身体というリアル

久しぶりに記事を更新して
まだ書きたいことがあるので書けるうちに書いておこうと思います。

高校時代の予備校の先生が昨年の10月に
「鳥居をくぐり抜けて、風」という映画を公開しました。
先生は僕が高校生の時から神社の映画を撮りたいと言っていて
この3月にもアンコール上映があり、10月、3月と2回映画館で見ました。
その映画の中では、那智の滝や熊野本宮、神倉神社など熊野のエリアがよく映っています。
元々先生も那智の滝を見て神社や自然が素晴らしいと感じたのがスタートで、映画を撮りたいと思ったとのことです。

そんな先生の影響を受けてこのGW前半は2泊3日で熊野古道を歩いて来ました。
私は昨年の8月から大阪市内に住み始めたので、スタートは大阪からだったのでした。
和歌山は隣の県なのですが、新宮までは特急で4時間ほどかかります。
着いたのはお昼前。

新宮駅から20分弱歩き、神倉神社へ。



















500段を超える石段を登り、ゴトビキ岩の下へ。



















ここでおにぎりをいただき、今回の旅のスタート。
歩いて15分ほどのところにある速玉大社。















1日目はここから那智大社まで20km強の熊野古道を4時間半ほどかけて歩きました。



2日目は那智の滝のある飛瀧神社にお参りをして、熊野本宮大社へと繋がる小雲取越、大雲取越の古道を歩きました。



















約40km、約7時間、峠を2つ越えるコースを歩き本宮大社へとたどり着きました。

















1日半で熊野三山を回るのは大変でしたが、とても気持ちのいい時間を過ごすことができました。


熊野はとても大きくて、自分が小さく感じた。那智の滝もどっしり・ずっしりと流れていた。
時間をかけて自分の脚で歩いたということにとても意味があったと感じている。
普段乗っている電車や車、自転車のすごさを改めて感じる。
いろんなことを考えながらただひたすらに山道を歩く。
足を着いた時の大地の感触、鳥の鳴き声やトカゲや蛇の這う音、木々の揺れる音、緑の匂い、全てに身体性がある。
PCやスマホを使い、慌ただしく過ごしている中で忘れてしまった感覚、全てが心地いい。


この感覚を忘れてはいけないし、この感覚を与えてくれる場所を無くしてはいけないなと感じました。



自分の生き方を見つめ直す

前回記事を書いてから1年以上空いてしまった。

忙しいと自分のやるべきことがしっかりできなくなってしまうのは私の悪い癖だ。
人へのインタビューは去年3人、今年1人となんとか続けている。
今年はインタビューしたい人があと3人、できればプラス2人くらいできたらと思っている。

昨年は後半に会社で大きなプロジェクトに参加させてもらい
海外に仕事で行ったり、いい機会をいただきました。
海外に行けたのは結果的にわかりやすいいい機会でしたが、
そこまでの過程が自分にとってはいい経験であったと感じています。
短い期間で濃密な時間を過ごしたし、プロジェクトの全体を見ながらも
物を作るという詳細の部分もやり、会社に入ってから初めて自分の容量を超えるような不可のある仕事で
それが結果的に成長につながったと感じています。

今年に入ってからは4月に少し自分を見つめ直すきっかけとなる出来事が2つくらいあった。
自分がどこの何にどれだけ時間を労力を費やすか、
自分がこれからあと60年、下手したら80年生きていく上でどのように物事を選択し、生きていたいか。
答えは出ていないけれど、少し考えながら生きる必要があると感じている。
自分の何に投資をするのか。

ある答えを待っている状態で、
その答えによっては、次の一歩が大きく変わるかもしれない。

東日本大震災から5年が経ちました

当時は大学1年から2年に上がる年の春休み。

前日から大学を卒業する先輩たちと旅行に行って、
帰ってきてゆっくり昼過ぎに寝てたのを覚えている。

最初の地震の2時46分に目が覚めて大きい揺れを感じた。
でもその時は大きい地震でやばいなって思ったんだけど
収まった後に大丈夫かなって思ってまた眠りに入った。

そのあと3時過ぎだったかな、もう一度揺れが来て
これは本当にやばいんじゃないかなって思って
すぐにテレビをつけた。
その時は神奈川に一人暮らしをしていてたしか震度5だった。
生きている中でも一番強い地震だった。
家族に連絡をしてもつながらず何をしたらいいかわからずずっとテレビをつけていた。

