと、まあ運動が苦手だっていう風に自分でこう思い込んでいて。思い込んで、それまで小学生、小学校卒業してまあ弱っちいからだめなんだと思っていたものに対して、正面から向かえた。うん。
で、あとはそのまあ、そう、運動もそうなんだけど、そうしたことによって、こう人間関係で、こう、こいつ怖いなとかとっつきにくいやつらとかあるでしょ。そういう連中ともまともにこう付き合えるじゃないけど、そういうのをこう学べた3年間だったんじゃないかな。
だから、この時の俺がなければ、その高校とか大学とかその今の自分のベースになった3年間、だったんじゃないかなっていうのがあって。それを支えてくれたのがこれ、要するにあの写したラケットが支えてくれたのか、まあきっかけになったのか、まあそれよくわかんないんだけど。一番それがしみ込んでる、象徴されてるものなんじゃないかなって。


ーじゃあその経験がすごい今も生きてるっていうか、と感じている。

生きてるね。なんかあった時にはここに振り返るっていうところが多いな。


ーていうことで選んだ。

そうですね。


ー他になんかこう、このことで思ってることとかあります。言いたいことだったり、今心の中に連想されてるものだったり。

うーん。なんだろうなあ。
いやなんでこれ、そういうができたのかわかんないんだよね。自分が。
あとのそのところってのは平気って言ったら変なんだけど、多分普通に生活してたと思うけど。なんで俺こんなに頑張れたんだろうって、中学生の時って。それをこう分析していくとわかんなんくなる。
で、今にして思うと、先生だったのかな、やっぱり当時の。先生とか、親とか、あと当時の仲間。仲間は、仲間、うん部活の仲間じゃないんだよね、すごい不思議なことに。
僕の場合は。小中と一緒に遊んでた仲間。部活と違うメンバー、に支えてもらってたのかも。
1人だけ部活の仲間がね、もうそいつとは縁が切れちゃってんだけど、一緒にペア組んでたやつがいて。その彼と、一緒に、その夜の内緒の素振りをしてた時期があるので。1年くらいかな、ずっとペア組んでたとき。


あ、思い出した。で、先生を恨んでた俺。中学生の時、思い出した、1人だけ。
で、こいつをぎゃふんと言わせてやるって先生は1人いた。思い出した。
あの、そうそうそうそう。テニスは、テニスで頑張ったのが、なんか思い出してきたぞ。どうせあいつはダメだよっていうのを覆したかった。周りに対して。認めさせたかった。
で、その体育の先生の1人で、あの、どうしてもこうぎゃふんと言わせたい先生がいて。
で、長距離、短距離はもう本当に100m16秒とかの人間だったから、ダメだな、じゃあ長距離は努力でなんとかなるだろう、で、長距離で走り込んで、その市の大会ってのがあんのよ。各中学校から選手を選抜して、で、競い合う中学校ごとに。
それの長距離の選手になりたくて頑張ってたってのはある。で、選手になって、すごいこと考えてた。選手になって当日本番を迎えたら、用意ドンってピストルが鳴ったらその場で立ち尽くして絶対走らないって思ってた。歩いてやろうって思って、歩いて3000を歩いてゴールしてやろうと思ってた。そんくらい恨んでた。
でも夢は叶わなかったけどねそれはね。でもね自分の中ではね、納得してる。うん。あのだってもっと速い連中いたし、俺よりも、あ、あいつになら負けて仕方ねえなっていう努力してた連中ってのを何人も知ってるから、そういう意味で言えば一番さわやかな年代だったな。
で、あ、頑張るってこういうことなんだな。自分がピンチになった時に、あ、頑張るっていうのはああいうこと言うんじゃないのっていうのを振り返られる原点、の3年間。
なんかおんなじ話繰り返してる。


ーいやいや大丈夫です。そんな感じ。

だからお世話になった先生たち本当にいます。そう、引き返せなくしてくれたっていう。これをやり始めた時から。上手く声をかけて。やっぱりそれも別の体育の先生なんだけど。俺内緒で、努力してるの人に見られたくなかったから、夜中の11時とか12時に学校のそのコースを走ってたのね、毎晩。
そしたら酔っぱらったその体育の先生が出てきて、学校から当時の。
ああお前なにやってんだ、あ、またお前はそういうことやって無駄じゃねのとかって。いや笑ってんだよ、顔は。でもよおお前よ、ばかでもよ半年以上やると結果は出るもんだぜって一言声かけられて。で、その時に先生に言ったの。先生これ内緒にしといてください。頼みますからって言ったら、次の日の朝、担任だったのその先生が。で、昨日は何分だったんだ、みんなの前で。だから先生勘弁してくださいよ。で、引き下がれなくなった。
うん、追い込まれたなって思った自分で。で、何人かにね、でも馬鹿にされたことあったんだよね。要するにほらやんちゃな連中に、こう先輩たちが馬鹿にしてくんだ、ちゃりんこで。並走しながら、夜。それはやだったね。でも、1週間くらい続いたらいなくなった。無視して。そんな思い出があります。
こんな感じで大丈夫ですか。


