選択するということの自分らしさ

とある集まりの中で人が選択するということは、その人のアイデンティティだって話をした。
これはAIとかが計算して自分がするべきことを指示して生きたらどうなるのか、という文脈の中で生まれた考え方だった。

朝早く起きないといけないけど布団の中でギリギリまでいちゃう時、
早く寝ないといけなくてもコーヒー飲んじゃう時、
もうかなり酔っ払ってるのにあと一杯飲んじゃう時、
お腹がすごく荒れているのにラーメン食べちゃう時。

その選択1つ1つはとても非合理的なんだけど
それでも選択しちゃうその行動はその人らしさを表していると思う。
僕たちは日常的に選択の連続で生きている。
無意識的なものであれ意識的なものであれ。

仕事でメモを取ってる時のペン回しのようなものだってそうだし、
もう少し大きな意思決定である、高校や、大学の選択だってそうだと思う。
その1つ1つが積み重なって今のその人があるのだと思う。

それはこの先のことを考えてもそうだと思う。
未来にどのような姿になりたいか、それを考えた時に自分の選択というものは小さいものから大きいものまで、1つ1つが重要な要素になるのだろう。
何人もの人にインタビューをして話を聞く中で、誰かの夢が自分の夢になる瞬間があった。
その夢というか、そのなりたい姿になるためには、これからの自分の選択がとても重要なファクターになると今思う。
時間やお金の使い方、誰と過ごすか、何に投資するのか、全てが自分を作っていく。
今の自分だからそれを選択するし、その選択によってまた自分が作られていく。

お金を使うことは何かに対する投票だという話も聞いた。
安いモノを買う時、それは安い労働力に投票している。
環境に良いものを買う時、それは環境保全に投票している。
労働環境に配慮されている会社の製品を買う時、それは良い労働環境に投票している。

投票は生産しているとも言えるのではないかと思った。
消費するということは生産しているということなのではないかと。
正確には生産するというより、生産することを誰かに投資しているのではないかと。

自分がどんな風になりたいか、自分がどんな世界に生きたいか
そう思って日々の消費をすることは、もしかしたらとてつもなくクリエイティブな選択をしていることなのかもしれない。
未来の世界を作るのは1人1人の消費なんじゃないかな。

今年もあと少しになったところで、これからの自分の生き方を考えさせられる考え方に出会った12月でした。
こんなことを考えられたらまた少し自分の明日は変わるのかなと思います。
来年がどんな風になるかはわからないけれど、意志を持った選択を増やせるといいかなと思う。
そんな年末です。

日々の中で気づいたこと

暑い日が続く季節になりました。
夜中も寝苦しいですね。僕は冷房・扇風機をつけない人間なのでなおさら。。。

この1ヶ月くらいで色んなことが起こって
めまぐるしく日々が過ぎていく中で様々なことを感じて。
その中で気づいたことを書き留めておこうと思う。

人間関係について。
自分が相手のことを好きに思っている度合いと相手が自分のことを好きに思っている度合いに
ギャップがあるとそれはストレスの原因になってしまうのでしょう。
例えば、相手のことをすごく好きなのに対して、相手が自分のことを好きじゃないとそれはとても悲しいことで
逆に、相手のことをそこまで好きじゃないのに、相手が自分のことをとても好いてる場合にはそれはうっとうしいと感じてしまうというような具合。
好きの度合いだけじゃなく信頼度みたいなのも同じことが言える気がします。
あと◯◯として好きの◯◯が異なる場合にもストレスにつながるだろう。
「友だちとして」に対して「恋人として」とか、お店とかで「お客さんとして」と「お店の人として」がどっちかが「友だちとして」だったらそれは失礼というような感情につながるでしょう。