深夜に父と連絡がつき職場からのスカイプでビデオ通話をした。
首都圏の交通網は完全に麻痺していて、2時に職場を出て最寄駅には行けず
1時間ほど歩くルートで家に帰ったらしい。
京都の祖母に連絡をした時に、おじさんが仙台に住んでいたので
相当焦って話していたのはかなり印象的で、今でもよく覚えている。
(後日、女川の病院から救助されたと連絡があった)

私の住んでた地域は計画停電で度々真っ暗になっていた。
電気がない街というのは本当に真っ暗だった。治安も悪くなっていた。
大学も1か月遅れてのスタートが決まったり、予備校のバイトも不規則な感じで
バタバタな1か月だった。

大学が再開してのすぐに
平野啓一郎さんがゲストスピーカーという形で授業で登壇した。
その時に話されたことを受けて私は被災地を自分の足で赴くことを決心した。
「僕たちが普段見ている景色っていうのは、スケール化されたものなんだ。
テレビも新聞も津波の凄さを教えてくれるけど、それは画面の大きさ、紙面の大きさに変換されたもの。
実際に自分の足で行くと、自然のエネルギーの大きさがわかる。」

その夏に実際に被災地を回った。
大学の友人と石巻から気仙沼まで車を借りて海岸線沿いを走った。
この時の経験が私の価値観に大きく影響を与えていることは間違いないことで
おそらく今も続けているインタビューを始めることもなかっただろうと思う。

あの震災から5年が経ちました。
僕はこの夏にもう一度被災地を回ろうと思っていた。

この5年という月日が近くなるにつれ
テレビを回していると被災地の話がよく流れてくる。
僕の働く会社でも3月11日の2時46分に合わせて
起立し、黙祷が行われた。
映画祭も、チャリティーライブも行われて、
この5年という年月が”もう”なのか”まだ”なのかは置いといて
大きな区切りのような数字なんだろうと感じさせる。

ただ私が一番気になった言葉はテレビを見ている時に出た被災地の方の言葉だ。
「震災から5年経つと言われるけど、私たちにとってはそれはなんの区切りでもなく
折り返し地点でもない。」

僕らから見えている5年とは違うということを改めて感じさせられた。
今までで一番大きい地震を感じたと言っても、神奈川で震度5だ。
私の知り合いで亡くなった人はいないし、停電や家屋が壊れたわけでもない。
どこまでいっても、何をしても、僕は当事者にはなれない。

それぞれの人にとって、”まだ”、”もう”、”やっと”5年。
もう一度東日本大震災を見つめ直して、自分にできることは何か
どう何を選択することで幸せなのかをそれぞれの人が考えるきっかけとなる5年目だったら
意味はあるのかなと僕は思う。

少しお疲れモード

久しぶりにPCの画面に向かい、
このブログのページに投稿をしようとしている。

最近の自分と言えば、
休みの日は貪るように映画を観るだけで
何かに充実しているわけでもない。
仕事にしても自分のキャパシティの30%くらいの仕事をやっているだけに感じる。
充実感がない。

頭の中で何をやるべきかはわかるのだけれど
自分の心がそれをやりたいと認識していないように感じる。
論理的に何をやるべきかとかを考えているうちに
自分の心の中のそれを蔑ろにしてしまったのかもしれない。

休みをもらった方がいいのかもとも思うけど
きっと今の自分の状態じゃ映画を観るくらいで
なんの有効性もないままに終わってしまう気がする。
自分でもどうしたらいいのかよくわからないけれど
ちょっともがかないといけない時期なのかもしれない。

24歳、冬
大きく迷っている私です。

ようやく一区切り

社会人になって1年。
ようやく、今までのインタビューをWebに上げきることができました。

社会人になるとやりたいことをやる時間というものをなかなか取れず、昨年中にアップしきるとか言って結局4月までかかってしまいました。
ようやく一息つけることができました。

載せたお話も、人たちも私にとってはとてつもなく大切なものです。
そしてこれはこれからもまだまだ続けていきたい活動なのです。

素敵な人たちの素敵な話を聴き、記していくというなんとも贅沢な経験をさせてもらってるなあと感じています。
誰かの話を聴き、文字へと起こすことで私の中にその人の夢が入り込んできて私の養分になっている。そんな感覚を覚えます。

とはいえこれでようやくスタートライン。これからも続けていかなければと思っています。
まずは手始めに名刺を作っています。

あとは久しぶりに写真も更新しました。
ここからはこちらも継続的に。