ーそしたら次のもう一つ質問があって、次は自分が今持ってる夢とか、こういう風になりたいとかこういう風にしたいとかっていうことがあれば。

厳しいねえ。厳しいねえ、それは。
えっとね、今ふらついてます。揺れてるね。
えっと、まあこの仕事を選んだっていうのが、もともと自分がそういう風に色んな人に影響されてて。で、まあ人と接するのもそんな嫌いじゃなかったし、で、子どもたちも好きだったから。もうはなから、その仕事就いてもいいな、就きたいじゃなくて、就いてもいいな。で、教員と前にも言ったことあるけど宇宙飛行士と舞台俳優と、は本気で考えて、あとお医者さんか。だからどれでもなれるようにっていうことを選んで、やって入ったから、それは全然後悔してないしよかったっと思った。


今その現場から離れて、てか離れる、離れてもいいんじゃねえかって言われて、受けたことに対しては、うーん、本当にこれでよかったのかなって今、すごい悩んでるんだよね。
いや、今のその現場離れて、今の仕事に対して無駄だなとかって言ってるんじゃないんだけど。要するにあの副校長とかになって学校に戻るんだけど。副校長になって本当にその今のやってる仕事で学んだことが生かせるのか。
生かせるとしたらそうじゃなくて、やっぱり担任持って教科のこと教えて、ってやった方が、自分のためでもあるし、そのまあこれからね、その、子どもたちっていうか担任持つ中学生、いや出会いが悪い中学生もいるとは思う、キャラ的にね。それはどんな場面でもあると思うんだけど、あるし。
あと、その周りの先生たちに対しても刺激になるんじゃないかなっていう、自分で言うのもちょっとおこがましいんだけど。っていのがあって、そこで悩んでる。


このままそのままレールの上に乗っかてれば、そう副校長になって、先生たちを、管理職っていう形になるんだけど。果たしてそれで先生たちは実際、認めてくれるのかついてきてくれるのか。あと、自分がやってきたことを本当にこううまく実のある形で返せるのか、すごくもう悩んでる。で、今から学校にまた戻って、そういう風に授業やらせてもらえるんであれば、多分、みんなには悪いんだけど、多分当時よりももっといいことができるんじゃないかっていうイメージはあるのね。たくさん。アイディアとかイメージ。
それを返せないまま、ずっとそれをやっていきたいとはもちろん思わないから、5年とか10年とかやらせてもらったあとは、今度はそういう先生たちを育てる番かなっていうのはもちろんあるから。ただ、それを実際にこういう風にやるんだよっていうのを、その見せもできない、見せることもできないし、自分でこうやることもできない。子どもたちとも直接こう触れ合えないっていう状態のまま、なってしまっていのかどうかっていう迷いがあるんで。


今の夢っていうのは本当に見えないんだよね。ほらみんなと一緒に授業やってってやってた時には、例えば部活でさ、都大会勝ち上がって関東行きたい、みんなと一緒に行くんだとか、同窓会とか20歳になった時にね、みんなにおごれるように一応貯金しとくんだとか。あと理科の授業でこんなおもしろいことしたいなっていうのがいろいろアイディアがあった。
今この立場にポンと入った時に、そういうアイディアが実際に生かせない場所にいるから、ああなんだろう今の自分の夢って、ていうか将来どうなるのかなっていうのが、その自分の意志のないままにレールに乗っかっちゃってるところがあるから。
今ね道に迷ってます。本音を言うと。


ー本能的にはこうやっぱ、生徒と触れ合いたいじゃないですけど、ってのが強い。そのこういう仕事もなきゃいけないというか、立場も必要だなってのは、なんて言うんですか、管理職的な立場が必要だっていうことは頭でわかってるけど、個人的にはやっぱそのやり取りの中で行われる。