もう一つはやりたいこと、やるべきこと、やらないといけないことをいかに一致させるかという話。
自分の生活の中での行動は基本的に上の3つに分類されると思います。
仕事にしてもプライベートにしても。
数学の集合みたいな感じで、3つの丸が重なる部分の活動は基本的にストレスが少ないです。
逆に一つの領域にしか属せない活動というのはストレスが大きくなってしまいます。
やりたいことっていうのは簡単で、なんの縛りもなく素直に自分がしたいと思うこと。
やるべきことっていうのは、金銭的もしくは社会的な面から考えた時にやった方がいい結果になること。
それは例えば、ちょっと収入がアップするとか、周りからの評価が上がるとか、周りにが少し幸せになようなこととか。
別にやらなくても大きな問題は起きないこと。
やらないといけないことは、自分が生活をする上で絶対しないといけないこと、ルールとして決まっていること。
簡単に言ったらお金を稼ぐということ。
最近はこのバランスが崩れてしまっていることに少しストレスを感じてしまっているように思える。

ちょっぴり自分の進退を迷い中。
ここからの長い人生を生きていく上で今どうするべきなのか。
少し難しいことで、悩んでいる間にも時は過ぎてしまっていって。
あと80年は生きるそんな覚悟とともに。

身体というリアル

久しぶりに記事を更新して
まだ書きたいことがあるので書けるうちに書いておこうと思います。

高校時代の予備校の先生が昨年の10月に
「鳥居をくぐり抜けて、風」という映画を公開しました。
先生は僕が高校生の時から神社の映画を撮りたいと言っていて
この3月にもアンコール上映があり、10月、3月と2回映画館で見ました。
その映画の中では、那智の滝や熊野本宮、神倉神社など熊野のエリアがよく映っています。
元々先生も那智の滝を見て神社や自然が素晴らしいと感じたのがスタートで、映画を撮りたいと思ったとのことです。

そんな先生の影響を受けてこのGW前半は2泊3日で熊野古道を歩いて来ました。
私は昨年の8月から大阪市内に住み始めたので、スタートは大阪からだったのでした。
和歌山は隣の県なのですが、新宮までは特急で4時間ほどかかります。
着いたのはお昼前。

新宮駅から20分弱歩き、神倉神社へ。



















500段を超える石段を登り、ゴトビキ岩の下へ。



















ここでおにぎりをいただき、今回の旅のスタート。
歩いて15分ほどのところにある速玉大社。















1日目はここから那智大社まで20km強の熊野古道を4時間半ほどかけて歩きました。



2日目は那智の滝のある飛瀧神社にお参りをして、熊野本宮大社へと繋がる小雲取越、大雲取越の古道を歩きました。



















約40km、約7時間、峠を2つ越えるコースを歩き本宮大社へとたどり着きました。

















1日半で熊野三山を回るのは大変でしたが、とても気持ちのいい時間を過ごすことができました。


熊野はとても大きくて、自分が小さく感じた。那智の滝もどっしり・ずっしりと流れていた。
時間をかけて自分の脚で歩いたということにとても意味があったと感じている。
普段乗っている電車や車、自転車のすごさを改めて感じる。
いろんなことを考えながらただひたすらに山道を歩く。
足を着いた時の大地の感触、鳥の鳴き声やトカゲや蛇の這う音、木々の揺れる音、緑の匂い、全てに身体性がある。
PCやスマホを使い、慌ただしく過ごしている中で忘れてしまった感覚、全てが心地いい。


この感覚を忘れてはいけないし、この感覚を与えてくれる場所を無くしてはいけないなと感じました。



自分の生き方を見つめ直す

前回記事を書いてから1年以上空いてしまった。

忙しいと自分のやるべきことがしっかりできなくなってしまうのは私の悪い癖だ。
人へのインタビューは去年3人、今年1人となんとか続けている。
今年はインタビューしたい人があと3人、できればプラス2人くらいできたらと思っている。

昨年は後半に会社で大きなプロジェクトに参加させてもらい
海外に仕事で行ったり、いい機会をいただきました。
海外に行けたのは結果的にわかりやすいいい機会でしたが、
そこまでの過程が自分にとってはいい経験であったと感じています。
短い期間で濃密な時間を過ごしたし、プロジェクトの全体を見ながらも
物を作るという詳細の部分もやり、会社に入ってから初めて自分の容量を超えるような不可のある仕事で
それが結果的に成長につながったと感じています。