うん、方が大事なんじゃないかなっていうね。だからずっとそれが、をしていかなきゃいけないとか、していった方がいいっていうのはない。僕の中には。
いつかは、今のね、その、今の、その、学校から離れて、今の立場になってしまったって言ったら変なんだけど。なってしまったからには、それを管理職みたいになって、どこかで返していかなきゃいけないっていうのはあるし、僕もそれは否定はしてないのね。
ただいきなりそれをやるのはどうなの。
一回ちゃんと戻って、生徒と一緒になって、もう一度教壇に立たせてもらって、子どもたちと一緒にやっていきながら、他の先生たちにも、と一緒に、色々こう、授業受けてあーだこーだとか、生徒が悩んでたりとか、保護者も悩むでしょ。そういったところで、他の先生たちがそういうなこと、経験も一応は色んなもの見てるから。現場にいた時よりも、その、もっと大変な状況とか。
いかして実際にこういうやり方あるよっていうのを、同じ、管理職っていう立場じゃなくて、同じ一教員としてやっていくことでみんなに広まっていけば、それが一番、その、うん、子どもたちとか保護者にとってもいいことじゃないかな。そう。こう、こういう言い方じゃなくてさ、一緒にやっていこうよ。で、それを5年とか、3年5年とか10年やった後に、管理職になれば、うん。認めてもらえるんじゃないかなっていうのはあるよね。
あいつ何もできねえのに口ばっか言ってる、ことじゃなくてね。実際僕なんかはそういう風に考えてる。管理職には将来なってみたらと言われたら、うん、積極的になりたいっては思わないけど、なってもいいかなってのはある。


ーその、触れ合いっていうかそれが大事だと思うのはどういう経験ていうか、どういうところから思うようになったんですか。

だって、あー、うーん。うーん。
人伝いというか何かを介してってなると、やっぱり自分の思いって伝わらないんじゃないかな。伝わらないし、その伝えてもらうっていうことが、なんて言ったらいいんだろう。その伝えてもらう中間に入る、入ってもらう人にとっても負担がかかる。だから本当に自分に共感してその人が伝えてくれるならいいんだけど、それはそうだよねって納得して伝えてくれるんだったらいいんだけど。そうじゃない時もあるでしょ、世の中には。
それはその、社会のシステムとしてそれは必要なことなんだけど。じゃあ、ね、その、子どもたちにそれをやっていいの。そのシステムとしてそれをやっていいのかなって。それって、その育てるってことじゃないよね。


ーそれは、こう自分が学生というか、小学校とか中学生の時に直接経験を受けたっていう経験の中に。教師をめざすきっかけのとこで思ってる気持ちとやっぱリンクしている。

そうそうそう。そうそうそう。そう、原点だよね。うん。
だから、まだ、まだ、その達観した気持ちになりきれない。なので、夢、将来どう考えてますかって言われた時に、今はぶれてる。揺れてるなっていう自分はいる。
だから、一番いいっていうか、自分が理想だなって思ってるのは、終わった後に、あと3年勤め上げたあとに、一回その普通に、僕らの業界だと本当に副校長になるか、1個ワンランク、その職としては上がって、まだ委員会の中にいるかってどっちかなんだけど。

そうじゃなくて、俺は、学校戻って、本当に3年、5年とか10年やったら長過ぎって怒られちゃうと思うから、3年から5年、現実的なことを考えると、3年から5年もう一回普通にやらしてもらって。その後、うん、まあそっちの方向にまだなってもいいかなって気持ちが、5年やってみて残ってれば、行きたいなって、うん。
で、そうじゃなければ、そのままずっと最後まで、やっていきたいなと。どっちかだなっていうのは自分の希望。だから夢、夢というまではいかないけども自分の希望で。
で、まあ、その希望通りになるかどうかっていうのは、ちょっと自分で3年後になってみないとわからない話。
もっと先々の話をすると、そういう立場で管理職になるか、現場で先生になるかっていうのは置いといても、もう実は老後のことも考えてて。60歳とかで引退したら、あのスクールソーシャルワーカーって職があって、知ってる。


ー名前は。

うん。カウンセラーとは違う。うん。
それをやりたいなって思ってるんだよね。あんまり人には言ったことはないんだけど。
要するにあの社会福祉士の資格を取って、そのすげー家庭的にさ、子どものことで悩んでるとか、子ども本人が学校のことうまくいってないっていうのの悩んでるところの、なんか手伝いができればいいのかな。
うん。直接ね。
多分自分の経験がそれはすごい生かされるんじゃないかなって思って。ていうのはそういう、色んな仕組みを知ることができる仕事をさせてもらったから、だからあそこに行けばこういうことを助けてもらえるとか、ああこっちに行けばこういうこともネタがあるっていうのも、多分、言っちゃなんだけど、他の人たち、ずっとその現場でやってきた先生たちよりかは知ってるていう自負があるから。
その時に、学校と家庭と子どもだけで、こうもう、にっちもさっちもいかなくなっちゃった時に、いやこういう方法あるよね、こういう方法あるよっていうのを伝えていけるのかなってのがあってね。


で、実はそれも憧れの人がたまたま、いたのよ。あの、この仕事初めてからなんだけど。あ、この日とすごいなっていうそのソーシャルワーカーさんに会って、あ、こういう人になれたら素敵だなっていう人がね、いたの。
で、実はその人も元学校の先生で、途中でいろいろあって辞めたんだけど、いろいろあってそれをやり始めたっていうか。
だから、本人は、私は先生に頭が上がらないと。自分はドロップアウトした人間だからって言うんだけど、いやいやいやとんでもない。よく学校のこともわかってるし、子どものこともわかってるし。で、何が助ける方法かもわかってらっしゃる人だから。すごい、素敵な人なの。
で、もう1人そういう素敵な人がいて、校長先生までやって。それこそ、東京都でいうとその先生の名前を言うとみんなえって言う校長先生なんだけど。定年退職して終わった瞬間に、普通だとそういう校長先生って大学の教授やったりとかね、あのなんとか委員会のそのなんとか委員をやったりとかってことになるんだけど、そういう話全部蹴って。
その、相談室、教育相談室っていう、わかると思うんだけど、普通の相談員。
もういいでしょ、その校長先生が、もう直接子どもと関わる仕事させてよって言って、週に3日くらいそこに行って、そのやんちゃな子どもたちとか、悩む子どもたちと一緒に、本当に普通の相談員やってるっていう校長先生がいて、いや素敵だなって。
だから周りにそういう人が多いので、知ってる人で、だからそういう人になれたらいいなって。引退する時にね。


ーそういうなんか考え方っていうのを、やっぱ、どこからなんですかね、やっぱ自分が学生時代とかに感じたところが強いんですかね。

そうだね。学生時代に感じたこともそうだし、人と、人から影響を受けるっていうか、出会いが、いい出会いが多いかなって、運がね本当に。
そういうお手本になるような人が周りに多い。その立場とか年齢が上の人ばかりじゃなくて、こう知り合った人たちの中で、あ、この生き方おもしろいなとか素敵だなとか、そういう出会いが多くて。それの美味しいところをこう、ちょこちょこつまみ食いして、自分の中でこう練り上げてってるてところはあるかな。


ーなんて言うんですかね。そのこっちの写真で写した、自分のベースみたいな考え方っていうのが、出来上がってそこにこう。

そうだね、そう。
だからもしかしたら、そのテニスの、あの頑張れた3年間、妥協がない3年間も、そういう意味では、もう忘れちゃってるけど、当時、その知り合った人たちとか、当時僕がそのなんかで知った人の生き方じゃないけど、生き様みたいなものエキスを上手くこう自分の中で組み合わせていって、その自分の思いとしてこうがちって固められてた3年間だったのかなていうのはある。
だから、本当に自分の力でやったのかなってなると、ちょっと自信はない。影響されて、その影響のまんま馬鹿みたいに思い込んで突っ走った結果じゃないかな。だから今の自分もそうかな。そういう風に周りの見て、つまみ食いしていいところを。で、自分の中で作り上げて、いい意味でも悪い意味でも思い込んで、自分で、突っ走ってって。


ーそのこの時の写真とけっこう同じようにというか。

いや、同じじゃないかな。同じじゃないと思うな。写真の時と。妥協とか打算とか、計算が入ってると思う。今は。
当時はもう純粋だから、こうと思ったらうってなんだけど。今はその色んなしがらみの中で、大人になれば出てくるから、ちょっとねずる賢く計算をしながらやってるところはあると思う。でもそれも、一つの成長なのかなって最近は認められるようになってきてる。
うん。
嫌だなあって、自分が汚えやつだなとか、ずるいなっていう風に思う時もあるけど、じゃあそれがなければ、うまくいってるかって言うと、うまくいってるっていうか、自分のその描いてる理想のとこに近づけてるかって言うと、近づけてはないだろうな。
ある意味計算をして、ここはいいや流そうとか妥協しようとか、ここはこの人にくっついていこうとか。そういう計算ができるようになったていうか、しなきゃいけない部分もあるのかな。それを、自分でこう妥協できるっていうか納得できるっていうか、そういう部分では変わったな。当時当時。
だから多分後ろ指刺されちゃう生き方をし始めてる部分はあるから、自分ではあると思うね。まあ当時の自分とはやっぱ違う。その純粋さっていう。ただ必要な部分でもあるのかな。


ー今大切なものと夢と話したんですけど、そのことに関してなんか残ってることとか、あったら。

いや、うん。残ってるとしたら、いいなって。ピュアな時代に戻りたいなって。


ー自分の中で何か関係してると思います。夢と大切なものってので。夢と大切なものっていうのがなんかこういう風に関係してるとか感じる。

夢と大切なもの。
あ、このラケットと夢と関係しているところ。うーん。
関連はあるね。あるある。うん。絶対あります。
うん、何がって聞かれると思うんだけど、何が関係してるかって言うと、うーん、どうやったらその夢とか、将来なりたいとか、こういう風になりたいっていうものを、どうやったらそういう風になれるのかなって言うのは、必死に考えて行動できるようになった。その方がいいか悪いかは置いといて、それをこう考えて、なんとかそこに近づこうとすることができるようになったかな。そう思います。


ーそういう経験。

いやだからこの経験がなければそれはないです。