今年に入ってからは4月に少し自分を見つめ直すきっかけとなる出来事が2つくらいあった。
自分がどこの何にどれだけ時間を労力を費やすか、
自分がこれからあと60年、下手したら80年生きていく上でどのように物事を選択し、生きていたいか。
答えは出ていないけれど、少し考えながら生きる必要があると感じている。
自分の何に投資をするのか。

ある答えを待っている状態で、
その答えによっては、次の一歩が大きく変わるかもしれない。

東日本大震災から5年が経ちました

当時は大学1年から2年に上がる年の春休み。

前日から大学を卒業する先輩たちと旅行に行って、
帰ってきてゆっくり昼過ぎに寝てたのを覚えている。

最初の地震の2時46分に目が覚めて大きい揺れを感じた。
でもその時は大きい地震でやばいなって思ったんだけど
収まった後に大丈夫かなって思ってまた眠りに入った。

そのあと3時過ぎだったかな、もう一度揺れが来て
これは本当にやばいんじゃないかなって思って
すぐにテレビをつけた。
その時は神奈川に一人暮らしをしていてたしか震度5だった。
生きている中でも一番強い地震だった。
家族に連絡をしてもつながらず何をしたらいいかわからずずっとテレビをつけていた。

深夜に父と連絡がつき職場からのスカイプでビデオ通話をした。
首都圏の交通網は完全に麻痺していて、2時に職場を出て最寄駅には行けず
1時間ほど歩くルートで家に帰ったらしい。
京都の祖母に連絡をした時に、おじさんが仙台に住んでいたので
相当焦って話していたのはかなり印象的で、今でもよく覚えている。
(後日、女川の病院から救助されたと連絡があった)

私の住んでた地域は計画停電で度々真っ暗になっていた。
電気がない街というのは本当に真っ暗だった。治安も悪くなっていた。
大学も1か月遅れてのスタートが決まったり、予備校のバイトも不規則な感じで
バタバタな1か月だった。

大学が再開してのすぐに
平野啓一郎さんがゲストスピーカーという形で授業で登壇した。
その時に話されたことを受けて私は被災地を自分の足で赴くことを決心した。
「僕たちが普段見ている景色っていうのは、スケール化されたものなんだ。
テレビも新聞も津波の凄さを教えてくれるけど、それは画面の大きさ、紙面の大きさに変換されたもの。
実際に自分の足で行くと、自然のエネルギーの大きさがわかる。」

その夏に実際に被災地を回った。
大学の友人と石巻から気仙沼まで車を借りて海岸線沿いを走った。
この時の経験が私の価値観に大きく影響を与えていることは間違いないことで
おそらく今も続けているインタビューを始めることもなかっただろうと思う。

あの震災から5年が経ちました。
僕はこの夏にもう一度被災地を回ろうと思っていた。

この5年という月日が近くなるにつれ
テレビを回していると被災地の話がよく流れてくる。
僕の働く会社でも3月11日の2時46分に合わせて
起立し、黙祷が行われた。
映画祭も、チャリティーライブも行われて、
この5年という年月が”もう”なのか”まだ”なのかは置いといて
大きな区切りのような数字なんだろうと感じさせる。

ただ私が一番気になった言葉はテレビを見ている時に出た被災地の方の言葉だ。
「震災から5年経つと言われるけど、私たちにとってはそれはなんの区切りでもなく
折り返し地点でもない。」

僕らから見えている5年とは違うということを改めて感じさせられた。
今までで一番大きい地震を感じたと言っても、神奈川で震度5だ。
私の知り合いで亡くなった人はいないし、停電や家屋が壊れたわけでもない。
どこまでいっても、何をしても、僕は当事者にはなれない。

それぞれの人にとって、”まだ”、”もう”、”やっと”5年。
もう一度東日本大震災を見つめ直して、自分にできることは何か
どう何を選択することで幸せなのかをそれぞれの人が考えるきっかけとなる5年目だったら
意味はあるのかなと僕は思う。